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礼拝メッセージより
神の箱
話しは飛んで、サウルが死にダビデが王となってしばらくした時の話し。ダビデがエルサレムに王宮を築き、キリヤテ・エアリムに置かれていた神の箱をエルサレムに運び入れようとした。神の箱にはシナイ山でモーセが神から託された十戒が刻まれた石の板が入っていた。
神の箱は、契約の箱とか主の箱という言い方もされる。出エジプトの時には契約の箱が先頭を進んだと書かれている。イスラエルの人達がカナンに定住するようになった時には、幕屋を立てたシロという所に置かれた。
後に、イスラエルがペリシテと戦うようになり、劣勢となったイスラエルは契約の箱を戦場に持ってくれば勝てると考えたが、結局はペリシテに負けて契約の箱はペリシテに奪われてしまう。ところが契約の箱を持っていった先々で災いが起こり、ペリシテ人は契約の箱を贈り物と一緒にイスラエルに丁重に返してきた。ユダヤ人たちは契約の箱をキリヤテ・エアリムの祭司アビナダブの家に移した。
それから20年余りが過ぎ、王となったダビデは、この神の箱をアビナダブの家から自分の町であるエルサレムへ移そうと考えた。精鋭3万を集めた、と書かれている。誰にも邪魔されないように、何があっても神の箱を守ろうということなんだろうか。
アビナダブの子ウザとアフヨが新しい車を御して出発したが、途中牛がよろめいたためにウザが手を伸ばして箱を押さえた。そうするとそのことで主が怒りを発してウザは神の箱の傍らで死んでしまった。一体何がそんなに悪いことなんだろうか。神の箱は車に乗せて運ぶのではなくレビ人のうちの許された人が担ぐことになっていたそうで、その点では間違ってはいるけれど、それで死なないといけないというのは訳が分からないという気がするが、聖書は神が怒りを発したために死んだと書かれている。
このことでダビデも怒って、神の箱をエルサレムに運ぶことを中止して、オベド・エドムという人の家に置かせた。そうするとオベド・エドムの家の者は祝福され、そのことを聞いたダビデは、再び神の箱をエルサレムへ運ぶ入れることにした。
そのあたりからのことが今日の聖書箇所になる。今回はしっかりと主の箱を担いできている。
ミカル
神の箱をエルサレムに運び入れたダビデは裸になって踊って喜んだ。しかしそれを見ていた妻のミカルはダビデに対して強烈な皮肉を言っている。
ミカルは先代の王サウルの下の娘でダビデを愛していたと書かれている。サウルはミカルと結婚するためにペリシテ人の陽皮100枚を持ってこいと言ってダビデを亡き者としようとしたことがあったが、ダビデは200人分の陽皮を持ち帰ってミカルと結婚した。その後ミカルはサウルに命を狙われているダビデを助けたこともあったが、ダビデが逃亡生活を続けている間にサウルはミカルを別の人と結婚させた。しかしサウルの死後、王となったダビデは強引にミカルを取り戻して妻としたようだ。その時のミカルの夫は妻が取り上げられた時泣きながら追ってきたと書いてある。
ミカルは結局ダビデの妻となったけれども、その時ダビデには既に複数の妻がいた。ダビデ家とサウル家の抗争はまだまだ続いていたようだが、ミカルを妻として迎えたのは、ただミカルが好きで忘れられなかったからではなくて、だんだんと権力を持つようになってきたダビデの、サウル家に対するしうちの一つだったのかもしれないと思う。一度は妻となっていたミカルが、その後他の人と幸せな結婚をしていることが許せなかったのではないかと思う。そもそも最初の結婚話の時にサウルからペリシテ人を100人やっつければと言われて200人やっつけた時も、ダビデはミカルとどうしても結婚したいからそうしたのではなくて、サウルがそうやってダビデを殺させようとした策略をただ見返したかったためにしたことなのかもしれないという気がしてきた。
最初の出会いの頃にはミカルがダビデを愛していたと書かれているけれども、ダビデがミカルをどう思っていたかは書かれていないと思う。むしろダビデはサウルの娘よりも息子のヨナタンの方を愛していたようで、ミカルのことは殊更愛しているというわけではなかったのではないかと思う。
だから主の箱をエルサレムに持ち運んで来たときにも、ミカルは冷めた目でダビデを見ていたんだと思う。そして冷淡な皮肉を言ったのだろう。ダビデとミカルの関係は冷え切っていたのだと思う。
今日の後半の二人の会話は、まるで夫婦げんかのようにも聞こえる。「家来の前で裸で恥ずかしげもなく踊るなんて、なんとご立派な王さまだこと。」というミカルに対し、「お前の父親は人前で踊ることもできない王だった。しかし主はこんな卑しい俺を選んだんだ。俺はこからも卑しいお前の父親のようなお高くとまった王にはならない」とでも言っているようだ。
ミカルが子を持つことがないまま死んだと書かれているけれど、これは二人が性的な関係を持たなかったということかもしれない。
思いやり
ダビデは立派な王さまとイメージがあって、今日の所も素直に喜ぶ純粋なダビデと、それを一緒の喜べないひねくれたミカルの話しのように思っていた。あるいはこれは間違った解釈なのかもしれないけれど、なんだかそんなことではないような気になっている。ダビデはミカルに向けて、サウル家に対する復讐をしているんじゃないかという気がしている。
そうするとダビデに対して、主の箱が来たからと言ってただ脳天気に喜んでいていいのか、という気になってくる。結局はミカルを王の妻という立場に閉じ込めてしまって、しかも実質は妻として接していない、大切に扱っていないとしたら、ミカルも嫌味の一つも言いたくなるのも無理はないなあと思う。これはミカルに出来る精一杯の抵抗がこの発言だったのかもしれない。
人間の心はなかなか変えられない。自分の命を狙っていた相手をきれいさっぱり赦す、まるでなかったかのように赦すなんてことはそうそうできないと思う。
ダビデは洞窟でサウルを殺す機会があったのに敢えて手を出さなかった。その時には命を狙う相手に復讐することはなかった。しかし復讐心がきれいさっぱりなくなったわけではなかったんじゃないかと思う。サウル亡き後、その対象がミカルになったんじゃないかと思う。前の夫は別れさせられるときに泣いてついてきたと書いてある。かつてはダビデを愛していたのかもしれないけれど、ミカルは幸せな結婚を壊されて強引にダビデの下に連れてこられたようだ。権力を持つダビデにはとても逆らえなかったに違いない。
一緒に喜んでもらえないなんてのはとても悲しいことだ。しかしダビデはミカルに対してひどい仕打ちをしているから一緒に喜んで貰えなかったということなんじゃないかと思う。相手を大切にしてこなかったから、一緒に喜んでもらえず、逆に嫌味を言われてしまうようなことになったのではないか。
ダビデにもう少し赦す心があれば、もう少し相手を思う心があれば、こんな皮肉を言われることもなく、一緒に喜べたんじゃないかと思う。そんな思いがあればそもそも強引に妻にすることもなかったのかもしれないけれど。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」なんて言葉もある。なのにどうして一緒に喜んでくれないのかなんて思うこともあるけれど、そんな時は、相手のことをどれほど想っているか、大事にしているのかと問われているのではないか。