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礼拝メッセージより
神話
不思議な物語である。が似たような話しはいろんなところにあるそうだ。ギリシャ神話の中にもあるらしい。アポロ神の母レトは、生まれたばかりのゼウスの息子を殺そうとした大蛇ピュトンから逃れてデロス島に身を寄せた。アポロは殺されずにすみ、デルフィへ戻り大竜を殺した。ヨハネはそういった神話の登場人物を置き換えて新しい物語にしている。
天上の出来事
一人の女はマリア、女の産む男の子がイエス・キリストを意味していると解釈することもできる。太陽や月や星の冠が出てくるが、ほとんど飾りのようなもののようであるが、12の星ということでイスラエルの12部族をということを示しているのだろう。そうするとイスラエル民族ということになるかもしれない。
女の産んだ子どもは、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた、という。詩編2編の7節以下の所に、新しいイスラエルの王がそのように「鉄の杖で彼らを打」つと書かれている。つまりこの子はイスラエルの王であるメシア、キリストであるということだ。そしてこの子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられたという。もともとの神話には子どもが玉座につくというようなものはない。つまりそれはヨハネがあえて神話に付け加えたことがらである。つまりイエスは死んで玉座に引き上げられた、イエスの死は王として即位するということであったということだ。イエスの死は敗北ではなく勝利なのだということだ。
竜はこの子どもを食べてしまおうとしていたが、子が勝利して玉座にあげられたので女を追っていった。竜は年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者、と言われている。サタンとはもともとは告発者というような意味の言葉らしい。つまり私たちのことを神に告発する者、というようなことを意味しているようだ。10節に、告発する者が投げ落とされた、とある。
その竜とミカエルとの戦いが起こり竜は負けて地上に投げ落とされた。ミカエルはイスラエルを守る天使であるとされていて旧約聖書にも登場する。天上での戦いでミカエルは勝利した。このところではイエスのかわりにミカエルが登場する。しかし結局は神の側が竜に勝利するということで、ミカエルの勝利はイエスの勝利でもある。天においてイエスは竜に完全に勝利している。そしてその勝利はイエスが死ぬことで玉座に引き上げられたことによる。
イエスの死が天上での勝利につながっている。イエスの死は悪に対する勝利なのだ。十字架の死はいかにも無力な敗北のように見える出来事である。しかしそれは天においては竜に対する、悪に対する完全な勝利であるということだ。
天上では竜の居場所はもうない。天上ではもう決着がついたということだ。天ではもう決着がついてしまっているというのだ。イエスの勝利が決定したということだ。
竜は地上へ投げ落とされたと知り、男の子を産んだ女を追った。しかし女には竜から逃れる自分の場所が用意されていてそこに逃げた。竜は口から水を吐き出して女を流そうとするが大地が女を助けた。女には鷲の翼が二つ与えられたとあるので、大地が助けるまでもないような気もするけれど。
兎に角女が守られたので竜は女に対して激しく怒り、子孫の残りの者、つまり神の掟を守り、イエスの証を守り通している者たちと戦おうとして出ていった。つまりそれは今迫害され苦しみに会っている教会の者たちの所へきた、ということだろう。教会の苦しみはそうやって竜が地上に落とされたからだということのようだ。
竜
竜は天上での戦いに敗れている。負けたから地上へと落ちてきた。だから今の自分たちの苦しみがある。しかしそれは所詮神との戦いに負けた竜による苦しみである。竜は神に敗れた者でしかないのだ。最後の悪あがきをしているにすぎないということだ。
今は迫害に遭って苦しんでいるが、その苦しみも竜の最後の悪あがきによるものでしかないということだ。私たちはその竜に支配されてしまっているのではない。竜は現実に私たちを苦しめてはいる。しかしそれも短い期間の出来事でしかない。竜は残された時が少ないと知って悪あがきをしているだけだ。だからこそその短い時を堪え忍んでいこうとヨハネは教会を励ましているのだ。
有限
竜による苦しみは無限に続くのではないという。1260日、それは一ヶ月が30日×12ヶ月で1年を360日とすると丁度3年半となる。「一年、二年、また、半年の間」というのも、1年と2年と半年を合わせると3年半となる。3年半とは7年の半分。7は黙示録では完全数ですべてを意味する。その7の半分ということで、無限ではなく有限であるということを意味している。つまり今のこの苦しみは永遠に続くのではなく、やがて終わるということだ。
状況
当時の教会の状況は、本格的な迫害が迫ってきていると感じられるような状況であったらしい。もうじき本格的な迫害がやってくる。しかしそれは悪魔が勝利したためではないんだ、竜が地上に落とされることで起こる迫害だということだ。竜が天上での戦いに敗れて地上に落とされることで起こる迫害であるということだ。だから決して神が敗れたわけではない、イエスが敗れたわけではない、十字架でいかにも敗北してしまったかのような死だったけれども、イエスの死は決定的な勝利だったのだ、というのだ。
そして今地上で迫害があること、苦しみがあることは天上で神が勝利したから、負けた竜の悪あがきによるしばらくの間の苦しみなのだ、この地上の苦しみは実はイエスの勝利の証しなのだ、ということを黙示録を書いたヨハネは告げているのようだ。
苦しみはもう少し続く、しかしイエスはすでに勝利している、だからこの苦しみを耐え抜いてほしい、ヨハネはそうやって苦しみにある教会を励ましている。また苦しみに遭っている自分自身をも励ましているんだろうなと思う。