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礼拝メッセージより
「いずれ、また?」 2015年5月10日
聖書:使徒言行録17章28-34節
アテネ
第二回伝道旅行の最中の話し。ベレアから一足先にアテネにやってきたパウロは、どう越していたシラスとテモテを待っていた。その時にパウロはアテネの町の至る所に偶像があるのを見て憤慨した、と17:16に書かれている。「憤慨した」と訳されている言葉は、これは直訳すると「彼の魂が彼の内で揺り動かされた」となるそうだ。憤慨とはちょっとイメージが違う気がする。
アテネには当時も多くの哲学者がいたそうだ。そして広場でそれぞれの意見を主張し合うような習慣があり、また新しい学問とか教えを聞くことを楽しんでもいたらしい。そこでパウロもそこへ入っていって宣教したということのようだ。
エピクロス派とストア派
パウロが広場で論じ合った人々の中に、エピクロス派やストア派の哲学者たちがいたと18節に書かれている。
エピクロス派というのは、俗に「快楽主義」と呼ばれるもので、快楽を追求し自堕落な生活を奨励する教えであるかのように聞こえるが、彼らが追求した「快楽」とは、バランスの取れた平穏な生活で、そのためにはこの世の様々な事を超越して、何事にも煩わされずに生きることが理想とされたそうだ。彼らの考えでは、神々もこの世の事柄に関わらずこの世を超越して平穏を保っている存在であって、そういう神々の平穏を理想として自分たちも平穏に生きることを追求していたそうだ。
他方ストア派における神々はこれとは正反対で、神々はこの世の全てのものの中にいると考えだったそうだ。その神は、宇宙全体に働く普遍的精神、あるいは原理として見つめられ、この普遍的精神、原理を探し求め、自らをそれに合わせて整えていくことが追求されます。理性で自分の強い感情、欲望に打ち勝って普遍的精神に従うことで幸福が得られるという禁欲主義的な考えだったらしい。ストイックという言葉の語源はストア派なのだそうだ。
アテネの町の至る所にあった偶像は、このような、神についての人間の思想、考え、哲学から生まれたものだった。何が幸せなのかということ、あるいは神とはどういう存在なのかということ、そんなことをよく考えていた人達だったんじゃないかと思う。
そういった人達と討論していたパウロは、アレオパゴスという今で言う国会のようなところで話しをすることになった。パウロはアテネの街に「知られざる神に」と刻まれた祭壇もあったという話しをしている。実際アテネには数多くの神があったそうだが、パウロはアテネの人達が知らないという神の事を伝えましょうと話し始めた。そして天地を創造した神は神殿に住んだり人間の世話になったりしない、神は人を造り、人が探し求めれば神を見いだすことができるようにされた、神は私たちから遠く離れてはいない、という話をした。それに続く話しが今日の聖書の所だ。
知られざる神
アテネの人達は「知られざる神」の祭壇をも作り拝んでいたと書かれている。いろんな所にいろんな神がいる、というのは日本的な感覚と似ているのかもしれない。しかし自分の知らない神を拝むことはできるのか、というか意味があるのかと思わないのだろうか。
神とはなんなのだろうか。そもそも神とは何なのだろうか。知られざる神を拝まないといけないというのはどういうことなんだろうか。神が自分に恵を与えてくれる、利益をもたらしてくれる、あるいは自分を守ってくれる、そういう存在であるならば頼りになる神だけを信じてその神だけを拝めばいいんじゃないかと思う。しかしもし神というものが、信心していないと何か悪さをしでかすかもしれないというような存在だとすると、あらゆる神を拝んでいないといけない。
家を建てるときに地鎮祭というのをするそうだが、地鎮祭とはその土地の神を鎮めるためにすると聞いたことがある。その土地の神が悪さをしないために、鎮まっていてください、ということなんだそうだ。
アテネの「知られざる神」を拝むという気持ちもそれと似ているのかもしれないと思う。しかしそうなると本当に大変だ。あらゆる神を拝んでいないと何か悪さをされるかもしれない、なんてことになったら心配で溜まらないんじゃないかと思う。
神がいっぱいいて、何をしてくるかわからないとなると大変だなあと思う。
神はつかみどころがないし、人間が一所懸命考えればそれだけ分かってくるようなものでもない。研究するだけ解明されるというようなものでもない。人間の側から神へ到達することはできないだろうと思う。神の側から近づいて来てもらうしかないというか、神の側から声をかけてもらわないと人間には神はわからないんじゃないかという気がしている。
いずれ、また?
そういうアテネの人達にパウロは話しかけたわけだが、パウロがイエスの十字架と復活のついての話しになったのだろう、その死者の復活を聞いてアテネの人達のある者はあざ笑い、ある者はいずれまた聞かせてもらうと言って立ち去ったと書かれている。何人かは信仰に入ったとは書かれているけれど、多くの人達はパウロの話を信じることができなかったようだ。
しかし復活ということを聞いてそう簡単に信じることなんてできないというのが本当なんじゃないかと思う。アテネの人達はものごとを理論的に考える人達だったようなので余計にそうなんじゃないかと思う。死んだ身体がもう一度生き返るなんて有り得ないと誰もが思うだろう。
聖書にはイエスが復活したということがごく当たり前のように書かれているが、それはどういうことなんだろうとずっと考えている。どこかの教会の牧師が、復活はよく分からないと話したら、そこの教会のお年寄りは牧師がそんなことでどうするのかと言ったけれど、若い人達は牧師が正直だと喜んだ、と聞いたことがある。僕もよく分からないというのが正直な気持ちだ。
パウロは復活とは信仰の根幹に関わることで復活がなかったら何もない、というようなことがパウロの手紙の中にも書かれている。パウロは復活のイエスと出会ったことによって、イエスの復活は自明のことで疑う余地のないことと考えているようだ。
イエスは十字架で処刑されて死んだけれど、やがてその死体が生き返った、聖書に書いてあるからそうなんだろう、分からないけれどそれを信じることが信仰なんだというような気持ちでいた。
死者の復活と聞けば死体がむくむくと生き返るようなイメージに聞こえるけれど、イエスの復活はイエスの死体が起き上がるというようなものとは違うのではないかと思っている。
パウロが復活のイエスと出会ったということが使徒言行録に書かれているけれど、それはみんなの目の前にイエスが現れたとは書かれていない。やっぱりこれはパウロの心の中での出来事なんだと思う。パウロはイエスを信じる者たちを捕まえにいっていた時にイエスと出会い、その後は反対にイエスこそキリストだと伝えるものへと変わっていった。そこには本当に出会いがあったとしか思えない。それは心の中にイエスの声が聞こえてくるというような出会いだったのだろうと思う。心の中にイエスがやってくるというような出会いだったのだろう。イエスはそういうかたちでパウロと出会うように復活したのだと思う。これこそが正しい復活の理解だ、というつもりはないが今はそんな風に考えている。
そういう風な復活だったからこそ、私たちもイエスと出会うことができるのだと思う。聖書を通して私たちはイエスの言葉を聞いている。そのイエスの言葉に励まされ慰められるなら、それは私たちの心の中にイエスがおられることと同じようなことだ。そしてそれこそが復活のイエスと出会うということでもあると思う。
復活なんてよく分からないという思いをずっと持って来た。でも毎年イースターがやってきてその度に、いずれまた、と思っていた。いずれまた考えましょうと放っておいてきたような気がする。
それだけではなく、聖書を読んだり説教の準備をしたりする時も、なんだかよくわからない、いずれまた聞きましょう、と言って真剣に聞いてない、適当に聞いて分かったような顔をして分かったように話していることが多かったなあという気がしている。
いずれまた、じゃなくて、イエスの声を聞いたその時にしっかりと聞いてしっかりと考えたいと思う。無理に信じるのではなく、分かること、分からないこと、信じられること、信じられないこと、それも正直に受け止めていきたいと思う。正直に受け止めてこそイエスの言葉は私たちの心に響いてくるように思う。
よし今から聞くぞ!と思う。