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礼拝メッセージより
「御子によって」 2006年7月9日
聖書:コロサイの信徒への手紙 1章15-20節
誰のもの?
この世は御子によって造られた。そして御子によって神と和解させてもらい、御子によって支えられている。人間だけでなくあらゆるものが御子によって支えられている。つまり要するにこの世の物はすべて御子のもの、神のものである。私たちは神が造られたものの中に生まれて、生かされている。私たちが生きるためのものは全て神が準備してくれているということだ。本当は全部神のものなのだろう。
私たちはいろんなものを自分のものと思っている。服も食べ物も家も車も、自分が働いた金で買ったんだから自分の物だ、と考えている。確かに法律的には自分の物となっているものもいっぱいある。そして自分のものは自分がどうしようと勝手であると思っている。いやまあ確かにそうなのだが。
そして自分のものは大事に、きれいにして守ってきた。自分の家の中はきれいにしてきた。そして汚れた空気は外に出し、ゴミはどこかに捨ててきた。汚いものは水に流してきた。昔はそうしておけばどうにかなってきたのだろう。
とにかく自分のもの、自分の家のことだけ考えているだけで、人間のことさえ考えておけばのよかったのだろう。人間の都合によって、人間が便利に快適に暮らせるようになればと考えていろんなことをしてきた。今まではそれでよかったのかもしれないが最近はどうもそれではまずくなってきた。
地球
地球は人間の営みを受けとめるようにできていたのだろう。ゴミもある程度ならば分解する力を持っている。空気も水も少々汚してもきれいにする力を持っている。だから昔はゴミを出しても煙を出しても問題ではなかった。そもそも昔はすぐに分解できるようなゴミだった。ところが最近は地球の処理できる能力を超えるゴミを出すようになってきた。放射性物質なんてのは何万年もかかるらしい。
海の水を綺麗にしているのは干潟に生きている小さな虫やプランクトンなどだそうだ。ところが人間はその干潟を埋め立てて工場を造ったり港を作ったりしている。岸壁をコンクリートで固めてしまって干潟をなくしてきた。そうやって人間の生活を守ってきた。けれども人間の生活を守ることが地球の処理能力をどんどん弱めてしまうことになってしまっている。
自分の都合の良い、人間だけに都合の良いように地球を作りかえてしまった。そのために余計に環境が悪くなってきた。
確かに便利になった。楽になった。早くなった。
でもそれでよかったのか。
結局はこの地球、この世界が自分の物だという思いから、自分の都合で自分の勝手にしておけばいいという思いになり、そのしっぺ返しをされているのが現状なのだろう。
神のもの
いわば私たちは借り物の中に生きているのだろう。全ては神のものであって、お前達にそれを預けるから、それで生きて行きなさい、と預かっているようなものなんだろうと思う。
しっかり管理していかないといけないのだろう。私たちが生きるためにどうすればいいか、そして私たちの世代だけではなく、後々の世代のためにどうすればいいのかということも考えていかないといけないのだろう。
結局はお金を稼ぐために、自分が儲かるためにやっているような気がする。最近、お金を儲けることは悪いことですか、って言っていた人がいた。お金を儲けるために働いているのがこの資本主義の社会なのだと思う。今の社会の理屈から言うとお金儲けが悪いとは言えない。会社の目的は利潤を追求することだ。
しかしお金を儲けるのが第一で、そのためには何をしてもいいのかどうかだ。自分がお金を儲けるという目先のことだけを考えていればそれで済むのかどうかだ。お金を儲けて自分が豊かになる、そんな自分のこと、自分の家だけのことを考えるということを続けていいのかどうか。
お金を儲けるために山を削り海を埋め立ててきた。お金を儲けるために煙を出し、排水を流してきた。地球が処理できる限度をとっくに超えているのに、それでも相変わらず自然を壊し続けている。資源も消費し続けている。
大事に使おうと言ってもなかなかできない。結局少なくなって値段が高くなって買えなくなるくらい高くならないと消費する量は減らないのかもしれないと思う。そうするとやっぱり金持ちだけがいい思いをすることになるのかな。
ヨーロッパではコンクリートで固めた川岸を、もう一度土に戻すようにしていると聞いた。原子力発電所も作らないようにしている国もあるみたい。
地球的にものごとを考えていかないといけない時代なのだろう。自分の国がよければそれでいいと言ってられない状況のような気がする。テレビなんかではよく国益という言葉を聞く。国益よりも世界益、地球益を考えていかないといけないのだろう。
日本人が、日本人がってことも最近よく聞くけど、もうそんなこと言ってられない状況なんじゃないかと思う。地球人としてものを考えていかないといけないじゃないのかな。それは神に造られた者としてものを考えていくことでもあるのだろう。
神に造られた者として、同じように神に造られたこの地球、この宇宙を大事にしていくことが大事なのだろう。
自分のものだと思っているものも含めて、全部神のものなのだから大事にしていくことが大切なことなんだろう。そして結局はそうすることが私たち自身を大事にしていくことでもあるのだろう。