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礼拝メッセージより
病人
ルカによる福音書の10章にマリアとマルタの話しが出てくる。マルタは接待に忙しくしていたがマリアはイエスの話を聞いてばかりだったので、マルタはイエスに何とか言ってくれと頼んだ、という話しだ。その姉妹たちに弟がいてラザロといった。今日はそのラザロが病気になり死んでしまったという話しだ。
ラザロが重い病気になったということで、姉妹たちはイエスのもとへ使いを送る。命に関わるような重い病気だとなれば取るものも取りあえず急いでそこへ行きそうな気がするが、イエスは「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」とかなんとか言ってなかなか出発しない。そして知らせを聞いてから二日間そこにいて、それからやっと出発したというのだ。さらに、昼間歩けばつまずくことはない、なんて良いながらのんびりと旅をしていたかのようにも見える。
イエスがその時どこにいたかというと、すぐ前の10章を見ると、ヨルダンの向こう側、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた所であり、1章を見るとそこの地名もベタニアとなっている。
マルタとマリアの住んでいるベタニアから、イエスがいた川向こうのベタニアまで、急いで行っても丸一日はかかるそうだが、どうしてイエスは急いで出発しなかったのだろうか。この病気が死で終わるものでもなく、神の栄光のためだから、生き返らせればいいから、奇跡を起こせばいいから、遅くてもよかったのか、だから急ぐ必要もなく悠然と構えていたのだろうか。
そもそもイエスはどうして川向こうのベタニアにいたのか。10章を見るとイエスはユダヤ人たちと口論して、ユダヤ人はイエスを石で打ち殺そうとしたり、捕まえようとしたことが書かれている。イエスはそのユダヤ人から逃れて川向こうのベタニアに来ていたのだ。ユダヤ人から逃げて隠れていることをマルタとマリアがどうして知っていたのかは分からないが、ユダヤ人を恐れて、捕まって処刑されるという不安と恐怖にもさいなまれているような時に、こともあろうにユダヤの、それもエルサレムの目と鼻の先にあるベタニヤから使いが来たのだ。
イエスはラザロたち兄弟を愛していたとある。しかしそこへ行くということはラザロを助けることにはなっても、反対に自分の命を危険にさらすことになってしまうことだった。二日間そこに滞在したというのは、イエスが二日間悩んでいたということだったのではないかと思う。しかしイエスは自分の命を賭けてベタニアへと向かう。悲しみに打つひしがれているであろうマルタとマリアに寄り添うという決意を固めて出発する。「もう一度ユダヤへ行こう」とイエスは言った。ユダヤへというのは弟子たちの返事にもあるように、石で打ち殺そうとする者たちの所へ出かけていくという決意の表れだろう。
涙
しかしイエスが到着したときにはすでにラザロは死んでいた。すでに四日も経っていた。イエスを迎えたマルタは、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言う。遅い、遅すぎる、どうしてもっと早く来てくれなかったのかという気持ちが充満している。後でマリアも同じことをイエスに言った。しかしマルタはそれだけではなく、しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえて下さると承知してます、と言う。そこからラザロが復活するという話しをすることになるが、マルタは終わりの日の復活のことは知ってはいるが、イエスが言う、私を信じる者は死んでも生きる、ということまではあまり理解できなかったようだ。
後にイエスはマリアが悲しみにうちひしがれている様子を見て心に憤りを覚えた、そして涙を流されたと書かれている。イエスは何に対して、誰に対して憤ったのだろうか。ユダヤ人たちはこういう時、ほとんどヒステリックなほどに、金切り声をあげて泣き叫んだそうだ。彼らの考えによると、泣きわめくほど故人に対して敬意を払うことになるのだそうだ。そうやって泣きわめく群衆に憤ったのだろうか。でも案外イエスは自分自身に憤っていたのかもしれないと思う。弟が病気で危ないから早く来てくれと聞いたけれども、自分の命を狙う者たちが大勢いるエルサレムにほど近いベタニアに行くことを恐れてなかなか出発できなかった。道中の足取りもずっと重いままだった。それでも何とかやってきたところがすでに四日も経っていて、姉たちは悲しみに打ちひしがれている。そんな状況を見て、イエスは自分自身を責め、自分自身に憤ったのではないかと思う。イエスの涙はそんな涙でもあったのではないか。
ある牧師がこんなことを言っている。
『自分はだだをこねる娘に対して、「自分が悪いくせに泣くな」と言うことがある。しかしそう言うべきではない。むしろ人は自分の弱さ、不甲斐なさ、自分の罪のゆえにこそ泣くべきだ。神はそんな涙を決して見過ごさない。そんな涙を必ず顧みられる。ラザロの復活は、イエスのそんな涙に応えようとする神の御業であったに違いない。
ヘンリ・ノーウェンは「傷ついた癒し人」の中で、牧会者はいかにして癒し人として働くことができるのかと問う。牧会者が傷つき苦悩する社会や人間に対して、本当に癒し人としての働きを担うためには、牧会者自身が自分の弱さ、自分の悩み、自分の不甲斐なさに気づき、また自ら社会のただ中で、難しい人間関係において傷つき、苦悩する者でなければならない、と。その意味でまさにイエスは「傷ついた癒し人」であった。イエスは、自らは傷も弱さも悩みもない者として、神の絶大な力を振りかざして人を癒し、教えを垂れたのではない。自ら弱さを担い、傷つき、悩む存在として、誠実におのれの傷を担いながら、そのゆえにこそ、人の痛みや弱さに真実寄り添い、癒す者であり得たのだった。そんなイエスにこそならい、自ら傷ついた者として、自分の弱さや不甲斐なさに涙する者として、傷ついた人により添い、共に歩もうとする者でありたい。そして神はそんな私たちの涙を顧みて、思いがけない御業をもって応えてくださるのだと心から信じたい。』
生きる
イエスは、わたしを信じる者は、死んでも生きる、生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない、と言った。死んでも生きるという時の生きるとは、勿論肉体的な命があることではなく、死ぬことはないというのもこの肉体的命がずっと続くということでもないだろう。イエスがここで言う生きるとか死なないというのは、神との関係、イエスとの関係において与えられる命、繋がりというか絆というか、そういうもののことを言っているのだと思う。イエスとの繋がりはなくなることはない、たとえこの肉体的な命が消えようとも、イエスとの繋がりは消えることはない、ということを言っているのだと思う。
生きることも死ぬことも、全てを支配しておられる神が私たちに寄り添って下さっている。失敗して挫折して落ち込んで、苦しみ嘆いている私たちのすぐ隣りに、同じように苦しみ涙した復活のイエスがいてくれている。そしてラザロを墓から呼び出したように、穴蔵にはまり込んで身動きできなくなった私たちを、ほとんど死にかけているような私たちを、命へと呼び戻してくれている。
私たちもやがて肉体の死を迎える時がくる。死を前にする時、私たちは完全に無力だ。しかし私たちにはイエスがいる。死ぬ瞬間にも、そして死の後も共にいてくれる方がいる。
死ぬときだけではない。生きている間も私たちには死に瀕するようなときがある。何もかもうまくいかなくて、自分の力ではどうにもできないような艱難に遭遇するときもある。失敗し挫折し失望するしかないような、そしてただただ自分の無力を嘆くしかないような時もある。しかしそんな時にも私たちにはイエスが一緒にそこにいてくれている。そんな時にも私たちと一緒に泣いてくれるイエスがいてくれている。私たちの弱さも間違いも全部知っているイエスが寄り添ってくれている。