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礼拝メッセージより
「助けようぜ」 2015年4月19日
聖書:使徒言行録11章19-30節
だだから?
今日の聖書はアンティオキア教会がエルサレム教会を助けたというところだ。そうですか、だからどうした、と思ってしまう。こんなところからどんな説教するんだ?と思ってしまう。こんなことじゃいけないのかなあ
クリスチャン
今日の聖書では、弟子たちが初めてクリスチャンと呼ばれるようになったと書かれている。クリスチャンとはキリスト野郎というような意味だ、と聞いたことがある。呼ばれるようになった、と書いてるように自分達から言い出したものじゃなくて、他の人達から言われた呼び名、それも蔑んだ言い方、あだ名みたいなものだったらしい。キリストにつくもの、キリストに従う者、なんていう説明も目にしたけれど、あだ名だったらきっとキリスト野郎というような意味合いなんだろうなと思う。教会側はそれを逆に自分達の呼び名にしてしまったということなんだろうと思う。変なおじさんみたい。「そうです、私が変なおじさんです。」っていう感じかも。
離散
ステファノの処刑をきっかけに起こった迫害によってイエスを信じるユダヤ人たちが地方へ散らされていった。サウロもその迫害の主だったのだろうか。聖書教育には、ギリシャ語を話すユダヤ人たちがエルサレムから離れていった、と書いてあった。エルサレムの教会ではヘブライ語を話すユダヤ人たちとギリシャ語を話すユダヤ人たちとの諍いがあったらしい。ユダヤ地方出身の人達はヘブライ語を話したようだが、ユダヤ地方以外出身のユダヤ人たちはギリシャ語を話していたようで、二つのグループが出来ていた様子がうかがえる。イエスの直接の弟子である使徒とは別に、その下に雑務を担当する7人を選んだと聖書には書かれているけれど、実はこの7人は雑務というよりもギリシャ語を話すグループの代表者として選ばれたのではないかと聞いたことがある。教会も人間の集まりでいろんな諍いがあるということらしい。
その7人の中にステファノがいて、ステファノが処刑され迫害が強まったことでギリシャ語を話すユダヤ人たちが地方に逃げていったということらしい。迫害する側もヘブライ語を話すグループには手を出さなかったということなんだろうか。
アンティオキア
エルサレムから逃げて散らされていった人達はいろんな所でイエスのことを伝えて言ったけれども、最初はユダヤ人以外には語らなかった。だれど、アンティオキアでギリシャ語を話す人達にも話したところイエスを信じるようになった。アンティオキアにはキプロス島やキレネから来た者がいたからだ、と書かれている。キプロス島は地中海の島で、キレネとはイタリアに近いアフリカの町のようだ。
アンティオキアは当時はローマ、エジプトのアレキサンドリアに次ぐ、第3の大きな町だったそうで、各地から色んな人が集まっていたそうだ。
バルナバ
エルサレム教会はユダヤ人だけだったようで、イエスを信じる者はユダヤ人だけと思っていたんだろう。ユダヤ教の一派であるという意識が強かったのか、それとも異邦人を見下していたんだろうか。しかも教会の中もヘブライ語を話すグループとギリシャ語を話すグループがあった。多少の諍いもあったようだがギリシャ語を話すグループが迫害を機にいなくなってしまったということはそれなりに痛手だったんじゃないかと思う。
そのアンティオキア教会の様子が伝えられたのでエルサレム教会はバルナバを派遣することにした。
バルナバは使徒4:36-37によると、レビ族の人で、キプロス島生まれのヨセフという名前で、持っていた畑を売り、そのお金を献金したとある。
また使徒9章を見ると、サウロはキリスト者を捕まえにダマスコへ向かう時にイエス・キリストと出会いイエスこそ神の子だと宣べ伝えるようになり、エルサレムで弟子たちの仲間に入ろうとしたけれども初めは弟子たちがそのことを信じなかった。しかしその時にサウロのことを弟子たちに説明したのがバルナバだった。
しかしエルサレム教会はなんのためにバルナバを派遣したんだろうか。ただ様子を知るためなんだろうか。それとも他に何か目的があったんだろうか。
バルナバはその時サウロを連れてアンティオキアに行ったという。これもなぜなんだろう。サウロはバルナバの紹介で使徒たちと会ったが、ユダヤ人たちから命を狙われたためにタルソスに帰っていたと書かれている。そのサウロをバルナバは捜し出してアンティオキアに連れて行ったと書かれている。余程サウロが気に入っていたのか、あるいはサウロの能力を見抜いていたのか。
バルナバとサウロはアンティオキア教会に1年間いて教会を指導したようだ。
飢饉
そしてアンティオキア教会の人たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。キリスト、キリストとキリストばかり言ってたのでキリスト野郎と揶揄されるようになったんだろうと思う。
その頃預言者たちがアンティオキアに来て、その中のアガボという人が世界的大飢饉を預言しその通りになったと書いてある。実際この次期に飢饉があったそうだけれど、アンティオキア教会はエルサレム教会を助けることにしたらしい。世界中に大危機があったらアンティオキアも大変なんじゃないかと思うけれどどうなんだろう。ともかくエルサレム教会はこの時相当苦しかったんだろう。
エルサレム教会は自分達の教会がキリスト教会の中心だと思っていたようだ。イエスの弟になるヤコブもいた。しかし彼らはユダヤ人こそがキリストを信じることができるとも考えていたようだ。自分達ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者が教会の中心だと思っていたんだろう。
サウロはエルサレム教会のそんな空気を感じていたに違いないと思う。バルナバ自身もそれまではそう思っていたのかもしれない。彼らはアンティオキア教会で異邦人たちがイエスを信じる有り様を見て少しずつ考えが変わっていったんじゃないかと思う。
助けようぜ
アンティオキア教会から見ればエルサレム教会はユダヤ人至上主義というか、ヘブライ語至上主義に凝り固まっているように見えていたんじゃないかと思う。しかしそんなエルサレム教会が困っている様子を見て彼らを助けようとした。自分達異邦人の教会を下に見ているようなエルサレム教会を助けようとした。それはアンティオキア教会が自由になっていたからじゃないかと思う。彼らはこの世の面子やしがらみみたいなものから自由になっていたということなんじゃないかと思う。そもそも福音とはそういうものなんだろう。イエスの語り伝えた福音とは自分達を自由にするものであり、アンティオキア教会はその福音に生きていたのだろう。却ってエルサレム教会の方は昔からのしがらみ、ユダヤ教時代からのしがらみ、ユダヤ人としてのしがらみから離れられないでいたんだろうと思う。
自分達を見下す者を助けるなんてなかなかできることじゃない。そんな人達が困っていたらざまあみろと思う。ざまあみろと思った人もいたかもしれないし、そういう気持ちもどこかにあったかもしれないと思うけれど、でもそんな気持ちも持ちつつかもしれないが、彼らはそれよりも愛し合いなさいというイエスの言葉に従うことにしたということなんだろう。イエスの言葉に従う方を選択した、そうすることを決断したということなんだろうと思う。
イエスを通して、イエスを透かしてエルサレムの教会を見つめたからこそ、助けようぜ、という気持ちになったのではないかと思う。そして助け助けられという関係はどちらの教会にも喜びとなったことだろう。
私たちもイエスを通して、イエスと一緒に相手を見る、そんな目を持ちたいと思う。