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礼拝メッセージより



説教題:「合格」 2003年5月18日 
聖書:イザヤ書 43章4節

 みなさんテスト好きですか。いつも何点取ってますか。

 私は大学に入学してから、車の免許を取るためにある教習所に行きました。そこで運転を教えてもらっていましたが、しばらくしてから運転の点数をつけることになりました。教習所のコースを一通り回って来る間、助手席に乗っている教官が点数をつけていきました。ひとつミスをする毎に赤鉛筆でチェックされていきました。テストが終わって教官が点数を言いました。
 「30点。」
 70点位取らないと合格しないのに30点しかなくてショックでした。本当に免許は取れるのか不安になりました。でもマイナス50点とか、マイナス110点という者もいたという話しを聞いて少し安心しました。

 テストでは30点とかいうこともよくありますが、お前の人生はマイナス110点なんて言われたらどうしましょう。なんだか生きていく元気もなくなりそうです。生きていく意味もないのかなと思ってしまいます。あなたは不合格です、あたなは人間として不合格です、と言われているみたいで生きる元気もなくなってしまいます。

 でも実際私たちの人生は何点位なんでしょうか。合格なんでしょうか。不合格なんでしょうか。あまり偉くもないし立派じゃないから30点くらいでしょうか。
 聖書には「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43章4節)なんていう言葉があります。神は私たちのことを、お前はとても高価な貴いものだ、と言っています。ということは実は私たちは合格だ、ってことなんじゃないでしょうか。ほとんど満点と言われているようなものなんじゃないでしょうか。

 私たちは自分のことも周りの人のことも駄目だ駄目だと思うことが多いけれども、神さまの見方は全然違うということかもしれません。
 あなたは満点、すばらしい、そんな風に言われたらどんなに嬉しいでしょうか。誰もそんなこと言ってくれたこともないし、言ってくれるはずがないとみんな思っているのではないでしょうか。でも神さまは、私にとってあなたは大事なのだ、とてもとても大事なのだ、私にとってあなたはとてもとても貴重なひとりなのだ、そう言ってくれています。そんな馬鹿なと思うようなことです。でもとても嬉しいことです。

 うまれたばかりの赤ん坊はみんなから大事にされて成長していきます。お父さんもお母さんも、ただ自分の子どもだというだけで大事にします。赤ん坊が立派だからとか、なにかしてくれるから大事にするのではありません。そして大事にすることで赤ん坊は成長していきます。人は、いい子だ、いい子だと言って大事に育てると本当にいい子になるそうです。
 私たちはどれほど大事な者なのでしょうか。私たちは生まれたばかりの赤ん坊のように何もできない者かもしれません。でも私たちも、神さまから大事だ、大事だと言われることで成長していき、大事な者として扱われることで本当に大事な者になっていくのだろうと思います。
 
 神さまは私たちを神の子どもとしてくれています。私たちが神の子どもとしてふさわしいからそうしてくれているのではなくて、ふさわしいとかふさわしくないとかに関係なく神の子どもとしてくれています。神の子どもとされて、神の子どもとして大事にされていく、あなたは大事なんだという神さまの声を聞いていく、そういうことで神の子どもとしてふさわしい者になっていくのだと思います。

 だから、あなたが大事だ、あなたはとても大切なのだ、という神さまの声をもっともっと聞いていきたいと思います。

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