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礼拝メッセージより
「嘆きから始まる」 2013年10月13日
聖書:詩編 137編
後悔
先に立たない、と思うことばかりだ。あの時あんなこと言わなきゃよかったとか、こんなことしなきゃよかったなんて思うことがいっぱいだ。そしてそんな自分を嘆いてばかりいる。なんて言いながら嘆いている振りばかりで本当は自分は悪くと思っていないこともある。なんといやらしい人間なんだろう。
バビロン
紀元前597年、バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダの王エホヤキンは降伏し、王は奪われた神殿の宝物、軍人、貴族、聖職者及び国民の中の重だった人々とともにバビロニアに連行された。これが第一回バビロン捕囚と言う。その後のユダには、バビロニアに服従するゼデキア政権が置かれて、半独立国となりました。
列王記下25章によると、ユダの王位はゼデキアに継承されたが、彼がバビロニアに反旗をひるがえしたので、ネブカドネザル2世は再びエルサレムに攻め入り、徹底的にエルサレムの都を破壊し、宝物を奪い、祭司長や将軍などを殺害、投降した者たちをバビロニアに連行した。この連行を第ニ次バビロン捕囚と言う。その連行の後には貧しい無産の農民たちなどが残り。国のなくなった。
ゼデキア王は配下の者たちと逃亡したが、エリコの荒野で捕えられ、王の目の前で王子たちは殺され、そのうえバビロンの王はゼデキアの両眼をつぶし、青銅の足かせをはめ、バビロンに連行した。その後、ネブドネザルはゲダルヤをユダの総督として立て、ユダをバビロンの属領とした。
今日の詩編137編はユダの捕囚が、補囚されたバビロンの川、恐らくユーフラテス川かその支流の川の岸辺で歌った歌のようだ。
屈辱
シオンというのは、もともとはエルサレムの神殿のあった丘の名前がシオンの丘と言われていて、後にエルサレムやその住民のことをシオンという言い方をするようになったそうだ。
この詩の作者はどうやらかつてエルサレムの神殿で歌っていた詠唱者、今で言えば聖歌隊のような人だったらしいい。彼はバビロンの人からシオンの歌を歌って俺たちを楽しませてくれと言われたようだ。彼にとってそれは屈辱だった。自分の歌は神殿で神に献げるものというような意識があったのだろう。だからそんな単なる余興で歌うものではないんだというようなプライドが傷つけられたようだ。
だから多分歌う時の伴奏をするための竪琴は柳の木に掛けた。そして主のための歌をこんな異教の地では歌わない、そんなことをするようになってエルサレムを忘れるなら、エルサレムを最大の喜びとしないなら、伴奏のための右手は萎えていい、歌うための舌も上顎に張り付けばいい、というわけだ。
そしてエドムの子らがエルサレムに対して「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで」と言ったことを覚えていてください、と神に訴えている。
このエドムの子というのはエドム人のことだ。創世記によれば、イスラエル民族の始祖はアブラハムで、その子がイサクで、そのイサクの子供は、兄がエサウ、弟がヤコブという双子だった。弟のヤコブは父の目が悪い父イサクを騙して長子の権利を取ってしまい、その後兄弟の間にはずっと確執があった、というような話しが載っている。
この兄のエサウの子孫がエドム人、弟のヤコブの子孫がイスラエル人。だから言わばこの両者は遠い親戚ということになるが、これまでも何度も諍いがあり、今回はイスラエルが都の基まで裸にされて滅びてしまえという風に、呪いの言葉を口にしたと詩人は嘆いている。
さらにバビロンに対しては、「娘バビロンよ、破壊者よ、いかに幸いなことか、お前がわたしたちにした仕打ちを、お前に仕返す者、お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」と相当過激なことを言っている。
喪失感
この詩編の作者に向かってバビロンの人達がどれほどの思いで歌って聞かせろと言ったのだろうか。補囚民だからということで馬鹿にして言ったのだろうか。それとも軽い気持ちでちょっと歌ってくれよと言ったのかもしれないと思う。どっちにしてもこの人にとって異郷の地でただ人を楽しませるために歌うことは耐えられないことだったようだ。
この人にとってはエルサレムの城壁が破壊され神殿も破壊され、国も無くし仕事も無くし、自分の誇りも無くしていたのだろうと思う。かつてあったものがなにもかもなくなってしまったというような喪失感があったのではないかと思う。そしてやがては帰っていくという故郷も職場も無くなっているわけだ。
だからたとえバビロンの人が、ちょっと歌ってくれよ、というような気持ちで言ったとしても、そんなことをしたらバビロンに屈服することになってしまう、お前たちの言うなりにはなるない、というような気持ちになったんじゃないかと思う。
歌とか神殿とかエルサレムとか、そういうものに誇りを持っていたがために余計にそれを失ったという喪失感は大きかったのではないかと思う。だから、こんな所でお前たちのためになんか絶対に歌わない、お前等も同じように苦しめばいいんだという気持ちになっていたんだろうと思う。
再発見
その後この人はどうなったのだろうか。そんな気持ちをもったままずっと過ごしたのだろうか。そんなことはもちろん分からない。
補囚されてバビロンに連れてこられたイスラエルの人達はきっと誰もが似たような思いを持っていたのだろう。補囚された当初は誰もが、昔の繁栄を思い出しては涙し、自分達を苦しめる者たちやそんな運命を呪っていたのだろうと思う。
しかしどうやらイスラエルの人達はただそれだけでは終わらなかったらしい。彼らはそのバビロンで律法、今で言う旧約聖書の特に前半の部分になるけれど、それらの多くはバビロンでまとめられたそうだ。
自分達の運命を嘆いたり呪ったりするだけではなく、自分達の歴史を振り返り、何が間違っていたのか、何が大事なのか、そんなことを見つめ直したらしい。そこから神の言葉こそが大事なのだということに気がついて、それをまとめたようだ。かつては神殿を中心とする信仰だったのが、神殿を無くしたことによって律法中心、神の言葉中心の信仰へと変わっていったようだ。
嘆き
人間てなかなか変わらない、変われない。人から教えられてもなかなか分からない。自分が経験して初めて身につくなんてことも多い。苦しいことや悲しいことやつらいことを経験して初めて人は変わることができるような気がする。そんな経験を通して初めて大事なものが見えてくるんだろうと思う。
本当に苦しく悲しくつらい時、先ず出てくるのはこの詩編のように嘆きなんじゃないかと思う。その嘆きは大事なことに気付くためのスタートなんじゃないかと思う。もっと言うと自分が生まれ変わるスタートなんじゃないかなんて思った。
イスラエルの人達がバビロン捕囚を通して自分達の信仰を見つめ直し、神を見つめ直したように、私たちにとっても苦しみや悩みの経験は、そこで神を見つめ直し、神を再発見する機会なのかもしれない。嘆きはそのスタート地点なんじゃないかと思う。
きっとそこに神はいる、イエスはいるはずだ。そして私たちのその嘆きを聞いてくれているはずだ。
私たちのその嘆きを、心の思いの丈を、苦しみも悲しみも憎しみも怨みも全部神に、イエスにぶつけること、それが私たちのスタートなんではないかと思う。