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礼拝メッセージより
逮捕
ヨハネによる福音書18章の前半を見ると、最後の晩餐を終えたイエスたちはキドロンの谷の向こうにある園でイエスが捕まり、アンナスのもとへ連れて行かれたことが書かれている。
このアンナスは悪名高い人物だった。ユダヤ民族が自由だったころは、大祭司は死ぬまで任期をつとめるという時期があった。しかしローマ帝国に支配されるようになると、ローマ政府の命令に最も積極的に従う人間に大祭司職が与えられ、賄賂を使ってその地位と権力を手に入れるようになった。アンナス一族は莫大な富を持っていて、陰謀と収賄によって次々と要職についた。13節に、アンナスはその年の大祭司カイアファのしゅうとだったと書かれているが、自分は大祭司をやめたけれど自分の一族に大祭司を引き継がせていき、実権はそのまま持っていたそうで、それでイエスはアンナスのところへ連れて行かれたようだ。
アンナス一族は神殿から自分達の富を築く手段を持っていた。当時神殿の異邦人の庭には、犠牲のための動物を売る商人がいた。神殿にささげるいけにえは傷も汚れもないものでなければいけなくて、検閲官がその通りかどうかを調べていた。神殿ではいけにえを捧げるわけだけれど、神殿の外からもってきたいけにえは必ず検閲をうけないといけなかった。しかしだいたい必ず欠陥が見つけられた。いちいち検閲されて、これはだめ、これもだめ、と言われてばかりいると面倒になってくる。一方神殿の屋台でもいけにえが売られていて、そこで売られているものは検閲済みであるということになっていた。自分で持ってくると駄目出しされて面倒なのでどうしても神殿の屋台で買うようになってしまう。ところが神殿の外で買うよりも十倍も二十倍も高かったそうだ。そこで儲けた金でアンナス一族は富を築いたようだ。
イエスが神殿の屋台をひっくり返したことがあったが、そんな背景があったということだ。だからアンナスにとってイエスは自分たち一族の富と立場を脅かす危険分子だった。
アンナスはイエスに弟子たちのことや教えについて尋ねたがイエスは自分に聞くのではなく証人に確かめろと答えた。どうしてそんなことを言ったのというと、ユダヤの裁判では答えることによって罪を認めることになるような質問をしてはいけないというのが基本原則だった。つまり無理矢理自供させるようなことをするのではなく、証人の証言によって証明するというのが原則だった。だからイエスは、話しを聞いた者に尋ねなさい、悪いというなら悪いことを証明しなさい、と言ったのだ。
挫折
そしてついにイエスが捕まえられてしまうことになる。
ヨハネの福音書ではその時イエスが弟子たちを去らせるように言ったとなっているが、他の福音書を見ると、イエスが捕まったときに弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げてしまっている。弟子たちはイエスが去らせてくれたのでそそくさと逃げたのだろうか。
しかしペトロともう一人の弟子、これは誰だかはっきりしないが、この二人は勇気を出して大祭司の官邸に向かった。といっても、イエスを助けに行くというようなことではなく、どんな様子かをうかがいに行くといったことだったようだ。
すると門番の女中に、あなたもイエスの弟子の一人ではありませんかと聞かれて、違うと答えている。中庭に入っていくと、もう朝方で冷えてきていたのでろう、僕や下役たちが火に当たって暖を取っていた。その中にペトロも紛れ込んだ。するとここでも、お前もあの男の弟子の一人ではないのかと聞かれ、また違うと答えた。するとこんどは、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者がそこにいて、庭園であの男と一緒にいるのを見られてるんだぞと言われたが、それも否定してしまった。すると鶏が鳴いたという。
ヨハネによる福音書ではその時ペトロがどうしたかは書かれていないが、他の福音書を見ると、鶏が鳴いたことでペトロは、鶏が鳴く前に私を知らないと言うと言ったイエスの言葉と、自分が「たとえ、一緒に死なねばならなくても、知らないなんてことはいわない」と言ったことを思い出して泣いたなんてことが書かれている。
ペトロはある時にはイエスに対して「あなたこそ生ける神の子キリストです」と言い、そのすぐ後でイエスが、わたしは処刑されると言い出したときには、そんなことないでしょうと言ってイエスをいさめて、イエスからサタンよ、悪魔よなんて言われている。
情熱家、熱血漢の様に見える。ここぞと思ったときにはまっしぐらで、周りのこともよく見ないで突っ走るようなところがあったのではないかと思う。自分自身でもそんな自分に酔いしれていて自慢に思っていたのかもしれない。
だとするとこの時イエスを知らないと言ってしまったショックは余計に大きかったのではないか。なんというだらしない奴だと自分のことを攻めていたに違いない。大の大人が泣くほどだから相当のショックだ。それほど自分のことが情けなかったのではないだろうか。どこまでもイエスについていくつもりであった。たとえ死ぬことになってもそうするつもりだった。その時にはその自信もあったのだろうし、だからこそみんなの前で公言した。
それなのに、なんだかよくわからんうちに、突然イエスは捕まえられてしまった。急に状況は変わってしまって、気持ちの整理もつかないままについ逃げ出してしまったのではないか。でもやっぱり気になってこっそり様子を見に来てみると、今度はお前も仲間だろうなんて言われて、つい知らないと言ってしまった。
ペトロはそれまで、自分こそ一番の弟子だ、みんなの先頭に立って従っていくんだと言うような自信を持っていたのではないかと思う。そんな自信はこの時に木っ端微塵に砕け散ったのではないかと思う。死んでもついていく、と偉そうに言った言葉も取り消したいような思いだったんじゃないかと思う。そして自分の情けなさ、惨めさ、恥ずかしさ、そして弱さを突きつけられて打ちのめされたんじゃないかと思う。
信仰
しかし、ここにペトロの原点があるのだと思う。
ペトロは自分のことを嘆きつつ、そこからイエスの言葉をもう一度噛みしめたのだろうと思う。自分の駄目さやだらしなさの中に響いてくるイエスの言葉を聞き直したのだろうと思う。むしろ自分自身の中にある自信が砕け散ったからこそイエスの言葉がしっかりと聞こえてきたのだろうと思う。
ヨハネによる福音書21章には、復活のイエスがペトロに、わたしを愛するかと3度聞かれたという話しが載っているが、これはまさにエスの十字架の後に、ペトロが心の中で交わしたイエスとの会話だったんじゃないかと思う。
神を信じると言うことは、自分を頼ることではない、自分を頼りとしない、と言うことだ。自分自身の熱心さとか信仰深さとか、まじめさに頼ることでもない。ペトロはここで挫折した。しかしその挫折によってペトロはイエスを見つめ直したのだろう。涙でかすむ目で、自分の惨めさをいっぱい抱えてもう一度イエスを見つめ直したのだと思う。自分のだらしなさを知ってそれを自分で認めた時から、イエスの本当の姿が見えてくるようになったのだろうと思う。
大口をたたく裏切り者をも愛し、弟子として見捨てることのなかったイエスの偉大さを知ることになったのだろうと思う。
自慢?
ペトロがイエスを知らないと言ったことは四つの福音書全部に載っている。きっと有名な話しだったのだろう。ペトロにとっては恥ずかしい、隠しておきたい話しだったんじゃないかと思う。黙っていれば案外知られない話しだったのかもしれない。
でもそれが伝わっているのはペトロ自身がこのことをみんなに話してきたからじゃないかという気がしている。ペトロにとってここが原点だったのではないか、だからこのことを語らないわけにはいかなかったのではないかと想像している。
もちろんペトロにとっても裏切り、挫折、失敗はとてもつらいことだったに違いないと思う。自慢げに話せるようなことでもなかっただろう。ペトロにとって、鶏の鳴き声はその後も身にしみる声だったに違いない。話す度に心の中の傷に触れるような思いだったのではないかと思う。しかしその心の傷の痛みを思う度に、またその傷を覆い尽くす神の愛、忍耐をまた毎朝確認していたことだろう。
こんな自分をイエスは全部受け止めていてくれた、そして今も全部受け止めてくれている、ペトロはそのことを傷に触れる度に確認していたのではないかと思う。
自分はそれほど悪い人間じゃない、それほど駄目な人間じゃない、それほど嘘つきじゃない、と思いたい。あの時はあんなこともあったけど、あんな状況だったから、なんていろんな口実をつけて自分のだらしなさや罪深さを認めたくない気持ちがある。そんな風に自分の弱さを認めることは苦しいことだ。自分の間違い、また罪を認めることは苦しいことだ。でもそれを認めることで、初めてイエスの本当の姿が見えてくるようだ。そんな私たちをイエスは見つめ続けている。私たちの心の中にイエスがいるならば隠しようがない。
しかし逆に言うと隠す必要もない。挫折し泣き崩れている私たちをイエスの暖かい愛のまなざしで見つめてくれているからだ。私たちの傷も挫折もだらしなさを含めて全部受けとめてくれているからだ。心の中の一番深い暗闇をも全部抱きかかえてくれている、だから私たちは何も隠す必要がない。
イエスは私たちの心の中の一番深い暗闇の中にもいてくれている。