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礼拝メッセージより
ひとりの盲人
9章にひとりの盲人が登場する。イエスは通りすがりに、その生まれつき目の見えない人を見かけた。彼は物乞いであったと書かれている。目が見えないことで通りすがりの人に物を貰うことでどうにか生きていたのだろう。
弟子たちは、その人が生まれつき目が見えないのは誰の罪のせいなのか、と聞いたなんていうことが出てくる。本人なのか、両親なのかと。
目が見えないで生まれたのは罪のせいであるというのが大前提なのだ。目が見えないことは罪の結果なのか、罪の結果ではないのかと聞いているのではない。見えないのは罪の結果であるというのが常識だった。だから弟子たちは誰に罪があるのかと聞いた。本人か、両親か、どっちなのだと。
しかしイエスは、本人の罪のためでも両親の罪のためでもないと答えた。周りの人たちにとっては全く想像も出来ないような答えだったのだろうと思う。誰の罪の結果なのかと聞いたのに誰の罪のせいでもないと言うのだ。誰のせいでもなく神の業がこの人に現れるためだと言った。
そして地面に唾を吐き、その唾で土をこねてその人の目に塗った。えらく汚いやり方である。そしてシロアムの池に行って洗いなさい、と命じる。その人はその通り実行して見えるようになって帰ってきたという。
神の業
しかしこの神の業が現れるため、とはどういうことなのか。そこで奇跡を起こすためなのか。では目が見えるようになるというようなことこそが神の業なのか。
目の見えなかった人の変化は目が見えるようになるだけ、ではなかったようだ。彼はかつては物乞いをしていた。目が見えないことは罪があることだ、罪が赦されていない者だと考えられていたのあろう。本人もそう聞かされてきて、そう思って生きてきたんだろうと思う。そして罪のある者は社会のまともな一員に入れてもらえてなかったようだ。ほとんど邪魔者のように見られて差別されていた。だから物乞いをするしかなかったのだろう。ただそこに座っているだけの生活がずっと続いていたのかもしれない。
しかし目が見えるようになったことでどうも彼の顔つきも変わったようだ。近所の人たちも似ているだけだと言う人がいた。ということは相当顔つきもかわったのだろう。
彼は後でファリサイ派から尋問されている。22節に「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表すものがいれば、会堂から追放すると決めていた」と書かれているように、そこで下手なことを言うと会堂から追放される恐れがあった。当時はユダヤ教社会だったので会堂から追い出されるということは社会から追い出されることでもあった。言ってみれば非国民になることでもあった。
けれども盲人だった彼は自分の意見を堂々と自分に起こった出来事と自分を癒してくれた方は神から来た方だと主張する。目が見えない時と見えるようになった時の一番大きな違いはそんな彼の心の中だったのかもしれない。見えるとか見えないとかいうことよりも大きな変化だったような気もする。そしてそんなふうに彼に生きる自信を与えること、それこそが神の業だったのではないかと思う。
元盲人
尋問の後、元盲人はファリサイ派に外に追い出されてしまう。しかしイエスはその元盲人に会い「あなたは人の子を信じるか」と問い、自分がそれであると告げると、元盲人は、「主よ、信じます」と言ってひざまずいた。
そして自分が来たのは見えない者が見えるようになり、見える者が見えない者になる、なんていう話しをする。また自分達も見えないのかと言うファリサイ派の人々に対しては、今見えると言ってるから罪は残る、なんて分かるような分からないような話をする。
羊
それに続いてイエスは羊と羊飼いについてのはなしを始めた。
羊飼いの仕事は、野生の動物、特に狼から群れを守ること、あるいは羊を盗もうとする盗人や強盗から羊を守るという危険なものだった。
パレスチナの羊飼いたちは、自分の羊をわが子のように大切にして、一匹一匹名前をつけ、それぞれに羊の持つ特徴や性格を熟知していた。羊と羊飼いはつねに寝起きをともにして、馴らされた羊は名前を呼ぶと羊飼いの所へ近づいてきた。普通、羊が外に出て迷わないように、羊が飛び越すことが出来ない高さに石を積んで、大きな囲いをつくった。
また羊は大部分が羊毛を取る目的で飼育された。だから羊と羊飼いは何年も一緒に暮らすということもめずらしくなかった。だから羊に名前をつけ、その名前を呼ぶと羊も羊飼いの所へやってくるようにもなっていた。そして見知らぬ人が呼んでもそこへ行くようなこともなかった。
羊の門
羊は夜は羊小屋の中に入れられた。その小屋には二種類あった。ひとつは、村全体が共同でもっているもので、村中の羊が夜になると入れられた。そのような小屋には用心のために頑丈な扉がつけらえて、門番だけが鍵を所持していた。2節や3節でイエスが語っているのはそのような小屋のことらしい。
そして暖かい季節になると、羊は高原に放牧されて、夜村まで帰る必要がないときには、羊の群れは岡の中腹の小屋に集められた。小屋というよりも石を積んで囲いを作っただけものものだった。その囲いには扉もなくて、羊飼い自身が夜になるとその入り口に寝そべっていた。つまり羊飼い自身が羊の門となっていた。
wretch
イエスは自分を羊飼いに、そして自分の民を羊にたとえているようだ。そしてその羊の囲いに入るのに、門を通らないで入ってくる盗人や強盗がいると言っている。それはどうやらファリサイ派の人達のことを指しているようだ。
強盗としてやってきて羊を連れ出そうとしても、羊は羊飼いの声を知っているからついて行かず逃げる、なんてことを言う。
イエスはこのたとえをファリサイ派の人々に話したと書かれている。自分達こそ正しい、自分達こそ赦されていると思っていたファリサイ派の人達に対して、あなたたちこそ見えていない、何も分かっていないと言っているということなんだろう。
自分達にこそ救いがある、自分達の言っているとおりのしきたりを守っておけば赦される、そうしない者は罪人だと思っていたファリサイ派の人達はイエスの言ってることが分からなかった。
今日歌った讃美歌301番、アメイジンググレイスという有名なゴスペルだけれど、これについての説教を見た。ゴスペルというのはもともとアメリカのアフリカ系の人々の教会から生まれてきた讃美歌だそうだ。
このアメイジンググレイスの歌詞を書いたジョン・ニュートンという人は、元々アフリカからアメリカやヨーロッパに奴隷を連れて行く奴隷運搬船の船長だったそうだ。あるとき、その航海の途中に難破して死にかけたときに、これは神が自分に怒っているのだと思い、奴隷貿易から手を引きこのアメイジンググレイスの詩を書いたそうだ。
その最初のところは新生讃美歌だと、「いかなる恵みぞかかる身をも妙なる救いに入れたもうとは」となっているが、英語だと「Amazing grace, How sweet the sound, that saved a wretch like me.」となっている。英語では「wretch」という言葉があって、これは哀れな人、惨めな人、恥知らず、人でなし、ろくでなし、というような意味の結構下品な言葉なのだそうだ。だからなのか新生讃美歌ではこの言葉は訳されてないような気がする。直訳すると、「驚くべき恵み、なんと甘い響き、こんな俺のような人でなしを救ってくれたとは」、というような感じだと思う。
声を知っている
人でなしであろうがなんだろうが、イエスの声を聞き、イエスの声を知っている者はイエスの羊なのだ。社会から除け者にされ、社会から追い出された者であったとしても、イエスの声を知っているならばイエスの羊なのだ。イエスの声を知っている者にとっては、イエスという羊飼いがいるということだ。
この元盲人は目が見えないということで罪人とされ、社会から除け者にされ、人でなし、穀潰し、価値のない人間と思わされてきたことだろう。そして今度は目が見えるようになったけれどもイエスをメシアと告白することで再び社会から追い出された。しかしイエスはそんな彼を自分の羊だとして迎え入れたということだ。世間がたとえろくでなしだ、罪人だ、生きる価値がない、と言おうと、自分の声を聞き自分の声を知っているならば、それだけで私の民なのだ、私の囲いの中にいる羊なのだ、イエスはそう宣言しているようだ。
私たちは失敗してり挫折したりしてはその度に、何と自分はろくでなしだ、人でなしだ、憐れむべき惨めな人間だと思ってしまうし、実際周りからも言われたりする。しかしそんな私たちにも、私の声を聞いている者は、私の声を知っている者は私の囲いの中の大事な大事な羊なのだ、イエスはそう言ってくれているのだと思う。
そんなイエスの声を聞いていきたい、しっかりとじっくりと聞いていきたいと思う。