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礼拝メッセージより
子供
自分より先に子供を亡くすというのはどんなにつらいことなんだろうか。いろんな事件や事故で若い人が亡くなるというニュースを見る。時々自分の子供が被害者になったとしたらどんなだろうかと想像することがある。想像するだけで恐ろしい。とても耐えられないような気がする。
ダビデの息子
ダビデの息子たちについて、3章2-5節に「ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。長男はアムノン、母はイズレエル人アヒノアム。次男はキルアブ、母はカルメル人ナバルの妻アビガイル。三男はアブサロム、ゲシュルの王タルマイの娘マアカの子。四男はアドニヤ、ハギトの子。五男はシェファトヤ、アビタルの子。六男はイトレアム、母はダビデの妻エグラ。以上がヘブロンで生まれたダビデの息子である。」とあある。また5章13-16節には「 ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた。エルサレムで生まれた子供たちの名は次のとおりである。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリフェレト。」とある。
アブサロム
三男アブサロムの母を同じとする妹タマルが、異母兄である長男のアムノンに強姦される事件がおこる。しかも強姦した途端に態度を翻してタマルを憎んで追い出してしまうというよく分からないことをする。そのことを知ったアブサロムは時を見て、復讐して兄アムノンを殺し、ヨルダン側上流の東にある、母の実家になるゲシュルに逃亡する。
この第一王位継承者アムノンを失ったダビテは「アムノンを悼み続けた」が、やがて「13:39 アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた。」と書かれているように、亡命して国外にいる王子アブサロムに期待し始める。
これを知った、ダビデの甥で軍司令官でもあるヨアブは、ダビデの歓心を得るために一計を案じ、ダビテとアブサロム間を取りなし、ダビデはアブサロムを赦すということで、エルサレムに呼び戻す。ところがダビデは何故かアブサロムと会おうとはせず、謹慎させて2年間も王宮に入るのを許さない。アブサロムはヨアブにダビデとの仲介を頼もうとするけれども、ヨアブも来てくれないので、ヨアブの大麦の畑に火を放ち、そこにやってきたヨアブに強引にダビデと会えるように仲介をさせる。
そこでアブサロムはやっとダビデに会うことができる。ダビデは「アブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。」(14:33)
二人は表向きは和解した形になった。けれども心底赦し合ったわけではなかったようだ。これ以降アブサロムは王の座を狙って着々と計画を進める。
アブサロムは母の国ゲシュルに逃亡していたが、ゲシュルはヨルダン川上流の東にあって、北イスラエルに近かったそうだ。ヨルダン川の向かい側が北イスラエルになる。そこで逃亡中に北イスラエルの諸部族との交流があったようで、北イスラエルの人たちがダビデ王に裁定を求めに来た時には、自分が裁き人ならば正義の裁きを行えると言ってその人たちに親切に接して、やがてイスラエルの人たちの支持を得ていった。
また、「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさを讃えられる男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった。毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった。」(14:25-26)と書かれているように、民衆の憧れであり、ダビデ王朝の王位継承者はアブサロムと当然視され、やがて南ユダ部族もアブサロムを支持したようだ。ついでにいうと髪の毛も多かっただったようで、一年で200シェケル、これは2kgあまりになるそうだが、それ位髪の毛もふさふさの美男子だったらしい。
そしてアブサロムはこの時40歳だったが、ユダ族の本拠地であるヘブロンで挙兵し、イスラエルの全部族に密使を送り、アブサロムがヘブロンで王となった、と言わせた。要するにクーデターを起こしたということのようだ。アブサロムは北イスラエル部族の支持を得て北イスラエルの王ということになる。
逃走
ダビデはアブサロムの方が優勢であると悟ってエルサレムから逃亡する。そしてアブサロムがエルサレムへ入城する。ダビデは自分のスパイをエルサレムに残し、そこから情報を得ていた。ダビデのその兵はヨルダン川を渡ってマハナイムに行くとそこで歓迎されたと書かれている。マハナイムで体制を整えてアブサロムとの戦いへと出て行く。
ダビデは自分自身も先陣に立って行こうとするけれども、部下たちから後方に残れと勧められてその通りにする。そして自分の兵たちにアブサロムは手荒に扱わないでくれと頼む。
これから戦いに出て行くのに、敵の大将を手荒に扱うなと言われると戦意も喪失してしまう。当時の戦いの目標は敵の大将をやっつけることだったそうだけれど、それなのに手荒に扱うなと言われると兵士たちも困ってしまうし気力もそがれてしまうだろう。そんなこともあって部下たちはダビデを後方に残るようにと進言したのではないかと思う。
戦いはダビデ側の大勝利に終わる。アブサロムはらばに乗って逃げている間に、樫の大木の枝に頭がひっかかり宙づりになったところを見つかったと書かれている。ふさふさの髪の毛が絡まって宙づりになったのではないかと思う。アブサロムを発見した兵士はためらうが、その知らせを聞いたダビデ側の司令官ヨアブはダビデの命令に背いてアブサロムを殺してしまう。
伝令
この戦いの結果を知らせるために二人の使いがダビデの下へ向かったというのが今日の聖書になる。アヒマアツはいつも伝令として王に報告に行っていたのだろうか。いつものように王に伝えようとするが、ヨアブは自分がアブサロムを殺したせいかどうか一度はアヒマアツを留めて、クシュ人(エジプト人)に伝令を頼む。しかしアヒマアツがどうしてもということでヨアブは許可する。
途中アヒマアツはクシュ人を追い越して先にダビデのもとに着き戦勝の報告をする。アブサロムのことについてはぼかしたけれど、後でやってきたクシュ人は戦死したことを告げた。そうするとダビデはひたすら悲しんだ。
ヨアブはそれを見かねて、折角戦いに勝利したのに大将が悲しむばかりでどうするのかとたしなめたなんてことが続けて書かれている。そのヨアブが実はアブサロムを殺した張本人でもあるというところがまたまた面倒なことでもある。
嘆き
自分の長男アムノンが母親の違う妹を力ずくで強姦してしまうがダビデはそのことに激しき怒ったと書かれているが、子供達はその事件をずっとひきずっていたわけだ。自分の権力を使って人の妻を奪った父の言うことなどまともに聞けなかったのかもしれない。妹を強姦されたアブサロムがアムノンを殺してしまう。自分のこども同士で強姦事件、殺人事件が起きてしまったわけだ。そして母親の国に逃げたアブサロムをエルサレムに呼び戻したけれども、自分が積極的に赦して呼び戻したわけではなく、アブサロムがエルサレムに帰ってからも結局2年間会わず、それも自分から会おうとしたわけではなかった。
戦いには長けていたかもしれないけれど、家族の中のごたごたで、うまく治める知恵も術もないかのようだ。結局は大切な自分の息子を二人失ってしまう。
何にしても子供を亡くすというのは耐えがたいことだと思う。ましてそれが自分の所為で亡くしたとなると悲嘆に暮れるしかない、自分を責めて嘆くしかないだろうと思う。
今日のダビデの嘆きは、そんな駄目な自分をいつまでも責め続ける、そういう嘆きだったのではないかと思う。
嘆き
いろんなところで迷い、失敗し、誘惑に負ける、問題にうまく対処することも出来ず、そんな自分を責め嘆く、それが私たち人間のありのままの姿なんだろうと思う。ダビデを通して人間のありのままの姿を聖書は伝えているんじゃないだろうか。人間とはこういうもんだ、あなただってそうだろう?と言われているような気がしている。
ここで格好良く神に祈ったなんて書かれていると、また立派なダビデ王ということになるのかもしれないけれど、ここにはそんなことは書かれていない。祈ることもできずただただ嘆くばかりだ。でも嘆いて嘆いて、嘆き疲れたその先に神はいてくれているのだと思う。落ちて落ちて落ち込んだその下から神は支えてくれているのだと思う。
私たちの神はそこにもいてくれる、そこにこそいてくれているのだと思う。