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礼拝メッセージより
「眠れぬ夜」 2014年9月14日
聖書:創世記32章23-33節
恐怖
人はいつも自分の人生というか自分の過去を背負って生きているんだなと思う。いろんな痛みや後悔がある。それらがとげとなって心にちくちくと刺さり苦しめるようなこともある。楽しいことをしているときには忘れていても、ふと思い出してはまた痛くなる、そんな過去が誰にもあるんじゃないかと思う。
ヤコブも兄を欺し命からがら逃げていたという過去を背負って生きている。そしてそのことはとげとなってヤコブを苦しめていたんじゃないかと思う。勿論故郷を離れている間、そして結婚して新しい家族も出来たりしている間はそのとげの痛みを感じることはあまりなかったかもしれない。
けれどもそのとげはずっとヤコブの心につきささったままであり、故郷へ帰ろうという思いを持つと同時に痛みが戻って来たのだろうと思う。
不安
父のイサクと兄のエサウを騙して祝福を横取りしたヤコブは、母リベカの言うように母の兄、ヤコブから見るとおじとなるラバンの所へ逃げていくことになった。表向きは妻を迎えるためということだったが、実際は祝福をだまし取られたことで起こっている兄のエサウに殺されかねないために遠くへ逃げ延びていくということだった。
そして逃げる途中に、神から「あなたの子孫は砂粒のように多くなる、わたしはあなたと共にいる、あなたがどこへ行ってもわたしはあなたを守り、必ずこの地に連れ帰る」と告げられる夢を見たことが28章に書かれている。
祝福を横取りするという作戦はうまくいったけれども、そのために兄の恨みを買ってしまい、母の故郷ではあるけれども見知らぬ土地に逃げていかないといけないという不安を抱えていた時に見た夢だったのでヤコブはとてもうれしくなったようだ。そこで記念碑を建てて、神がずっと守ってくれて無事に帰れるなら自分に与えられるものの十分の一をささげます、と約束している。
父と兄をだまして祝福を横取りしたヤコブだったけれど、逃げていった先では、おじのラバンに騙されてしまう。ラバンの娘の妹の方を好きになり、妹と結婚するために7年間働くことになる。ところが7年後に好きではなかった姉の方と先に結婚させられてしまうことになる。そして妹と結婚してもいいが、もう7年働けと言われ、結局は20年間も働かされる羽目になる。
そんな調子で何事もおじのラバンにいいように使われてきたヤコブだったが、神から故郷へ帰れと告げられたと聖書には書かれている。実際はそれだけじゃなくて、我慢の限界がやってきたということでもあるようだ。すったもんだした挙げ句逃げるようにおじの元から出て来たヤコブだった。
しかし故郷へ帰るのはいいけれども、そこには兄のエサウがいるのだ。かつて祝福をだまし取った相手、そのために命さえ狙っていた兄がいるのだ。おじのところにこれ以上いるのはもうこりごり、でもじゃあ故郷へ帰ろうかと簡単に思えない状況だ。きっとヤコブはさんざん迷って迷って、故郷へ向かう決心をしたのだと思う。
それは兄のエサウと再開するという決心でもあった。20年ぶりの再会だ。しかしかつて自分を殺すといっていた兄だ。ヤコブは不安で不安でたまらない。兄がどんな気持ちでいるのかまるでわからない。不安というよりも恐怖を感じているようだ。
32章の初めの所では、ヤコブは先に使いを出してエサウの気持ちを確かめようとしたことが書かれている。その使いが言うには、エサウはヤコブを迎えるために400人の者を引き連れてこちらに向かっているということだった。
迎えるためと言いつつ、本当は自分に攻撃をしかけてくるのではないかと不安でたまらない。ヤコブは恐怖を感じているために疑心暗鬼になっているようだ。そこで家の者も家畜も二つに分けて、一つを攻撃されても半分は残るようにする。故郷へ帰るつもりではいるけれど、いざとなればまた逃げようということなんだろう。
故郷へ帰るしかない、しかしそこには自分がだましたエサウがいる、不安で不安でたまらないヤコブは必死に祈った。32章10節からの所にその祈りが書かれている。「兄エサウの手から救って下さい、わたしは兄が恐ろしい」と祈っている。
そしてその夜ヤコブは兄への贈り物を選んだ。それを三つの群れに分けて、召使いたちに、エサウに会ったら、これはヤコブからの贈り物です、ヤコブも後から来ますと言いなさい、と言って先に行かせた。不安を感じているから、そして不安に耐えられないから、その不安を薄めるためにいろんなことを考えているようだ。
兄のエサウに赦してもらって故郷へ帰ろうという希望と、しかし赦してくれるだろうかという不安と恐れとの間で、ヤコブの心は揺れに揺れているのだろう。
ヤボク
そして、ヤボクの渡しでの出来事が今日の箇所だ。
ヤコブと家族は夜ヤボクの渡しを渡ったと書かれている。ヤボクというのはガリラヤ湖と死海の真ん中付近でヨルダン川に東の方から流れ込む支流だそうだ。川を渡ることには危険が付き物で、だからそういう渡し場には悪霊というか悪鬼というか、そういう得体の知れない悪さをするものがいるというような言い伝えが結構どこの国にもあって、悪さをされないように気をつけて渡るようにということらしい。だから夜に川を渡るというのは尋常ではないことだそうだ。
ヤコブは家族と共に渡った後一人残って何者かと格闘している。これは一体誰なんだろうか。神の使いなのだろうか。そんな正体不明のものと夜が明けるまで格闘した。ヤコブは神と格闘したと思っているようだが、腿の関節をはずされてしまっても、祝福してくれるまでは離さないと言って格闘する。そしてヤコブではなくこれからはイスラエルと呼ばれる、お前は神と人と闘って勝ったからだと言われる。
ヤコブという名前はかかとをつかむ者という意味で、イスラエルというのは神が戦うという意味だそうだ。
ヤコブは産まれるときから兄のかかとをつかんで産まれてきたと書かれているように、ずっと自分の力でいろんなものを手に入れてきたようだ。長子の権利も祝福も策略によって手に入れてきた。そんなヤコブに対して、ヤコブの相手はこれからはイスラエルと呼ばれると言った。
渡し場に悪霊ではなく神か、あるいは神の使いがいた、そしてヤコブと格闘したいう話になっているが、やっぱりこれはここでヤコブが祈ったということなんだろうと思う。格闘して祈ったんだろう。祝福してくれるまで話さないというのは、自分が安心できるまで祈り続けたということか、ずっと祈りをやめなかった、やめられなかったということなんではないかと思う。
この20年間暮らしていた場所から自分の生まれ故郷まで800km位あるらしいので、決して短い旅路ではない。生まれ故郷が近づくにつれ、兄に会う時が近づくに連れ、ヤコブの不安も少しずつ高まってきていたのだろうと思う。そしてついて明日、兄に会うことになるだろうという前の夜なのだ。ヤコブは独り眠れぬ夜を過ごした。不安に押しつぶされそうになりながら、ヤコブは祈ったんだろう。祈るしかなかったんだろう。
32章10-13節に、ヤコブが祈ったことが書かれている。
『ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」』
眠れぬ夜にもこのようなことを祈ったんだろうと思う。あなたの命令に従って帰るのです、私は兄が恐ろしい、兄が何をするか分かりません、でもあなたは私に幸いを与える、子孫を海辺の砂のように多くすると約束してくれたじゃないですか、どうか助けてください、守ってください、そんなことを繰り返し祈ったんだろうと思う。
いろいろと気にかかることがあるとゆっくり眠れない。そしてそんな眠れぬ夜を過ごすときと言うのは、不安とか恐れとか、あるいは自分の駄目さとか未熟さ、過去の間違いや失敗や挫折、そんな苦しい思いが沸き上がってくるというか、迫ってくるというか、夜というのはそういう時でもあるような気がする。
ヤコブはその夜一番苦しい夜を過ごしたんじゃないかと思う。祈るしかない、祈らないではいられない夜を過ごしたんだろう。祝福してくれないと帰さないというほどの不安を抱えてその夜を過ごしたんだろう。
祈ったことで不安がなくなったわけではない、勇敢になったわけでもない。けれども祈ることで神の言葉を思い返したんじゃないかと思う。お前を故郷へ連れ帰る、幸いを与える、子孫を増やす、そんな神の約束をヤコブは握りしめて、苦しい苦しい眠れぬ夜をやりすごし朝を迎えたのだろう。そして兄に会うための一歩を踏み出す力を与えられたんだろうと思う。重い一歩だったことだろう。でもヤコブにとってその一歩は新しい人生の始まりとも言える一歩だったんじゃないかと思う。
私たちも不安と恐れに押しつぶされそうになることがあるだろう。眠れぬ夜を過ごすこともあるだろう。しかし私たちは祈る事ができる。祈る相手がいる。いつも共にいてくれる方がいる。祈っても周りの状況は何も変わらないかもしれない。でも祈る事で一歩を踏み出す力を与えられる。
そんな次の一歩を踏み出す力を、私たちも求めていきたいと思う。