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礼拝メッセージより
「救いはどこに」 2013年9月29日
聖書:エステル記 8章1-8節
倍返し
日曜の夜は半沢直樹を見る、という人がけっこういたそうで、倍返しという言葉が流行っているらしい。僕は見てないけれど。仕返しとか復讐とか、そんなドラマや映画を見るのはなかなか痛快だ。
エステル記もいわばそんなユダヤ人たちの復讐劇という話しでもある。
酒宴
3日間の断食を終えて、エステルは下手をすれば命を取られてしまうという危険があったけれども、意を決して王に会いに行く。しかしそんなエステルの心配をよそに、上機嫌でエステルを迎えた。願いとあれば国の半分も与えようとまで言うほどだった。エステルは今日酒宴を準備するから王とハマンを招きたい、と言う。そして二人を酒宴を迎えた時には、明日も酒宴を準備するのでそこにまたハマンと一緒に来て欲しい、そこで自分の願いを言う、と言った。
ハマンは上機嫌で家に帰った。王宮の門でモルデカイを見かけて怒りが込み上げてきた。しかし自分の家に帰ると友達を招き妻ゼレシュも同席させ、そこで自分が王と二人だけで王妃の酒宴に招かれたこと、しかしモルデカイを見る度に空しくなることを話した。すると友達と妻のゼレシュは、20数メートルもある高い柱を立ててモルデカイをそれにつるすように王に進言したらどうか、そうしたら楽しく酒宴に行ける、と言った。ハマンはそのアイデアが気に入り柱を立てさせた。
宮廷日誌
その夜、王は眠れないので宮廷日誌を読み上げさせた。そこにはかつて宦官2名が王を倒そうと謀ったがモルデカイがそれを知らせたことが書かれていた。王は侍従たちに、モルデカイがこのことでどんな栄誉と賞賛を受けたのかと尋ね、何も受けていないことを知らされた。
そこにハマンがモルデカイを柱につるすように王に進言するために王宮の外庭にやってきた。王はハマンを呼び寄せて、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいだろうか」と尋ねた。ハマンは国のナンバー2の位につけられているほど重用されているということもあったのだろう、栄誉を受けるのは自分以外にはないと思った。そこで、その人には王の服を着せ、都の広場でその人を馬に乗せ、みんなに見せましょう、というようなことを言った。ハマンは自分がして貰えることだと思い込んでいるので、自分のして欲しい最高のことを言ったのだろう。
するとそれを聞いた王はハマンに対して、今お前が言ったことを全部その通りにモルデカイにしなさい、と言ったので、ハマンはその通りにした。ハマンは王の命令なのでいやいや従ったようで、それが終わると悲しく頭を覆いながら家路を急いだ、と書かれている。家で妻と友達から、もう落ちぶれるだけだ、なんて言われている時に、エステルの酒宴に来るようにと催促される。
失脚
前日に引き続き王とハマンはエステルの酒宴にやってきた。そこで王はエステルに、今日話すといっていたお前の願いとは何か、と聞く。エステルは、自分も自分の民族も取り引きされて滅ぼされそうになっている、どうか助けてくれと話す。王は誰がそんなことをたくらんだのかと尋ねると、エステルはこのハマンだと答えた。王が王宮の庭に出た時に、ハマンはエステルに命乞いをしようと近づいた時に王が帰ってきて、王妃に乱暴するのかと言ってハマンを捕らえた。するとハルボナという宦官が、ハマンがモルデカイをつるそうとした柱がハマンの家にある立ててあると伝えた。すると王はハマンをそれにつるすようにと命令を出し、ハマンは自分の立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。
逆転
そこからが今日の聖書の箇所だ。
その日エステルは王にモルデカイとの間柄を知らせた。王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与えた。モルデカイが王に告ぐナンバー2の位に着くことになった。
エステルは王に、ハマンが出させた勅令を取り消すようにと願い出た。しかし前の勅令を取り消すことは出来ないということになっていたらしく、王はエステルとモルデカイに、お前たちの思うような勅令を王の名によって出すようにと言った。
そこでモルデカイは、ハマンがユダヤ人を絶滅する日としていたアダルの月13日に逆にユダヤ人たちは自分達を迫害する者を滅ぼすことができる、という勅令を国中に出した。
続く9章ではユダヤ人たちは自分達を迫害する者を殺し、ハマンの息子10人も木につるして殺したと書かれている。
このことから次の日、アダルの月14日を祝いの日とすることになり、ハマンがプルというくじを投げて絶滅の日を決めたことから、プリムという祭という名前で呼ばれるようになった。
あきらめない
結果的にユダヤ人にとってはめでたしめでたしというような結果に終わったが、このエステル記の内容が歴史的にそうだったのかどうか分からない。エステルも、その前のワシュティも王妃の名前の記録にはないそうだ。事実に基づいて脚色されたことかもしれないけれど、これは歴史書というようりも物語なのだろうと思う。
ただ痛快な復讐の物語とも言えるのかもしれないけれど、いろんな国に占領され支配されるということを繰り返していたユダヤ人たちにとっては、どんな窮地に陥っても神は助けてくれるという励ましになったのだろうと思う。
「私たちの最も大きな弱点は、あきらめることである。
成功するための最も確かな方法は、いつも、もう一回だけトライすることである。」(トーマス・エジソン/発明家)
救いはどこにあるのか、と思うような時がある。しかしわずかにでも希望を持てるならばもう一度トライする力が湧いてくる。どんな時でも神は共にいてくれる、決して神は見捨てはしない、そこに私たちは希望を見いだすことができる。
大丈夫だ、あきらめるな、私がついている、お前のことをいつも見守っている、神は私たちにそう語りかけてくれているように思う。そこにこそ救いがあるのだと思う。