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礼拝メッセージより
説教題:「支配する」 2004年6月6日
聖書:創世記 1章26節-2章4節a
自然
環境破壊が進んでいる。20世紀以降急速に進んでいる。
地球温暖化だとかゴミ問題とか、酸性雨の問題、公害、いろんなことが一遍に起こってきているかのようだ。
工業の発達が欧米から起こって来て、キリスト教国と言われるような国々が資源をいっぱい消費しゴミをいっぱい出している。
その背景には、創世記にある、「産めよ、増えよ、地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」ということから、世界は自分たちが支配するもの、、自分たちが従わせるもの、自分たちは世界の他の者よりも一段高い所にいるものである、という気持があったようだ。だから自分たちの都合で、自分たちの勝手にしても構わない、人間の都合を一番にする、人間のために世界はあるのだ、と思っていたらしい。
少々のことならば地球の再生能力のお陰でたいしたことはなかったようだが、あまりにひどくなってきて地球の能力を超えるような破壊が起こってきた。そしてその為にいろんなところに弊害が出てきている。
地を従わせる、世界を支配する、ということは本当は人間が自分勝手に何をしてもいい、自分の好きなようにしなさい、ということではないらしいのだ。
被造物
人間は結局は被造物にすぎない。神に造られた者に過ぎない。すべてをうまく管理することはできない。
神は人に食料を与えられている。地上のものを支配するようにと任せてくれている。しかしそれは人が自分の都合で自分の好きなようにしていいということではないらしい。
人間は自分の都合でいろんなことをしてきた。自然を変えてきた。自然を自分の都合のいいように変えてきた。人間は昔から川のあるところで生活してきたみたいだが、本来川は蛇行して流れるものであるが、その川をまっすぐに流れるようにしてきた。街の中の川はまっすぐ流れているところが多い。でも最近になってドイツだったか、またもとのように蛇行するように戻そうとしているところもあるそうだ。それはそれでまた大変な労力とお金がかかるそうだ。
自分の都合のいいように変える力を人間は持っている。その技術を発展させたことはすごいことだ。そのお陰で随分と便利な世の中になった。ステンレスの流し台とか洗濯機とか、昔の主婦の大変な仕事をなんとか楽にしようということで智恵を絞って作ってきた。人間の知恵と技術で大変な重労働や危険なことからも解放されてきたことも事実だ。
でもその力で自然も管理しようとしてきた、管理できると思っていた時期もあったのではないかと思う。そうすることで人間にとって都合のいい世界ができると思ってきたのではないかと思う。ところがここに来ていろんな弊害が一杯出てきている。都合のいい世界を作っているつもりでいたのに、却ってどうしようもなく都合の悪いことが起こって来ているようだ。まるで予想できなかった自体が起こってきている。石油を使うようになってとても便利になった。大きな機械を動かすことができるようになった。車で人や物をいっぱい運べるようになった。と思ったいたら空気を汚して病気になる人が出てきた。二酸化炭素が一杯出てきて温暖化しているという話しもある。人間は都合の悪いことが起こって初めて気が付いているという気がする。要するに人間は結局は自然を管理なんて出来ないということなんだと思う。そのことに少しずつ気づいているんじゃないのかな。自然を管理する力は本当は人間にはないのではないか。人間は自然と同じに神に造られた者であるに過ぎないということなんだろうと思う。
従わせるとか支配するといういうのは、本当は自分の都合のために自由にしていいということではなく、しっかりと守っていくということなのではないかと思う。
共生
だから人間は自然を力ずくで管理するのではなく、自然の中でどう生きていくか、自然とどうつきあって生きていくか、自然をどう守って生きていくかを考えないといけないのだろう。人は、自然の中で生きていくしかないというか、自然は人を生かしてくれるゆりかごのような、母親のお腹の中のようなものなんだろうと思う。力ずくでどうにかうするものではなく、いたわって守っていくものなんだろう。
この前テレビで現代の日本語に関する番組があった。チラッと見ただけだが、その中で、先生がずっと日本は男が上にいて女がしたにいた、日本語でもそういう関係からの言葉ができてきた、なんて話しをしていたが、その先生が、日本人はずっとどっちが上か下かということを問題にしてきた、ずっと男が上だと思ってきた、最近は女が上だという意見も出てきた、いつもどっちが上かという見方をしてきた。でもこれからは上とか下とかではなく、一緒に生きていくという考え方が必要なのではないか、そして日本語の言葉としても上下関係でない一緒に生きていくという関係の言葉が生まれてくればいい、というようなことを言っていた。
確かにいつも、誰に対しても、何に対しても上下関係という関係で見てしまっていたような気がする。人間関係にしても、自然とか動物とかとの関係にしても上か下かという関係でものを見ているという気がする。上のものに対しては気を遣ってよいしょして、下のものにはわがままで横柄な態度を取る、結局どっちかしかないのかもしれない。上下関係でない、一緒に生きていくという関係をこれから作らないといけないのかもしれない。
そして自然を守ること、環境を守ることは、地球に生きる者みんなを大切にすること。この地球で一緒に生きていくという関係の中で初めて私たちは生きていける。環境を破壊してしまってはまともに生きていけない。私は何ともないからどうでもいい、と思う傍らで、一番弱い者たちに現実に弊害が出ている。そんな者たちを守るという意味でも環境を守っていかないといけないのだろう。そしてそれは自分自身をも大事にすることなのだと思う。