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礼拝メッセージより
LGBT48
AKB48とかNMB48とかいうアイドルがいる。乃木坂46というグループも聞いたことがある。乃木坂なんだからなんでforty-sixなんだろう、「よんじゅうろく」でいいじゃないか、なんて思うけれど。
それはそうとラジオで知ったけれど、LGBT48というグループを作ろうという計画があるそうだ。もうすでに何人かメンバーはいると言ってたかな。その名の通りセクシャルマイノリティーの人達のグループだそうだ。セクシャルマイノリティーの人は13人に一人の割合でいるそうだ。少数派と言えば少数派だけど、本当は全然珍しくないということだ。クリスチャンの方がよっぽど珍しい。一方自分は心も身体も男だとか女だと思っている人のことをストレートというそうだ。世の中男と女とにきれいに分かれていることが当たり前のように思っていたけれどそうじゃなかったことを今更知らされている。
大バビロン
17-18章はローマ帝国に対する神の裁きが書かれている。ローマは17章で淫らな娼婦「大淫婦」と呼ばれ、赤や紫の衣裳と金や宝石で実を飾り、淫らな酒で人々を酔わせるという悪魔的な存在として描かれているが、小羊であるキリストによって滅ぼされる。
そして18章ではローマは「大バビロン」と呼ばれ、ヨハネは大きな権威を持っている天使の、「倒れた、大バビロンが倒れた」という声を聞いた。
バビロンは600年ほど前にイスラエルを滅ぼしたバビロニア帝国の首都で、多くの人達が補囚されて行った土地だった。ヨハネはローマをかつてのバビロンになぞらえているようだ。
現実には教会は「ローマは一日にしてならず」とか「全ての道はローマに通ず」と言われるような大きな権力を持っているローマを前にしておののいているような状態だったのだろう。皇帝礼拝を迫る強大な権力に対して、無力な教会はなすすべもないというような状態だったようだ。
しかし天上では小羊であるキリストが勝利している、もう勝敗は決まっている、かつて強大な力を持っていたバビロンもやがて滅ぼされたように、ローマもやがては倒れると宣言している。そして彼女から離れろ、その罪に加わったり災いに巻き込まれたりしないようにしろと言われる。神が裁くから逃げていろということのようだ。4節以下のの、彼女がしたとおりに仕返しせよ、倍にして返せ、と言うのは裁きを執行する者への言葉のようだ。
富
教会にとってローマへの裁きは迫害からの解放となることである。しかし地上の商人たちは買う者いなくなることを泣き悲しむという。8章12-13節にいろんな商品の名前が並んでいる。「その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間である。」贅沢な商品もいっぱいあるし、奴隷や人間も商品になっている。
こういった商品が満ちあふれていて、贅沢に暮らしていたのがローマの実体であり、それが裁きの原因ともなったということなんだろう。誰かが贅沢になることで、誰かを貧しく苦しめている、そのために裁かれるのだと言うことなんだろうと思う
洗脳
聖書教育のコラム中に原発について書かれていた。『原発はもう手放しましょう』という本の中に「日本が原子力にしがみつく理由は「金儲け」と「軍事利用」しか思い当たらない」と書かれているそうで、その通りなんだろうと思う。そして「軍事利用」というのも結局は金儲けなんじゃないかという気がしている。軍備を持つことで儲かる人達がいて、その人達にとっては敵が必要になる、そのためにいつも敵を作っているんじゃないかという気がしている。
根本は金を儲けるためにしていることのような気がしている。自分が少しでも多くの金を手に入れることが第一で、そのために不都合なことが起こっても、誰かが苦しんでも、誰かが犠牲になっても、そんなのは二の次になっているんじゃないのかという気がしている。そして一部の人達の所に富が集中するシステムになってしまっていて、しかもそれが当たり前というか、この世の中そんなものだ、金持ちが勝ち組でお前等は負け組なんだ、貧乏なのはお前等のせいで仕方ないことだと思わされているんじゃないかという気がしている。
昨日のラジオで男性学の研究をしているという大学の先生が出ていた。男は男らしく、女は女らしくと言われることで、自分でもそうあらねばと思うことで苦しみ、そうできない自分を責めるというようなことがある。男は会社に行くもので、定時に帰るという本来当たり前のことが難しいことになっているとか、男は黒っぽいスーツを着るしかなくておしゃれもできなくなっている、なんて話しをしていた。
前に話したかもしれないけれど、インターネットで読んだ話をデパートに勤める人の相談を思い出した。自分の仕事は経理なので銀行が休みの土日には仕事が少ないのでその日に有給休暇を取ろうとした、ところが上司はデパートは土日が忙しいので経理でも土日に休暇を取ることは許されないと許可してくれい、これはおかしいのではないかという相談だった。僕は上司が間違っていると思ったのに、その相談に対して多くの人が、勝手に有給を採れるなんて思ってる方がおかしい、デパート務めなんだから仕方ない、というように答えていて、上司がおかしいと言う人は少数だったのでびっくりした。
またこれもインターネットでことだけれど、何か悪いことをした人とかおかしな人がいるとすぐに中国人のようだとか、朝鮮人なのかとか、まるで半島人だ、というようなことを書く人が結構いる。韓国や北朝鮮や中国の人が全部悪人であるかのように思っているような節がある。
いろんなことが案外誰かによって思わされている、洗脳されているようなことが実はとても多いのではないかと思う。実は権力者によってそう思わされていることがとても多いんじゃないかと思う。
原発にしても基地にしても、反対してるのは一部の頭のおかしな人達だというように思わされているんじゃないか、男は外で働く、しかも遅くまで残業するのが当たり前、有給なんてとれないのが当たり前と思わされているのではないかと思う。
大切なこと
今私たちは当時の教会がローマ帝国から受けたような迫害はない。しかし私たちも権力などから得体の知れない圧力を受けているのではないかという気がしている。
黙示録はローマから逃げなさいと言っている。ローマの贅沢を目指す生き方に染まるなと言うことだろうと思う。そして私たちに対しても、今のこの世の中の金儲けを第一とするような風潮に染まるなと語りかけているのではないかと思う。
そうではなく本当に大切なことはなんなのか、それをしっかりと見極めるようにと言われているのではないか。それは結局は自分のことだけではなく隣人のことを心に留めること、自分を愛するように隣人を愛することだろうと思う。要するに神に、イエスに聞いていくこと、神に従っていくこと、それが大切なことなんだと思う。
当たり前と思っていることが実はそうではないということがいっぱいあるんだろうなと思う。人間は男と女にきれいに分けられると思っていて、そうじゃない人はおかしな人、変わった人のように思っていたけれどそうじゃなかった。昨日のラジオでは、所謂女性的な部分と男性的な部分を誰もが持っていて、その度合いが人それぞれなんじゃないか、男と女という2種類ではなくて、それこそ何十億種類ということじゃないかなんて話しをしていてなるほどと思った。
ずっと男なのにとか女なのにという見方をして相手を苦しめ、また自分を苦しめきてきたような気がする。それはまさにイエスが一番嫌っていた個人を個人としてというか、一人を一人として認めない、大切にしていない見方なんだろうなと思う。
男と女のことだけではなくて、本当はそうじゃないのに当たり前だと思っている、思わされていることがいっぱいあるんだろうと思う。まだ気付いていないこともいっぱいあると思う。だからこそ何が大切なのかということをもっともっとしっかりと聞いて生きたいと思う。イエスは何が大切なのかということを繰り返し繰り返し語っていたなあと思う。