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礼拝メッセージより
説教題:「キリストの誕生」 2003年12月21日
聖書:マタイによる福音書 2章1-12節
クリスマス
クリスマスはキリストの誕生日、12月25日に生まれたのだろう、どうして24日の方がお祝いするのか、なんてことを聞かれることがある。確かに25日が誕生日なら25日にお祝いすればいいという気もするが。
本当の誕生日は分からない、多分キリストが生まれたのは冬じゃなくてもっと温かい季節だっただろう、なんてことを言うとびっくりされることが多い。
王の息子として生まれていたら、何月何日何時何分、どこそこで生まれたというような記録が残っているかもしれない。そしたら国中でお祝いして、そのことを語り伝えるというようなこともあるかもしれない。
けれどもイエス・キリストはそんな風にみんなに注目されて生まれた訳ではなかった。わずかな人に知られただけだった。
ヘロデ大王
イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれた。ヘロデ大王はたいへんな野心家だったそうだ。ヘロデ家というのは、もともとイドマヤ人と言って、エドム、つまりヤコブの兄弟のエサウの子孫の出だった。ユダヤ人から見ると外国人だった。けれどもヘロデの父がたいへんな野心を持った人で、ユダヤ教に改宗し、ユダヤの王家に接近し、その血統の奥さんをもらうなどして、また当時その地方一帯を支配していたローマの皇帝に取り入ったりして、ユダヤの中での地位を固めていったそうだ。そして息子のヘロデが今日の聖書に出てくるヘロデ王で、彼はついにローマの皇帝により、ユダヤの王として任命されたのです。
そのヘロデ王の所に、東の国の占星術の学者が尋ねてきたというのだ。当時は星の動きから世の中の動きを知るというような考え方が一般的にあったそうで、占星術の学者と言っても今の占い師のことではなく、時の政治判断する大切な役目を持った王の参謀、政府高官というような人たちだったそうだ。
その東から来た学者がヘロデのところへ来て、ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか、東で星を見たので拝みに来ました、と言ったというのだ。ヘロデ王はそれを聞いてびっくりしてしまった。王である自分の知らないところで別の王が生まれたと言われたのだ。
そこでヘロデは祭司長や律法学者たちを集めてメシアは、つまりキリストはどこに生まれるのかと問いただしたという。そしたら彼らはそれはユダのベツレヘムだと言った。旧約聖書のミカ書に書いていると言ったと言うのだ。ユダヤ人たちはちゃんと知っていたのだ。ベツレヘムというダビデの町でキリストが生まれることを。
けれどもヘロデは学者に、その子のことを詳しく調べて見つかったら知らせてくれ、と言うけれども自分からはベツレヘムへ行こうとはしなかった。
ベツレヘム Bethlehem
ベツレヘムはエルサレムの南7kmにあるそうだ。エルサレムからも充分日帰りできそうな距離だ。ベツレヘムとはパンの家という意味で、エルサレムの食料庫のような町だったのかもしれない。
学者たちは星に従ったそのベツレヘムで幼子であるイエスに会った。そして彼らは喜びに溢れた。そして幼子を拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
学者たちはただイエスに会い、イエスに献げ物をするためにベツレヘムに来たというのだ。彼らはキリストから何かをしてもらうために来たのではない。ただキリストを見て、献げ物をするためだけにきた。そしてそれだけで喜びに溢れた。
ユダヤ人
幼子であるイエス・キリストに会いにきたのは、聖書によるとこの学者たちと羊飼いたちだけである。メシアはベツレヘムに生まれるということを一番良く知っていたユダヤ人たちはそこにはやってこない。ルカによる福音書によるとイエス・キリストは飼い葉桶の中に寝かされていたと書かれている。その気になれば誰でも会いにいくことができる家畜小屋でイエス・キリストは寝かされていた。エルサレムからでも大した距離でもない。しかしそこへ言ったのはこの外国の学者たちと、みんなから差別されていた羊飼いたちだけだった。イエスはそんなところへ生まれたのだ。その気になれば誰でも会える、けれどもみんなが見過ごしてしまう、そんなところでイエス・キリストは生まれた。
平和
イエス・キリストの誕生日がいつなのか分からないという理由もそこにある。宮殿の中でみんなに注目されて生まれたのではない。そして権力をもってみんなを支配する者として生まれたのでもなかった。そうではなく、イエス・キリストは人々と共にいて、人々の心に喜びと与えるため、心に平和を与えるために生まれた
学者たちも、羊飼いも、イエス・キリストに会うことで、会うだけで喜んだ。彼らはイエス・キリストと出会うことで心の中に平和を与えられた。
イエスは私たちを内側から苦しめ縛りつける罪から私たちを救うために来られた。神との関係を回復するために来られた。私たちの罪を贖うために、清算するために、死なれた。私たちの弱さをその身に追って十字架につけられた。そのために生まれたのだ。
私たちの外側が平和であることも大事であるが、私たちの内側が平和であることも同じく、あるいはもっと大事なことだ。私たちの内側つまり心、魂が平和であることから世界の平和へと近づく。人の心に平和がなければ世界の平和もない。
イエスは私たちの心を、つまり根本を平和にしてくださる方だ。私たちは確かな土台の上に立つことで安定していられる。しっかりした基礎の上にしっかりと立つことで初めて平安でいられるのだと思う。そしてその土台とはやはり神なのだ。その神との正しい関係を回復するためにイエスは来られた。その土台となるために、私たちを下から支えるために来られた。私達と神との正しい関係を阻害する私たちの罪を贖うために来られた。そのためにイエスは死なれた。私たちの罪のために死なれた。そのことで私たちは赦され、神との正しい関係を持つことができる、と聖書は告げている。
地の果てまで
しかし、一見なんとも貧弱な救い主だ。私たちは圧倒的な力で全世界をねじ伏せるような者こそが余程救い主らしいようなイメージを持ってしまう。しかしイエスの姿はまるでそうではない。しかしその弱さを身に負う姿こそがイエスの姿であり、それこそが神の意志だった。
聖書の主題
聖書には弱く小さいものを選ぶということが多く出てくる。神の目的を成し遂げるために最も小さき者、恐らく最も取るに足りないものを神は選ばれるのだ。世のメシアであり救い主である方が飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子であるということ、小さき者を選ぶということ、それが聖書の主題でもある。
弱く小さな乳飲み子、それも家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされている幼子、そしてまったく無力な十字架での死、しかしそこに神がおられる。そこに神の意志がある。その弱さの中に神の意志がある。そこにこそ神がおられる。
私たちは力を望む。何物にも負けない、動揺しない、動かされない力を求める。誰にも負けない力を持つことを求める。
マタイによる福音書に出てくるミカ書の引用の中には、ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さい者ではない、と書かれている。しかし実際にミカ書を見ると、ベツレヘムのことを、いと小さき者と書かれている。律法学者たちはキリストが生まれるベツレヘムは小さい者ではないはずだと考えて変えたのかもしれない。ベツレヘムは小さくないはずだ、キリストは弱くないはずだ、と思う気持ちがある。しかしミカ書には、ベツレヘムはいと小さき者だ、と書かれている。いと小さき者、そこでキリストは生まれた。弱く無力な姿で生まれた。ほとんどの人が見捨てたようなところで生まれた。しかしそれは神の意志でもあったのだ。
神は弱い者と共におられる。何も誇るものを持たない者と共におられる。神が共にいる、それこそが私たちの力だ。最も弱い者も決して見捨てることはない、それが神の意志なのだ。私たち自身には何もなくても、神が共にいることこそが私たちの力だ。私たちを生かし、喜びを、平和を与える力、だ。キリストは、私たちの気付かないようなところに生まれ、今もすぐ隣りにいてくれているのだろう。