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礼拝メッセージの目次
礼拝メッセージより
手紙
ローマの信徒への手紙の16章は個人的なあいさつになっていて、手紙としてはここが終わりの言葉みたいなもので、手紙を書いた一番の目的もここに書いてあるようだ。
パウロは19節でエルサレムからイリリコン州まであまねく福音を述べ伝えたという。このイリリコン州というのは今のアルバニア、旧ユーゴスラビアのあたり、イタリアの海を隔てた向かい側だそうだ。そのあたりまでは全部の民族に伝えた。そして24節でこれからはローマを通ってイスパニアに行くという。次はイスパニア、つまりスペインに行く、その時にはローマに寄っていくのでよろしく、というのがそもそものこの手紙の趣旨のようだ。
しかしそのことを言う前に、自分の信仰をローマの教会の人たちに知らせ、同じ信仰である事を知らせて、今後ともよろしく、これからの伝道をよろしくということのようだ。
イスパニア
24節でパウロは、イスパニアに赴くという願いを述べている。
当時のローマ帝国は、地中海の周辺の地域だったが、エルサレムはその東の端であり、イスパニアは西の端だった。パウロは、その西の地の果てであるイスパニアにまで伝道したいという願いをもっていた。
しかし、このパウロの願いはかなえられなかったそうだ。しかしこの時点では、まだ念願のローマにも達していなかった。もう少しでイタリアというイリリコンまで来ていたが、この後ローマとは反対の方向エルサレムに向かった。それはどうしてもしなければならないことがあったからだった。それは、エルサレム教会のために異邦人から献金を集めるということだった。
エルサレム
26節に「マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。」とあるが、パウロはこの献金を持ってエルサレム教会へ行こうとしている。
エルサレムの教会には貧しい人が多かったようだ。
パウロは、福音の理解において、当初エルサレムの教会とは対立したようだ。
そこで、エルサレムの教会の代表者とパウロの属していたアンテオケの教会の代表者で会議がもたれた。それについては、使徒言行録15章に詳しく記されている。これはエルサレム会議とか使徒会議とか言われる。
エルサレム教会は、ユダヤ人が中心で、昔からの律法を重んじる立場だった。そこで、異邦人にも割礼や食事の規定を守らせるべきだ、という主張だった。それに対してパウロは、異邦人に伝道する場合、そのような律法を守らせなくても良い、という立場だった。そして、エルサレム会議ではかなり激しい議論の末、パウロの主張が認められ、異邦人には律法を守らせなくてもいいということになった。
これによって、パウロの異邦人伝道は、非常に活発に行われ、その結果多くの地に広く福音が伝えられた。そういう意見の対立はあったが、パウロはエルサレム教会を助けたいという気持ちをずっと持っていたようだ。そこでいろんな教会にも援助を依頼して、その献金をエルサレム教会に持っていこうとした。
祈り
パウロは、30節以下でローマの教会の人々に祈ってほしいと願っている。
今からユダヤに行こうとしているが、ユダヤにはパウロに憎しみを抱いているユダヤ人たちがいるのだ。そういう所へあえて行くと、何をされるか分からない。そこで、人々はパウロにユダヤには行かないように、と強く勧めた。
しかし、パウロには、エルサレムの教会に献金を届けるという使命を果たすという決意がある。そこで人々の反対を押し切って、エルサレムへと向かったようだ。この時パウロは、死をも覚悟していたようだ。
この辺の事情は、使徒言行録20-21章のあたりに記されている。ただ神の御心に従うことが出来るように、神が共にいてくれることを忘れないようにということだろうか。それでローマの人々にも祈ってほしいと願っている。さらにエルサレムでの使命を果たしたら、いよいよ念願のローマに行けるようにと願っている。
ローマ
しかしパウロはエルサレムで、彼に憎しみを抱いていたユダヤ人たちによって捕らえられ総督のもとに監禁された。彼はローマの市民権をもっていたのでローマで裁判を受けることを総督に願い出た。最初のうちその要求は無視されていたのだが、総督が代わった時に新しい総督によって認められ、囚人という形で船でローマに護送された。途中大嵐に遭って船が難破するなんてこともあったがついにローマへとやってきた。使徒言行録の最後には、ローマで2年間暮らし、多くの人と交わりをなした、と記されている。
でっかい喜び
しかしパウロのこの行動力はいったいどこから来るのかと思う。
パウロは17節で「そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています」なんて言っている。パウロは神のために働く事を誇りにし喜んでいるようだ。パウロは自分の願望を押さえて、自分を無理矢理打ちたたいて、自分の時間を犠牲にして、自分を無にして神に従っていたように思っていた。だからそんなこと絶対真似できないと思っていた。
でもちょっと違うような気がしている。自分を無にして苦しいことをただただ耐え忍んでいたのではないんじゃないかと思ってきた。
パウロは神のために働くことに、そのために世界に出ていくことに喜びを見いだしていたに違いないと思う。
パウロに特別に苦しいことに絶える力や自分の欲望を抑える力や自分を無にする力があったから、神の命令に従って世界に出て行ったんじゃなくて、神に従うことに喜びを見いだしていたからこそ世界に出ていったんじゃないかと思うようになってきた。
パウロを世界に出ていかせるほどの大きな喜びがそこにあったということなんだと思う。そんな大きな喜びをパウロはイエス・キリストを信じることで与えられていたのだろう。イエスがいつも共にいることに大きな喜びを感じていたのだろう。だからパウロはどこへでも行けたのだろう。私たちはその大きな喜びをまだ見いだしていないということかもしれないのだ。
この喜びを知ってほしい、是非伝えたい、パウロはそう願っているんじゃないかと思う。
イエスを知る喜び、イエスが共にいる喜びはあんたたちが思っているものよりもっともっとでっかいぞ、パウロはそう言ってるような気がしている。