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礼拝メッセージより
「喜びの先取り」 2013年5月12日
聖書:イザヤ書 6章1-10節
時代
イザヤが預言者として神に召された時の話しだ。それがウジヤ王が死んだ年であると書かれている。紀元前742年とか書いてあった。ウジヤ王が死んでその息子であるヨタム王が次の王になった。ある説教に、イザヤはなぜ、敢えて「ウジヤ王が死んだ年」と記したのか?ヨタム王が「即位した年に」とどうして書かなかったのか、と書いてあって確かにそうだなと思った。
そもそもウジヤ王とはどの様な王だったのか。当時のユダヤは北の方にある北イスラエル王国と、南ユダ王国に別れていて、ウジヤは南ユダ王国の王だった。大変優れた王だったそうで、52年間南ユダ王国を治めていた。強力な軍隊を率いて、外敵からユダの国を守った。当時南ユダ王国の回りはすべて敵に囲まれているというような状態だったそうだ。兄弟国とも言える北イスラエル王国とも敵対関係にあり、エドム、アラム、ペリシテ、エジプトと敵国に囲まれていた。そして最大の脅威は北の方にあるアッシリアという国だった。
アッシリアは世界帝国となることを目指し、次々と隣国を攻め滅ぼして行き、その脅威が南ユダ王国にも及ぼうとしていた。実際、北イスラエル王国はこの4 年にはアッシリアに占領され、住民のほとんどが捕虜として連れて行かれた。その10年後、北イスラエル王国は滅ぼされてしまう。
このアッシリア王国の脅威が迫りつつある中、長年南ユダ王国を守り続けたウジヤ王が死んだわけで、南ユダ王国全体が動揺し不安が広がったらしい。
だからイザヤにとってこの年は、新しいヨタム王が即位した年というよりもウジヤ王が死んだ年、だったようだ。
見た
そんな時に見たものが6章に書かれているものだった。主が高く天にある御座に座っていて衣の裾が神殿いっぱいに広がっている、そしてセラフィムがいて、そのセラフィムとは天使のようなものと考えられていたそうだ。そのセラフィムは六つの翼を持っていて、二つで顔を覆って、二つで足を覆って、二つで飛び交っていて、聖なる聖なる聖なる万軍の主、主の栄光は地をすべて覆う、と歌っていて、その声で神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた、イザヤが見たのはそんな光景だった。
イザヤはこの光景を見たことで、わたしは汚れた唇の者であり、そんな汚れた者が万軍の主を見たのだから滅ぼされる、と言ったと書かれている。汚れた人間が神を見てしまうと死んでしまうと考えられていたようで、旧約聖書にもそういうことが度々書かれている。イザヤも見てはならないものを見てしまった、もう死んでしまうと思ったようだ。
どこかの牧師が、江戸時代に日本では殿様が道を通る時には庶民は土下座をして勝手に顔を上げて見てはいけなかったということを書いてあったけれど確かに似ている気がする。殿様の顔を許可もなく見てしまったら大変なことになる。似たような気持ちをユダヤ人たちも持っていたのだろう。イザヤも、やばい神を見てしまった、もう滅ぼされると思ったのだろう。
しかしそこにセラフィムのひとりが祭壇からとった炭火を挟んだ火鋏を手に持って飛んできて、イザヤの口に火を触れさせ、これであなたの咎は取り去られ、罪は赦された、と言ったという。火傷しなかったのかと心配になるけれど、イザヤは咎も罪もないものとされたことになり、死んでしまう心配もなくなることになった、ということらしい。
そこで、誰を遣わすべきか、誰が我々に代わって行くだろうか、という主の声を聞き、イザヤは、わたしがおります、わたしを遣わしてください、と答えたと言う。滅ぼされないでよかったという喜びと安心感もあって、思わず主の声に反応したような気もする。
それに対し主は、この民に、「よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな」と言えなんてことをいう。普通、よく聞いて理解しろ、よく見て悟れ、だろうに。なんでこんな変な命令をするんだろうか。その理由のようなことが10節に書かれている。「この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」
理解しないし悟らないし、いやされないもしないのなら、一体何のために遣わすのだろうか。
その後
その後、ウジヤに代わって王となったヨタムは、ウジヤ王に倣って軍備を一層整える。しかしヨタム王の時代に北方のアッシリアが勢力を伸ばしてきたことに対抗して北イスラエル王国と隣接するアラム王国とが軍事同盟を結ぶ。そして南ユダ王国に対しても、一緒にアッシリアに対抗しようと同盟を結ぶことを求められる。
しかし、ヨタム王は同盟の呼びかけに対して反対し、北イスラエル王国から軍事侵攻を受けることになる。
ヨタム王から次のアハズ王の時代になると、アハズ王は、北イスラエル王国、アラム王国からの侵攻に対して打ち破ることができず、アッシリア帝国に貢物を納めて、アッシリア帝国に守ってもらうことを決断する。
すでにウジヤ王の時代から、人々の間には偶像崇拝をするようになっていたが、アハズ王の時代にどんどんはびこってきて、異教の神々の祭儀を行うようになる。
神がイザヤに告げたとおりに、イザヤの時代には民は主なる神の声を聞き従うことはなかった。そしてついに、イザヤの時代からは100年以上経って後、南ユダ王国は滅ぼされてしまい、多くの民がバビロンに補囚されてしまうことになった。12節に「主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。」と書かれている通りになる。
バビロンに補囚されてしまったことによって、ユダヤの人達は一体どうしてこんなことになってしまったのか、神に選ばれてエジプトからも救い出された民であったはずの自分達が一体なぜこんなことになってしまったのか、と考えたようだ。何が間違っていたのか、何が悪かったのかと考えたのだろう。そんな時に辿り着いた答えが、自分達がこの主なる神に従ってこなかったこと、従うべき神に聞き従わなかった、そのために国が滅びてバビロンに補囚されるような自体になってしまったということだった。そしてその反省として聖書が、今の旧約聖書の多くがその時にまとめられたそうだ。
その反省のための種をイザヤは神に伝えるようにと言われたのではないかと思う。ずいぶん時代が降ってから役に立つために、イザヤは神の言葉をこの時に伝えておくようにと言われたのだろうと思う。
13節に「なお、そこに十分の一が残るが それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。」とある。国は滅ぶ、しかし切り株は残る,聖なる種子は残る、と伝えている。
しかし国の滅びを伝えるということはかなりしんどいことだったろうと思う。自分が語ることを相手がすぐに理解し納得してくれて、本当に自分達は間違っていたなんてことになればやりがいもあるし少々大変でも続けられるだろう。しかし語っても理解されなし、間違いも認めない、もちろん反省もしないし改めることもないとすると、そんな中で語り続けるのはとても大変なことだろうと思う。
イザヤは11節で、いつまででしょうか、と聞いたと書かれている。神の言葉を語ることは今すぐ成果が見えることではないということを告げられている。なんだかすごいなと思う。イザヤもよくそんなことできたなと思う。どうしてそんなことできるんだろう。
喜びの先取り
人に評価されることはうれしいし、褒められると元気になる。でもなかなかそうもいかないことも多い。偉大な芸術家の人達も、ずいぶん後になってから評価されるなんてことをよく聞く。バッハの曲もだいぶ後になってから評価されるようになったなんてことを聞くと、もし自分がバッハだったらそんなのいやだなと思ってしまう。是非生きている間に評価して欲しいと思う。
でもイザヤは、評価されることはない、評価されるのはずっと後になってからだ、と言われている。でもそう言われてもやれたのは、自分が直接評価されたという言葉を聞かなくても、言わば将来の声を聞いていたというか、将来役に立つということを知らされて、その大事なことのために働くことを喜びとしていたからではないかと思うようになった。言わば喜びの先取りをしていたのかなと思う。だから逆に目の前の評価に踊らされることなく、大事なことを見極めることができてきたんじゃないか、神の命令にも従うことが出来たんじゃないかと思う。
目の前ではない、今ではない誰かのために、お前を遣わすと言われているのかもしれない。本当に大事なものをお前に伝える、お前に託す、私たちにもそう言われているのだろうと思う。もうすでに私たちは大事なものを預かっているのだろう。それを私たちも伝えていきたいと思う。そしてそのことを私たちも喜びたいと思う。