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礼拝メッセージより
「恵み」 2006年12月31日
聖書:ローマの信徒への手紙 5章12-21節
罪人
人の悪いところはどうしてすぐに気が付くのだろうかと思う。そして自分はそんな者たちとはまるで違うのだと思ってしまいがちだ。自分は正しい、自分はあんな奴らとは違う、信念を持っている、という話し方をすることが多い。
悪者はどうにでもなっていい 悪いのは奴らだ、という考え。悪者は罰せられて当然。責められて当然。でもそれは自分は悪者ではないと思えるから言えることじゃないかな。
しかし人間はそんな他人事のように誰かを悪く言えるのだろうか。
ある牧師が、盗みをした人のことをせめてはいけない。それはたまたまその人がそうしなければいけない状況に置かれただけだ。
果たして自分がその立場にたった時に自分はそうしないなんてことは言えないだろう。という風な話。
最近テレビでも北朝鮮のことを盛んに悪く言っている。確かに悪いところもいっぱいあるだろう。でも自分達は全くの善人で何の間違いもないかのような言い方はどうにかならないものかと思う。誰かの悪口を言うことで自分が善人になったかのように思うのかもしれないが。
善人と悪人という見方をしがちである。
私はどっち。 時代劇をみてるとわかりやすい。
しかし本当は分けられない。
善人が白、悪人が黒、とすれば縞模様になる。かも。
聖書は私たち全員が罪人であるという。ざいにん。犯罪人。
どんな罪か。神の命令に背く。アダムの話。神の命令に背いたことが罪。
義人はいない、ひとりもいない、と聖書は言うのだ。
関係の喪失
全く立つ瀬がない。どうしようもない。
どうして罪があるとまずいのか、というとただ悪いことだからではない。罪とは神の命令の背くこと、神との関係を絶たれること。
命の源である神との関係を絶たれるということは親のない幼子のような者。生まれたばかりの幼子が親もなく一人になるような者。
神との関係を絶つとはそれ以上に大変なこと。その神との関係を人間は自ら断ってしまった。人間側が神の命令を聞かなかった。
全員が罪人なら、悪人なら、放っておけばいいという気になりそうだが、神は放っておかなかった。
恵み
罪とは比較にならない恵みの賜物を多くの人に注いだというのだ。(15)
人は誰もが神に従わない罪を持っている。しかし罪よりも大きな愛を神からいただいているというのだ。
アダムにより人類に罪が入った。象徴的言い方と思うが。
しかしイエス・キリストにより人類は救われた。処刑されない。
罪があるのに無罪とされた。
罪人のどんな罪をも無罪にする、それが賜物。神の恵みの賜物。
多くの人に豊かに注がれる。
だから
裁きの場合は一つの罪でも有罪。(16)
しかし恵みが働くといかに多くの罪があっても無罪。
減点法か、加点法かという感じだろうか。見方が全然違う。罪を見るのか、恵みを見るのかによってまるで反対になる。
一人の罪により、一人を通して死が支配するようになったとすれば、
なおさら神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになる。
一人の罪によってすべての人に有罪の判決
一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得る
一人の人の不従順によって多くの人が罪人に
一人の従順によって多くの人が正しい者とされる
罪が増したところには恵みはなおいっそう満ちあふれた。
そういう恵みなのだ、神の恵みは。
永遠の命
この恵みは私たちを永遠の命へと導く恵み。罪によって、死に支配されていた私たちを永遠の命へと導く、そんな恵みを神は与えてくださっている。
そしてこの恵みの賜物は罪とは比較にならない。(15)
全人類を死に陥れるような罪、人間を暗黒の世界へ引きずり込むようなもの。それが罪。罪とは大変なこと、私は罪人である、ということは私は暗黒の世界に住む人間です、ということ。
ものを盗んだことがない、刑務所に入ったことはない、だから俺は罪人ではない、というようなことではない。状況によってはものをとるかもしれない、人を殺してしまうかもしれない、そんなものを持っている、それが罪人の証拠だろう。神が望むような人間でないということが罪人であるということだ。だからみんな罪人だ。一人残らず。
しかし神の恵みはその罪と比較にならない、比べようもない程大きい。
当然死に支配されるべき私たちを永遠の命に導く、そんな恵み。満点、合格にされている。だからそのように、合格にされている者として生きなさいと言われている。
私たちは人の罪を見つけて責めることが上手。そんなことじゃだめじゃない、とすぐ言う。そして自分の罪を見つけて自分を責めることも上手。こんなことでは駄目だと思う。人を責めることも自分を責めることも上手。どちらにしても私たちは罪や間違いに目を向けがちだ。悪いことばかりに目を奪われる。
確かに人間の現実はその通り罪だらけ、間違いだらけなのだろう。しかし私たちにはそれと比べものにならない恵みが与えられているのだ。マイナスも全部満点にしてしまうような恵みを貰っているのだ。罪や間違いを見ると同時に、いやそれ以上に恵みを見つめていきたい。