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礼拝メッセージより
説教題:「はじめの一歩」 2004年2月1日
聖書:マタイによる福音書 14章13-21節
気まぐれ
そのころガリラヤの領主であったヘロデは、自分の兄弟フィリポが妻ヘロディアと結婚することを洗礼者ヨハネから、それは律法で許されていないと言われたことで、ヨハネを牢に入れて処刑したいと思いつつ、民衆がヨハネを預言者だと思っていたので、民衆を恐れてそれができないでいた。
ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が皆の前で踊りをおどり、喜んだヘロデは娘に、「願うものは何でもやろう」と誓った。娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せてこの場でください」と言った。そこで王はヨハネの首をはねさせ少女に与えた。
権力者の気まぐれによって人の命が取られてしまう、そんな時代だった。権力を持つ者のさじ加減で世の中が動く。権力を持つ者は、自分の力や財産をなんとかして守ろうとするらしい。今でも世界でも似たようなもののような気がするけれども、そんな中で民衆はそんな権力者の気まぐれに脅かされて生活している。
憐れみ
そんなヨハネの事件を聞いたイエスは、舟に乗って人里離れた所へ退かれた。しかし群衆はそのことを聞いていろんな町から後を追ってきた。
イエスは彼らを見て、飼い主のいない羊のようなその有り様を深く哀れまれた。
羊というのは自分で道を見いだし、自分で食べ物を探し、自分で自分の身を守ることのできない動物。飼い主がいないと生きていけない動物。
群衆が飼い主のいない羊のようだ、ということはもう生きていけそうにもない状態であったということ。これから、何をどうしていけばいいのかも分からない状態だったということ。
どうしてこんな状態になってしまったのか。飼い主、と言われる人たちはどこにいるのか。指導者はどこにいってしまったのか。
当時指導者はいた。
王もいた。王は政治的指導者。当時の王は自分の地位を守ることが第一。ヘロデ王という人がいたが、この人はイエスの生まれたとき子どもを虐待した人物。その子ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネの首を切った人物。こんな人を信用している人はいなかった。少なくとも民衆にとっては指導者ではなかった。
宗教的指導者もいた。
祭司もいた。祭司は神殿の支配者。ところがこの人たちは神殿で商売をしていた。民衆たちは年に一度、神殿に宮もうでをし、犠牲に献げるはとを買い求めるとき、目の玉がとびでるほどの代金を払わされた。そのことから、祭司たちが金儲けをしていることを感じていた。
律法学者もいた。彼らは民衆に、神の戒めである律法に従わなければならないと教えた。しかし、民衆はなかなか律法を守ることができず「地の民」と軽蔑されいい気がしなかった。民衆は彼らのおかしさにも気づいていた。律法学者は理屈ばかりいって、何のための律法か、まるで分かっていないことにも気づいていた。しかし、その律法学者のふりまわす理屈のために民衆は苦しめられていた。
群衆のまわりには指導的立場にいる者は多くいた。しかし、彼らはどれも真の指導者とはなっていなかった。群衆は彼らを信じてはいなかった。
「飼い主のいない羊のような」とは、ただ単に孤独で寂しい、慰められる必要がある、というだけではなかった。指導者のきまぐれによって苦しめられていた。信頼できる指導者がどこにもいない、ということであった。それはとてもつらいことだろう。今の日本では神を信じるなんて弱い人間かおかしな人間のすること、というような雰囲気があるが、本当に信じるものがないというのはとんでもなく辛い厳しいことだと思う。
イエスはそんな群衆を見て「深く憐れまれた」
奇跡
夕暮れになったときに弟子たちがイエスに、ここは人里離れたところだから、群衆を解散させて食べ物を買いに行かせましょう、と言う。ところがイエスはあなたがたが彼らに食べ物を与えなさい、と言った。後で書いているようにここには男だけで5千人、女性も子どもも合わせると1万人位の人がいたことだろう。イエスはそんな人たちに食べ物を与えなさいと言ったというのだ。とんでもないことだ、と思う
弟子たちは、ここにはパン五つと魚二匹しかありません、と答えた。これしかないんだよ、これじゃどうにもならんでしょう、ということだったのだろう。
しかしイエスは、それをここに持って来なさい、と言った。そして群衆に座るように命じて、この五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡した。祈ってパンを裂くというのは通常の食事でしていたことだそうだ。そうして弟子たちが群衆に与えたところが、全ての人が食べて満腹になり、残りも十二の籠にいっぱいになったというのだ。
どうしてそんなことが起こるのか、どうゆう風に増えたのか、それは分からない。
弟子たちはよく分からない内にこの奇蹟を経験した。五つのパンと二匹の魚を持ってきたのも、イエスの祝福したパンを配ったのも、残りを集めたのも弟子たちだった。12人が集めたのが12のかごだった。そういう仕方で弟子たちはこの奇蹟に係わった。
一歩
ドイツ人宣教師、ストローム、ミッドナイト・ミッションから派遣され、日本の不幸な女性を助けようとしたが、適切な仕事がなく、釜が崎に移り住んで伝道と奉仕をした。帰国するまで20年間釜が崎の労働者や、アルコール依存症の人々のために働いた。その人が『希望の町』という本で、その働きをまとめている。その中の一部。
「今考えると大変でしたが、初めからそんなに大変だとは思いませんでした。一歩やると次の一歩が出来るという感じでした。一歩やって足場を作り、その第一歩の足場から第二歩、第三歩のために力が出てくるんですねえ。日本人はなかなかそれが理解できないみたいですね。二歩や三歩じゃなくて、初めから十歩を考えます。その十歩が出来そうもないから、一歩もやらない、そのやり方は私の信仰と違うのです。
ある所に立って考え、計算して、できるかできないか考えるやり方も必要かもしれません。けれど信仰の生活というのは『少なくとも第一歩をやったらいいじゃないか、第一歩が出来たら、その足場からまた次の第一歩のために力も知恵も可能性も出てくる』と考える行き方です。私はそう理解しています。』
まず第一歩、それはいますぐに出来ること。一歩だけでは届かないと思うからその一歩もなかなか踏み出さないことが多い。信仰とはその一歩を踏み出すこと、それはとても日常的な、具体的なことを始めることだろう。そしてその一歩一歩が、思いがけない出来事となっていくのではないか。
これだけ
私たちの教会にはこれだけしかいない、私はこれしかできない、そうやって何もできないのだと決めつけてしまっていることが多い。いつも何十歩先のことを考えようとして、そこまでが遠すぎるから一歩も動けない。まず一歩を踏み出そう。まず自分の持っているものをイエスに差しだそう。
そもそも私たちが何かをするなんてのはおこがましい、のかもしれない。この奇蹟も、元はと言えばイエスが皆に食事を与えなさい、なんて言うことから始まったことだった。イエスがしよう、と言いだしたことに弟子たちはついていっただけ、ということもできる。そして弟子たちにとっての第一歩はイエスに文句を言ったことかも。そこが第一歩かもしれない。そんなことできませんよ、と言ったことから弟子たちはもうイエスの奇蹟に係わっていった。その後も弟子たちがしたことは何があるか調べて、皆に配って、残りを集めた、それだけだ。あとは全部イエスがした。
私たちは自分に何ができるか、なんてことをすぐに思う。そして私には何も出来ない、なんて勝手に決めてしまっては、それこそ何も起こらない。何も始まらない。イエスがするんだから、それについていけばいいんだ。自分の出来る一歩を踏み出せばいいんだ。その第一歩は、こんなことしかできない、こんなものが何の役に立つのか、と文句を言うことかもしれない。そこでそれに対するイエスの言葉、それをここに持ってきなさい、という言葉が聞こえてくるのだろう。
説教にしてもおはなしにしても、みんなこんなことしかできないと思ってやっていることだろう。司式をすることも受付をすることも、お茶をいれることでも、こんなことしかできないというようなことかもしれない。けれどもそんな自分の持っているものをイエスに差しだそう。イエスはそれに対して、そんな物しかないのかと言って文句をいったり、嘆いたりはしなかった。弟子たちがこれだけしかないと言った、私たちにとってもわずかとしか思えない物を取り、賛美の祈りを唱えて、それをみんなに渡すようにと言われるのだ。
とにかくはじめの一歩を踏み出そう。私たちにとっての一歩はどんな一歩なのだろうか。そしてイエスの働きに私たちも加えてもらそう。イエスのすばらしさを私たちみ燃せてもらおう。