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礼拝メッセージより
封印
ヨハネが見せられている幻が続く。
小羊が巻物の封印を解く毎にいろいろな災いが起こる。
天上
一方天上には、世界中から集まった白い衣を着て手になつめやしの枝を持つ大群衆がいる。そして玉座にいる神と小羊を讃美している。
そして長老の一人がヨハネに、この白い衣着ている者たちは誰か、どこから来たのかと聞いた。なんて話しになっているが、彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣は小羊の血で洗って白くした、だから昼も夜も神殿で神に仕える、もはや飢えることも渇くこともない、なんてことが言われる。
裏返し
地上ではローマ皇帝を礼拝することを強制され、それに逆らう者は処罰されていた。イエスをキリストと信じることで迫害され、命の危険も迫ってくるような状態だった。黙示録を書いたヨハネも、皇帝礼拝を拒否したためにパトモス島に島流しにされていたのではないかとも言われている。地上ではそんな艱難辛苦の満ちていた時代だった。
しかし天上では苦難を通り抜けた世界、艱難辛苦のない世界があるということのようだ。傷つき苦しめられたけれども、小羊の血によってすべてを癒された人達が集められているというわけだ。
目に見える現実は苦しいことばかりだけれど、その苦難には目に見えない裏側があるということを言っているようだ。目に見えない所には神と小羊がいる、そして苦しみを通り抜けてきた者たちがいる、苦しみの向こう側に艱難辛苦のない世界が待っている、ということをヨハネは幻で見せられたということのようだ。
希望
今は表だって信仰的な迫害を受けるようなことはないけれども、周りの多くの人達との意見の違いに戸惑ったり、少数派の悲哀を味わったりすることはある。
しかしそれよりも自分の内情を見て苦しい思いになっている。礼拝の人数、会計の数字を見て落ち込んでいる。あるいは誰かと話しをする時に、ついつまらぬことを言ってしまって相手にいやな思いをさせてしまったり、あるいは頼まれ事を忘れたり、いろんなことを失敗したりして自分を嘆き落ち込んでいる。自分の無能さや自分の無力さを嘆き、そんな自分を自分で責めている。
外からの攻撃はほとんどないけれど、自分自身で自分を攻撃するというか、自分で自分を嘆き、自分で自分を責めて苦しめているような気がしている。
黙示録の時代とは違うけれど、私たちにとっても見える現実は苦しいことばかりだと思う。でも私たちも見える現実だけを見るのではなく、見えない裏側を見なさい、と黙示録は伝えているのではないかと思う。
見えないところで神は支えているということ、見えない所で神がすべてを支配しているということを忘れないようにと励ましているのだと思う。
内なる神
誰かの説教の中にあった言葉を週報の裏側に載せた。ネットで調べるとケント・キースという人の言葉で、マザー・テレサが感動して「カルカッタ孤児の家」の壁にその言葉を書いたと説明があった。マザー・テレサの言葉だと思っている人が多いみたいだけれど。
『あなたの中の最良のものを』
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです
この言葉によると、誰にも評価されなくてもそれをしなさい、結局は自分と内なる神との間のことなのだと言っている。
天上では大群衆が讃美していると言われても、それの希望を託していけるんだろうかと思う。やがては大逆転が起こると言われても、いつやってくるのか分からない未来に希望を託すのも難しいと思う。しかし神は今もう既に私たちの内におられるのだ。
私たちが見える現実は厳しいかもしれない、けれども見えない神は私たちの見えない心の中にいてくれているのだ。だから私たちはこの神の声を聞いていく。見える現実は厳しいけれど、見えない神の声を聞いていくのだ。