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礼拝メッセージより
「イエスの軛」 2007年1月7日
聖書:マタイによる福音書 11章25-30節
軛
車を引かせるために家畜の頸にかける道具。パレスチナでは牛の軛を木で作ったそうだ。牛を買うと寸法を測り、その寸法によって軛の原型を作り、牛にはめてみてから丁寧に調整し、頸がすりむけないようにピッタリと合わせたそうだ。ピッタリと合ってないと物を引く時に傷ついてしまう。
イエスは、私の軛は負いやすい、と言ったが、丁寧に調整して作って牛にピッタリと合った軛であるということなのだろう。車を引いても傷つくことがない軛だということなんだろう。
荷
私たちは荷を負って生きている。いろんな重荷を負って生きている。そしてその重荷を引っぱるのに、あまりピッタリでない軛で引っぱっているということらしい。ピッタリしてないと重荷を引くたびに傷ついてしまう。
自分自身の心の中に,自分を責め自分を苦しめる思いがある。お前は悪い人間なんだ、駄目な人間なんだ、きっとみんなにも知れ渡る。そしてみんなから見捨てられる、そんな恐怖がある。
調子がいいときにはそんな思いは静かにしていてくれる。しかし、何かの拍子にむっくりと起き出すときがある。少し重い物を引っぱると途端に痛くなる、そんな軛を私たちは背負っている。
人から駄目だといわれたときとか、自分ではうまくやらないといけないと思っていることが出来なかったとき、そんな時に軛によって私たちは傷つく。やっぱりお前は駄目な人間だ、また駄目だった、また失敗した、そんな思いに自分自身が傷つけられる。そうすると自分でも自分のことを責めるようになる。やっぱり私は駄目な人間なんだ、誰からも認めてもらえないのだ、みんなから見捨てられるのだ、と思うようになってしまう。
あるいはそれは自分の親からの要求だったのかもしれない。ある本の中で、自分の心の中にとりこんだ親の要求に苦しめられると書いてあった。それを乗り越えない限り人はそれに支配されているようだ。親や誰かの声が実は私たちをしばり苦しめている。休んでは駄目だ、勉強しろ、仕事しろ、まだまだそれくらいでは休めないぞ、もっと立派になれ、もっと賢く、もっとうまく、もっと強くなれ、そうでないと認めない、という誰かの声がする。そしてそんな声が私たちを私たちの心の中から私たちを苦しめる。
そんないろんな軛を私たちは背負って生きているようだ。
イエスはそんな人に、自分のところへ来なさい、と言われる。おまえが帰ってくるところはここなんだ、と言っているようだ。親を見失った子どもにここにいるよ、と言っているようなものかもしれない。傷つき倒れ疲れ果てた者に対し、そして何をする元気も無くしてしまった者に対しても、ここに来なさい、と語っている。そして休みなさい、といってくれる。
あなたは自分に合っていない軛を背負って傷ついてきたのだ。苦しんできたのだ。ここで休みなさい、そして私の軛を背負いなさい、あなたにピッタリの軛を背負って生きなさい、そう言われている。
内気な青年
ではイエスの軛とはどんなものなのだろうか。
内気な青年という話しがある。
羊飼いが帰ったあと、馬小屋の周りはすっかり静かになった。そのとき、幼子イエスは頭を上げて、入口の方に目を向けた。そこに、内気で悲しげな若者の姿が見えた。
− イエスは「近くにおいで...なぜ恐がっているのか」と言われた。
− 若者は「おみやげを持ってこなかったからです」と答えた。
− イエスは「そうか...あなたから三つの贈り物がほしい。」と言われた。
− 若者は心配して「けれどもあなたにあげるために、何も持っていません。」 と言った。
− イエスは「けさ、あなたがかいた絵をもらえないか。」と聞かれた。
− 悲しげな若者は「あの絵はだれもすきじゃありませんでした。」と答えた。
− かいばおけの中の乳飲み子は「だから、あの絵をもらいたい。他の人から喜ばれないもの、自分が自分でいやなこと、そのためにあなたを悲しく、いらいらさせ、欲求不満にさせることを、私のところに持ってきてほしい。」と言われた。
− 若者は「イエス、本当にそれをほしいのですか。」と驚いた。
− 「二番目のおみやげはあなたのお皿だ。」
− 「それは、けさ壊しました。」
− 「そう、だからほしい。あの皿を直したい。いつも、あなたの人生の中で壊れてしまったことを私のところに持ってきてほしい。」
− 「最後のおみやげとして欲しいのは『お皿を壊したのか』と両親が聞いときのあなたの答えだ。」
− そのときに若者は悲しみに沈んで言った。「あの時私はうそを言いました」
− イエスは「知っている、けれどあなたのうそ、悪、悲しみ、コンプレックス、不信、など正しくないことをすべて、私のところに持ってきてほしい。
そんな心の重みを運ばなくてもいい、私はあなたを解放したい。
きょうから、毎日私のところに来て、あなたの持つ重みについて私に話してほしい。きょうは私の誕生日だ。この特別な日に約束をしよう。
あなたの悲しみに私の喜びを
あなたの無意味な人生に私の満ちた命を
あなたの不安に私の平和を
あなたのたくさんのうそに私の真理を
そして新年の日々のために私の愛を」と結んだ。
− 若者は「イエス、ありがとう!おっしゃったように私は新しい年だけでなく、生涯、幸せに生きるでしょう。」 と答えました。
(アフリカージンバブエの物語より)
そんなことでは駄目だ、お前はいつも駄目だ、というあなたを苦しめる軛ではなく、あなたが大事なのだ、あなたを愛している、失敗も間違いもうそも重みも全部持ってきなさい、というわたしの軛を負い、わたしに学びなさい、とイエスは言う。