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礼拝メッセージより
説教題:「苦難を越えて」 2002年9月22日
聖書:使徒言行録 27章1-44節
波瀾万丈
人生は筋書きのないドラマである、と言われる。全くだ。この先何が起こるか分からない、一寸先は闇である。明日の命も定かではないというのが実際なのだ。有名な中学校を受験するために塾に行っているという子どもが、テレビのインタビューで、将来は医者になりたいということを言うのを聞いて隣にいた母親が感激した、なんてのがあった。医者になりたいという願うことはすばらしいことなのか、その子が料理人になりたいと言ったら母親はどんな顔をするんだろうか、なんてことを思いながら見ていたが、それはともかく、医者になるにしてもなれないにしても、そうそう人生は思うようにはいかない。子どもの頃に思い描いていたようにいくなんてことはまずない。自分の願い通りになったとしたらいいのか悪いのかよくわからないが、そうは問屋が卸さないのが人生だ。
難船
ローマでもイエス・キリストのことを証しする、それがパウロに与えられた神の言葉であった。それが神の計画であった。神の計画ならローマで証しするまで、ローマへの道中も安心していけるような旅になってもいいような気がする。ところがパウロのローマへの旅は命がけの旅であったというのだ。
とらわれの身となったパウロは、カイサリアという所でその後2年間監禁される。それは総督がユダヤ人の気をひこうとして、あるいはパウロから金をもらおうとして、ずっと監禁していたというのだ。イエス・キリストを伝える宣教者が、人間の悪巧みによってもてあそばれてしまっているかのようだ。そして27章ではやっとローマに向かって出発することになる。それもパウロが皇帝に上訴したために護送されていくということだった。
パウロは他の囚人たちと一緒に、皇帝直属の百人隊長に預けられた。しかし隊長はローマの市民権を持つパウロを安全にローマまで届けないといけない。そのためか隊長はパウロに対して随分好意的である。船でカイサリアを出発した一行は翌日シドンに到着する。そこでパウロは、その地に住んでいる友人たちを訪ねることを許されている。
シドンを出た船は向かい風にあい、本来そのまま西に行くことができないのでキプロス島を風よけにするように北側を回り込むようにして航行する。そして陸地に近い所をどうにか西に進んでミラという所へ辿り着く。そこは西からの風を避けられる船の避難所になっていたようだ。
そのミラで百人隊長はイタリア行きの船を見つけて囚人たちをその船に乗り込ませる。ところがこの船もやはり強い北西の風を受けてなかなか思うように進めなかった。どうにかクニドス港に近づくが、強い風に行く手を阻まれて、南にまわり、クレタ島の陰を進んで、良い港と呼ばれるところにつく。
風のために予定が遅れてしまったのだろう、パウロは既に断食日も過ぎていたので、この後の航海は中断しようと行った。断食日とは、レビ記には第7の月の10日と書かれているそうで、今の暦だと9月から10月になるそうだ。当時は航海は日中だけで夜は休み、冬には海が荒れるので沖に出ないというのが常識だったそうだ。ところが船長たちは良い港ではなく、フェニクス港で冬を過ごした方がいいということで意見が対立したが、結局船長たちの意見が多数であったのでフェニクス港へ向かうこととなった。
丁度南風が吹いて来たので、錨を上げクレタ島の岸に沿って進んだ。ところが、まもなくエウラキオンと呼ばれる暴風襲われてしまう。クレタ島は2500メートル級の山があるそうで、その山から突然吹き下ろす風に吹かれたのだろう、船はそのまま流されるしかなくなった。どれほど揺れただろうかと思うが、どうにもならず、次の日には船を守るために積み荷を捨てるしかなくなった。三日目には船具までも捨てることになり、自分たちの命も危険になってきた。大事な積み荷を捨てるということはそれだけの損害を被るということでもあっただろう。しかしそのために自分の命を落としてしまってはどれほど財産を持っていても仕方ないことだ。荷物が結局は自分の命を危険にするということがある、財産が自分の命を危険にあわせるということがある、それにしがみついていては自分の命が危険になる、そんなことを象徴しているのかのようだ。
「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」という程だった。当時の航海術では、太陽と星から自分の位置を確認していた。ところがその肝心の太陽も星も見えなくなってしまうということは自分たちがどこにいるのか確認するすべがなくなってしまうということだ。全く望みが消えようとしている、もう死ぬしかないと誰もが思うような状況である。
そんな時にパウロがみんなに語りかける。私のいったとおりにしておけば、ということを言うがそれだけではなく、自分の正しさを言いたいがために語りだしたのではなく、船は失うが誰ひとりとして命を失う者はない、という神の天使の言葉を告げた。私に告げられたことは本当にその通りになる、必ずどこかの島に打ち上げられる、そういってみんなを励ました。ローマに行ってイエス・キリストを伝えることは神の変わらない計画なのだ、ということをパウロは語る。そしてそれは最初からパウロに告げられていた神の約束でもあった。
食事
14日目の夜、船は陸地に近づく。その時、船員たちが逃げ出そうとするが、どうにか止める。そしてパウロはみんなで食事をしようと言い出した。決して命を落とすことはないと言って、パウロは一同の前でパンをとり感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。イエス・キリストみたい。
風が止んで平穏になったから食事をしたのではない。嵐の中での食事だった。食事の後に穀物を海に投げ捨てないといけないという状況だった。強い風に吹かれ、激しい波にもまれながらも、そこで食事をしみんなは元気になったという。と思ったら違っていた。元気づいて食事をしたと書いている。そんなパウロの姿を見て元気になったので食事ができたようだ。
結局難破するが、神の約束通りに全員の命は助かった。食事をしたから難破した船から陸に上がることができたということかもしれない。その時兵士が囚人たちを殺そうとしたが百人隊長が思いとどまらせたなんてこともあった。
ある人の説教。
「すでに、船の中の指導力は逆転しています。揺れ動く船の中で、揺れ動く世界の中で、変わることなく、動くことのない御心の確かさに立っている人の姿がここにあります。もちろん、神に仕え、神を礼拝する者は、神に守られ、嵐を免れるということではありません。信仰者も、やはり同じように嵐に遭うのです。逆風に翻弄され、不安に陥り、恐れを覚えることもあります。この世の望みが絶え果てるような状況に追い込まれることもあるのです。しかし、神を礼拝する者は、そのような嵐のただ中で、なおも心を神に向けながら、静かに神を待ち望むことができます。「恐れるな」と語りかける神の声を聞くことができます。さらに、そのようにして神によって立たせていただいた者は、同じように嵐に悩まされている者たちに向かって、「元気を出しなさい」と語りかけることができるのです。太陽も星も見えず、人間的な知恵によっては自分がどこにおり、どこへ行こうとしているかさえ分からないような嵐の中にあっても、礼拝において神と向かい合うとき、私たちは神からのまなざしの中に捕らえられて、行くべき道を見出します。神を信じているからこそ、私たちは絶望しません。暴風の吹き荒れる時代にあっても、静かに神の言葉を聞き、神の言葉によって立ち上がり、神の言葉を宣べ伝える。神がお造りになったこの世界の救いを信じて、そのために祈りをもって仕えて行くのです。それが、神から私たち教会に託された、大切な伝道の使命なのです。」
風に吹かれ、波にもてあそばれつつ、パウロはローマへと近づいていく。総督やローマ兵にいいようにあしらわれ、船員に見捨てられようとしたり、兵士に殺されようとしたりしながら、それでも着実にローマへ近づいていく。
神を信じることは嵐に遭わないという保障とはならない。いろんな事があるのが人生だ。嵐の中で希望もなくすようなこともある。けれどもそんな時でも神が支えてくれていることを知る、それが神を信じるということだろう。