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礼拝メッセージより
説教題:「またかよ」 2003年11月9日
聖書:民数記 11章1-30節
玉子丼
神学部の学生の時に、虫の好きな神学生と一緒に福岡から久住まで蝶を捕りに行ったことがあった。貧乏なので4人だったかな、一台の車に乗って行き、蝶を捕り、夕食は山の近くの食堂でそばかなにかを食べ、その日の夜は駐車場に車を止めて何人かは車の中で寝て、僕は外で寝袋で星を見ながら寝た。あまりゆっくりは眠れなかったが、起きるたびに星がよく見えた。
次の日は朝起きてから朝ご飯も食べずに虫を捕り、そのまま九州の島の中で一番高い久住山に登った。頂上に一番近い牧の戸峠まで来るまで行って、そこから歩いて頂上まで往復した。かなり腹が減ってきてたので峠まで戻ったら食堂で昼食を食べようと言いつつ降りていたらその途中で雷が鳴り出し、雨も降りだしてきて、仕方なく木の下で雨宿りをして雨の止むのを待った。しばらくして雨が止んでから峠まで降りてきてそこの小さなあまりきれいじゃない食堂で、親子丼だか玉子丼を食べた。多分丼で一番安い安い玉子丼だったと思う。猛烈に腹が減ってたせいか、その丼が殊の外うまかった。それまで食べた丼の中で一番上手かった。
マナ
エジプトを出発して荒れ野の中を旅するイスラエルの民に神から与えられた食料、それがマナだった。出エジプト記16章にそのことが出てくる。食べ物がなくなって民が不平を言ったときに与えられたものがマナだった。
イスラエルの民は奴隷の苦しさから解放してくれということを一所懸命に神に祈って、やっとの思いでモーセに率いられてエジプトから脱出した。ついに逃げられたということで約束の地を目指していた。けれども彼らは、食べ物がなくなってきて腹が減ってくると、こんなことならエジプトにいたときの方がましだった、エジプトにいたらこんなに腹ぺこになることはなかった、なんて文句を言い出した。
助けてくれと祈ってその願いが叶ったけれども、今度は腹が減ってくると、エジプトにいた方が良かった、助けてくれなくても良かったなんてことを言い出したわけだ。
そこで与えられたのがマナあった。
それはギョリュウという記に付く虫が出す樹液の排出物ではないかと言われている。排出物といっても、成分はブドウ糖と果糖で、密のようなものだったらしい。
天から降ってきた神から与えられた食料ということでイスラエルの民はとても喜んだ。最初腹ぺこのときに食べたマナはそれはそれは上手かったことだろう。牧の戸峠の玉子丼のように上手かったかもしれない。彼らは一日に一日分だけ集めるように、次の日まで残してはいけないと言われても余分に集めて臭くなったなんてことが書かれている。
そのマナを与えられた民は最初は食べきれないほど一所懸命に集めるほど喜んでいたようだ。確かに腹が減ってくたくたになっている民にとってはまさに神からの恵みだった。ところが、来る日も来る日もそればかりが続くと徐々に不平が出てくる。またこれかよということになってくる。そして民は主の耳に達するほど激しく不満を言ったというのだ。そしてそれを聞いた主は憤り、主の火が彼らに対して燃え上がり宿営を焼き尽くそうとした。それでびっくりした民はモーセに助けを求めて、モーセが祈るとやっと鎮まった。
民の不満も一度はやんだようだが、しばらくするとまた泣き言が始まって、誰が肉を食べさせてくれないか、エジプトで食べていた魚やネギや玉葱やニンニクが忘れられない、マナばかりではたまらない、と言い始めた。魚やネギや玉葱やニンニクは奴隷の時に食べていたものだそうで、あの奴隷の時が懐かしい、あの時の方が良かったと言っているわけだ。
板挟み
モーセは神の言葉を民に告げ、また民の願いを神に伝えてもいた。そんな立場にあった。民がいろいろまずいことをしでかし神が怒るときには、神はモーセを通してそのことを民に知らせていたようだ。
民からはマナばかりだと言って不平を言われ、神からはどうして不満ばかりなんだといって憤っていると言われる。どうも一番まいったのはモーセだったらしく、神に向かって、もう不満ばかり聞くのも大変だからこれ以上苦しまなくていいように殺してくれ、なんてことを言う。そこで神は70人を選びなさい、その人たちにモーセに授けてある霊の一部を彼らに授けるという。つまりモーセひとりが担っていた神からの命令を、神からの務めを他の70人にも分けるようにするというのだ。そしてそれだけではなく、肉が欲しいと言ったからなのか、今度は神はうずらを与える、飽きるほど与える、エジプトを出てきたことに文句をいったからそうする、なんてことを言う。
モーセはそんな多くの肉を食べさせるなんてどうして出来るのか、どこに肉があるのかなんてことを言うが、神は、「主の手が短いというのか。わたしのことば通りになるかならないか、今あなたに見せよう」なんてことを言う。わたしにできないことがあると思うのか、できるかどうか見せてやるからよく見ておけと言うわけだ。
その後風に乗ってうずらの大群がやってきたというようなことが31節からのところに書かれている。
不平
民が不平を言い、神が憤る。旧約聖書に出てくる神はとても人間的に書かれている。けれども憤って罰を与えてそれでおしまいとしない。憤ってはいるけれど、ならばこれでどうだと言わんばかりに必要なものを与えるのはどうかなとはおもうけれども、とにかくマナを与え、うずらを与える。食べるのに困っていた民にとっては食べるものがないよりよっぽどいい。
重責を担っていたモーセも、もう死んだ方がいいと愚痴をこぼしたことから、神の務めを一緒に担っていく70人の人を与えられた。
不平言ったり、小言を言ったりして、そして神に怒られたりしながら、民はすこしずつ神の偉大さを知っていき、少しずつ整えられていったのかもしれない。
感謝
有り余るほどの恵みに感謝することもなく、またこれかよということの多い私たちだ。峠で丼を食べたときのような時には感激するけれども、すぐ忘れてしまうのが私たちだ。教会にしても、他のところでも、誰かが一所懸命にやってくれることが当たり前になってしまってなんとも思わない、ひとりで頑張って倒れてしまいそうになっているのに、それにもなかなか気づかないのが私たちだ。
当たり前すぎてなかなか気づかないことがいっぱいあるのだろう。気づかない恵みがいっぱいあるのだろう。気づかないで当たり前にしているとそこから不平や不満が出てくる。それに気づいていくとそこには感謝が出てくるだろう。
不平や不満ばかりを言って生きていくのか、それとも感謝して生きていくのか、私たちはどっちでも選ぶことができるのかもしれないと思う。宝くじが当たるとか、突然有名になってみんなからちやほやされるとか、ほとんど起こりそうにもない奇跡的なことが起これば感謝しようと思うけれども、今のこんな生活で感謝なんてないと思うことが多い。
でも実際私たちは一人きりで生きているわけでもなく、自分ひとりの力だけで生きているわけでもない。いろんな人の助けによって生きている。水や空気や、生きていくためのいろんなものを与えられてやっと生きている。いろんなことを神に感謝し、周りの人に感謝して生きていくのか、それともそれは当たり前で、どうしてもっとないのかといって文句を言いながら生きていくのか、それはきっと私たちが選ぶことができるのだと思う。
同じ生きるなら、感謝して生きた方がよっぽどいいだろうと思う。
私たちのまわりには私たちがまだ気づいていない感謝の種がもっといっぱいあるような気がする。そのことにもっと気づいていきたいと思う。また私たちの周りでひとりで重荷を負って苦労している人のことも気づいていきたいと思う。感謝も重荷も分かち合って生きること、それこそが私たちの喜びとなっていくことなのだと思う。
玉子丼を食べた時の感激をずっと覚えておくことは難しいけれども、毎日の食事のおいしさをその度に感謝していけたらと思う。みんなでこうやって礼拝できること、こうやって今日一緒に神の言葉を聞くことができること、このことから感謝していきたいと思う。