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礼拝メッセージより
「選択」 2014年7月13日
聖書:創世記13章1-18節
後悔
少し前テレビを見ていたら、辞書を作る人が出てきた。辞書を改訂するということで、どの言葉を追加するのか、そしてその言葉についてどんな説明をつけるのか、日頃からいつも考えているようなことを言っていた。しかし最近は分厚い本の辞書よりも、携帯やパソコンで利用する電子的な辞書の方がメインになっていて、辞書を担当する部署として次の改訂版をどういう方針で出すのかということで悩んでいる、ということだった。
結局担当の部署として、改訂版は電子的な辞書を補うという位置づけにしようということになり、会社の重役の人達と会議をしてその方向でいくということになった、と記憶している。
それを見ながら、どの言葉を追加するのかということもそうだし、位置づけを決めるということもそうだけれど、人生ってのは選択の連続だなと改めて思った。会社の社長ってのは選択をすることが仕事みたいだなと思った。
確か何かの本に、人間ってのは選択を瞬間に後悔が生じる、というようなことが書いてあったと記憶している。どれかを選んだ瞬間から、これで良かったのか、あっちの方がよかったのかもしれないという気持ちが必ず起こってくる、と書いてあったと思う。
僕はいつも後悔していた。ずっと最高のものを選ばないといけないと思っていた。でも自分にどちらが正しいのか分からない。何を選んでも間違っているんじゃないか、もっといい方があるんじゃないかと自分の選択にいつも自信がなかった。だから、あっちの方が良かったのに、なんて言われることを恐れていて、だんだんと自分で選択するのが恐くなってきて、なるべく自分で選択しないようにしている。
ロトとの別れ
神が約束されたカナンへやってきたアブラムは12:9以下を見ると、ネゲブ地方へ移ったと書かれている。しかしその地方で飢饉がありエジプトへ下った。その時妻のサライが美人だからということで自分の妻であることを隠して妹ということにした。エジプトのファラオはサライが気に入り宮廷に迎え入れ、アブラムには家畜や奴隷などを与えた。ところがファラオや宮廷の人達が恐ろしい病気になり、そのことからサライが妻であることを隠していたことがばれてしまって、エジプトから追い出されてしまった。
サライのことでファラオを欺したためにエジプトは追い出されたけれど、結局そのことで財産を増やしたようだ。エジプトを追い出されたところからが13章になる。アブラム一行は再びネゲブに戻り、さらにベテルとアイとの間の、かつて祭壇を築いた所まで来た。そこでロトと別れることになった。二人共財産を沢山持っていたので一緒に住めなかったからだと書かれている。
別れることになったアブラムは、先にロトに場所を選ばせた。ロトは見るからに潤っている低地を選んだと書かれている。どうしてロトに選ばせたんだろう。自分がおじであるので、甥に良い土地を譲って自分は敢えて悪い土地へ行ったのだろうか。だったら最初からお前が良い土地へ行けと言えばいいような気もするけれど。
今回読んでいると、おじであるということでカッコいいところを見せる気持ちもあったんだろうけれど、ただそれだけじゃなくて敢えてロトに選ばせたんじゃないかという気がしてきた。自分で選んだのであれば自分の責任になる。後で何が起こってもそれが自分が選んだことであれば誰にも文句は言えない。そういう責任を敢えて持たせたのかなと思う。
励まし
14節を見ると、ロトが別れて行った後、主がアブラムに目を上げて見なさい、見える限りの土地をあなたとあなたの子孫に与える、子孫は砂粒のように多くなると語りかける。
目を上げて見なさい、と言われているということは下を向いていたということなんだろう。ロトに先に選ばせたら案の定潤っている低地を選んで行ってしまった。おじとしては格好いいことをしたけれど、現実は荒れた土地を見てこれから大丈夫なのか、おじの威厳で自分が低地に行くと決めた方がよかったのか、なんてことを悩んでいたのではないかと思う。
そんな自分のしたこと、自分の選択を後悔していたんじゃないかと思う。そんなアブラムを励ますために主は語りかけたじゃないかと思う。目を上げて見ろ、そこに見える土地は全部お前のものだ、お前の子孫も大地の砂粒のように増える、そんなことを告げてアブラムを励ましたのだろう。
アブラハムは信仰深い立派な人でいつも堂々としているようなイメージを持っていたけれど、今回創世記を見ているとそうじゃないような気がしている。
アブラムは祭壇を築いたり、そこで主の名を呼んだりしたことが書かれている。それはアブラムがただ単に信仰深いとかいうことじゃなくて、それはやっぱり不安や悩みの裏返しなんだろうと思う。13:18でも祭壇を築いたと書かれいてる。自分の取った行動は本当に正しかったのかというような気持ち、そしてこれからこの土地でやっていけるのかというような不安、そんな自分ではどうしようもできないような気持ちを神にぶつけるしかなかったのだろうと思う。だからこそそこに祭壇を築いたのだろう。
約束
そんなアブラムに主は語りかける。お前を祝福する、お前の子孫を増やす、お前とお前の子孫にこの土地を与える、そうやってアブラハムを励まし続ける。アブラムは何度も何度も不安になり、後悔し、迷っていたんじゃないかと思う。しかしその度に主は語りかけているようだ。
大丈夫だ、おまえはそれでいい、悩んでもいい、後悔してもいい、私はそんなお前が大切なのだ、そんなお前といつもいっしょにいる、アブラムに語りかける神は私たちにもきっとそう語りかけてくれている。
あの時ああしていればとか、あの選択は本当に正しかったのか、と私たちはつい後ろばかり振り向いてしまいがちだ。でもいいんだ、大丈夫だ、その選択をしたあなたと私は共にいる、あれは間違いだったと後悔しているかもしれない、しかし私はそんなあなたと共にいる、だから目を上げて前を見てみなさい、一歩を踏み出してごらん、神はそうやって励ましてくれているのだろうと思う。