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礼拝メッセージより
「飢饉」 2006年7月30日
聖書:列王記下 7章
あたり目にたたり目?
北イスラエルが飢饉に見舞われた。その上北の国のアラム軍が責めてきて首都であるサマリアを包囲してしまった。飢饉の時に兵糧攻めされてしまったということだろう。あたり目にたたり目って感じ。生活に必要なものが足りなくなり物価が上昇してしまう。食料がなくて、子どもを煮て食べたなんてことが6章では書かれている。
一人の女が王に向かって救ってくれと訴えた。一人の女が、今日はあなたの子どもを食べ、明日は私の子どもをたべましょうと言ったので自分の子どもを煮て食べた。しかし次の日にあなたの子どもを食べましょうと言うとその女は子どもを隠してしまった、ということだった。
それを聞いた王は衣を裂いた。衣を裂くというのは悲しみの表現だそうだ。しかしここでは悲しんだと言うより怒ったような気がする。こんな事態になってしまったことに対して神に怒った。そしてその時の預言者エリシャに怒った。そしてエリシャの首をはねるために使者を遣わした。その使者に対する答えが7章の最初の言葉である。
その時の物価が6章25節に書かれている。ろばの頭一つが銀80シェケル、1シェケルは11.4gなので80シェケルは約1kgになる。ろばの頭を何に使うのか、スープでも作るのかどうか分からないけれどそれが銀1kgで売られていた。また鳩の糞四分の一カブが5シェケル。鳩の糞とは、飢饉の時には食べたとか、塩の代わりに使ったとか、エジプト豆の俗称だとか、いろいろ節があるそうだ。1カブとは約1.3リットルだそうで、四分の一カブは0.3リットル少々ということになるが、そんな普段ならほとんど価値のないようなものが銀50gで売られるような大変な物価高になってしまっていた。
城壁の中は食べるものもなくなりつつある、外へ出ればアラムの軍隊が包囲している、もうどうしようもない絶望的な状態だったということだ。
それなのにエリシャは王の使者に対して主の言葉を語る。「明日のいまごろ、サマリアの城門で上等の小麦粉1セアが1シェケル、大麦2セアが1シェケルで売られる」と。1セアは7.7リットル。0.3リットルほどの鳩の糞が5シェケルもしているのに、明日になったら小麦粉7.7リットルが1シェケルになるなんて言うわけだ。そんなことある訳ないだろうと思うのが普通だろう。王の使者は、主が点の窓を造られたとしてもそんなことはなかろう、と言ったという。誰だってそう思うような状況だったわけだ。
皮膚病
その頃、城門の入り口に重い皮膚病を患う者が4人いた。そして相談した。町に入ったところで食べ物も少なくて自分達に分けてくれるようなこともないだろう。かといってここにじっと座っていてもただ死を待つだけだ。だったらアラム軍に投降しよう、もし生かしてくれたら儲けもの、殺されても仕方ない。
その頃アラム軍はというと、主が戦車の音や軍馬の音や大軍の音をアラムの陣営に響き渡らせられたために、周りの国と結託して自分達を攻めてきたと思ってあわてて逃げてしまっていたというのだ。
4人はそんな逃げてしまったアラム軍の陣営にやってきた。アラム軍は命からがら、何も持たずに逃げたために、陣営には天幕も馬もろばも捨てたままだった。そこで4人は飲み食いし、銀や金、衣服を運び出して隠した。当初は4人だけの秘密にした。しかしこのまま黙っていては自分達が罰を受けるかもしれないということで王家の人たちに知らせることにした。そこで町の門衛にこのことを知らせた。
ところが知らせを聞いた王は、これはアラム軍の策略でえ、撤退したと見せかけて、イスラエル人が町から出てきたら生け捕りにして町に攻めていこうとしているのだと言い出す。相当臆病になっていたのか。しかしそうやって何もしないでじっとしていてても、いずれは飢え死にするだけだが。ということもあったのだろうか、王の家臣が、ならば偵察に行かせてみましょうと言い、それによってアラム軍が何もかも置いたまま、慌てて逃げていったこと、四人の重い皮膚病の人たちの言うことが正しかったことが分かった。そしてみんなでアラム軍の残していったものを取りに行き、食料もいっぱい取ってきたのだろう、小麦粉も大麦も、ヨシュアが言ったとおりに安くなったという話しだ。
独り占め
イスラエルの町は城壁に囲まれていた。そして皮膚病の人たちはその城壁の外にいたらしい。病気は罪の結果であり汚れているという風に考えられていたらしい。そして重い皮膚病とは治らない病気のことだそうだが、皮膚の病気は一目瞭然だったのでみんなからのけ者にされていたのだろう。それで仕方なく町の外にいたのだろう。
しかしそんな彼らが最初にアラム軍が逃げていったことを知った。そこにいろんなものを残していったことを知った。そしてそれを知っているのはその四人だけだった。彼らも最初は自分達だけで飲み食いして、戦利品を運び出して隠した。それを繰り返して四人だけの秘密にしておいてもよかった。町の中の人たちが気が付くまで知らんぷりをしていてもよかった。その間に自分達はたらふく食べて、金目の物をせっせと持ち帰ればよかった。僕だったらそうしそうだ。だって町の奴らは自分達を差別してきたんだから、おまえみたいな汚れた罪深いものは町の外で暮らせって言われてきたんだから。
でも彼らは黙っておいて自分達だけいい思いをすることをよしとしなかった。独り占めしなかった。それでイスラエルの人たちは救われた。自分だけのもの、自分達だけのものにせずにみんなのものにした。みんなで分けた。それでみんなが助かった。飢饉も物価高も、重い皮膚病の人たちがアラム軍の逃走を知らせてくれたことで治まった。
もちろんそうなる前提は神がアラム軍をおどかして逃走させてくれたことだ。しかしそんな神が与えたくれた恵みを、もし重い皮膚病の人たちが独り占めしていたら、サマリア飢饉はずっと続き、サマリアの人たちはみんな飢えて死んだかもしれない。
分けることでみんなが助かる。みんなが救われる。当たり前といえば当たり前だけど、それがなかなかできないのも現実だ。ついつい独り占めしたくなる。これは俺のだと言いたくなる。でもそれをすると結局周りの者を苦しめてしまうことになるのだろう。食べるものがなくて死ぬ人がいっぱいいるところもある。食べるものが余って捨てているところもある。食料自体はみんなが食べる分はあるそうだ。それをうまく分配できないのはどうしてなんだろうか。どこかで独り占めしようとするところ、自分達さえいい思いができればというところがあるからなんだろうか。
私たちのすぐ近くではどうなんだろう。自分さえよければという思いになってしまいがちなのではないか。でもそんな気持ちが実は世界中の飢えへと繋がっているのかもしれない。
分けることの大切さ、分けることの恵み、与えることの喜び、そんなことを私たちが体験していくこと、そしてそのことを伝えること、それがまず私たちに出来ることなのではないか。