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礼拝メッセージより
「ゆっくり喜ぶ」 2013年4月14日
聖書:マルコによる福音書 3章1-6節
安息日
聖書に安息日の出来事が出てくる。マルコによる福音書2章23節からのところも安息日の出来事だ。そこで事件が起こった。
安息日とは創世記2章にあるように、神が天地を作ったときに7日目に休んだということに由来する。そしてモーセの十戒には、「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日のあいだ働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」と出エジプト記20章に書いてある。
また出エジプト記の34:21にも、「あなたは六日の間働き、七日目には仕事をやめねばならない。耕作のときにも、収穫のときにも、仕事をやめねばならない」と書いてある。さらに35:2には「六日の間は仕事をすることができるが、第七日はあなたたちにとって聖なる日であり、主の最も厳かな安息日である。その日に仕事をする者はすべて死刑に処せられる」とまで書いている。
こういう風に、安息日には休まにゃならんという決まりがあった。そういう律法があった。安息日には労働をしてはいけなかった。で問題は何が労働なのかということ。そこで律法の学者はこの安息日の律法を具体的に日常生活にあてはめるために39の規則を作り、さらにそのひとつひとつを6つの細則に分けていたそうだ。多分その39の主な仕事というのが聖書教育に書かれていた。種を蒔くこと、耕すこと、刈り入れをすること、などがあった。今日の聖書のすぐ前の2章の最後に弟子たちが麦の穂を摘んだということでファリサイ派の人々が文句を言ったということが書かれているが、それが刈り入れをするという仕事になるので安息日にしてはならないことだ、と言われているのだろう。他には二つの輪を作ること、二文字を書くこと、火を消すこと、火をつけること、なんていうのもあった。でも仕事のリストは40より一つ少ないと書いてあるけど、数えたら38個だったのは数え間違いか。
昔聞いた話しによると、ハンカチを持って歩くのが労働になり、腕にまくのが労働ではない、というようなことを真面目に議論していたらしい。火を使うことは労働になるので、安息日には料理をしないでいいように、前の日に安息日の分まで作っておくそうだ。ちなみに今では、エレベーターのボタンを押すのは労働に入っているそうで、安息日にはエレベーターは自動運転で全部の階に順番に止まっていくそうだ。これもエレベーターのボタンを押すことで火花が散るかもしれない、火花が散ると言うことは火を使うことになる、ということになるらしい。家のブレーカーが落ちても、それを戻すことも同じように火花が散るかもしれないので、安息日には自分では戻せなくて、ある日本人はユダヤ人から安息日にブレーカーが落ちたので戻してくれと頼まれたことがある、と聞いた。
安息?
そんな風に安息日に種まきや耕作、取り入れをするなんてことは当然絶対駄目、聖書教育によると病気の治療はどういうわけか39のリストの中の家を建てる仕事、と見なされていたそうで、それも安息日にしてはいけないことだったようだ。
そこで人々はイエスが安息日に病気をいやされるかどうかを固唾を飲んで見守っていたらしい。病気が治るかどうかではなくて、イエスが仕事をするかどうか、安息日の律法に違反するかどうかを見守っていた。
ファリサイ派
ファリサイ派の人たちは、細則まで作って律法を一所懸命に守っていたらしい。自分たちがそうやって異常なほどに神経質になっているだけではなく、同じことを回りの者にも押しつけていた。俺たちはこれほどやっているんだという誇りと、お前たちは何をやっているんだ、ちゃんとせんか、やっぱりお前たちは駄目だという人を裁く気持ちの両方を持つようになる。それは当然の成り行きだろう。
彼らだってただ意地悪で律法律法と言っていた訳ではなかっただろう。自分たちの良心に従って、ユダヤ教という宗教を守っていただろうと思う。そうすることが、律法を必死に守ることが神に対する忠誠の現れであると考えていただろう。実際、その忠誠心は大したもので、安息日になると戦争をしてても戦わなかったという話しを聞いたこともある。
それ位からレは律法を必死に守っていた。守るいうよりも破らないことを最優先しているかのようだ。そこで今回の事件が起こった。
イエスは彼らに問いかける、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
会堂にいてこれを聞いた人達は黙っていた、と書かれている。するどい本質を突く質問だったのだろう。
解放
そもそも安息日はどんな日だったのだろうか。
安息日とは神が休めと言われて労働をしない日だった。一日仕事をしない、家事もしない、そんな労働を手放す日、言わば労働から解放される日だったはずだ。本来は労働を止めて一度手放す、そんな神から与えられたつかの間の解放の喜びを感じる日だったんじゃないかと思う。
でもそれがいつしか、あれもこれもしてはいけないといういろんな規則に縛れる日になってしまっていたんだろうと思う。そうなると喜びも何もなくなってしまっていたのだろう。
安息日とはなんなのかということをもう一度考えさせるために、イエスは敢えて安息日にいやしたのだろうと思う。安息日の本質をみんなに知らせるために、本当は喜びの日なのだということを知らせるために敢えてそうしたんじゃないかと思う。
礼拝
私たちの日曜日の礼拝も守らないといけない律法ではないだろう。違反しないために礼拝するわけではないと思う。
礼拝も解放なんじゃないかと思う。週日の仕事を敢えて中断して、一区切りをつけて神の前に佇むことなんだろうと思う。仕事と一緒に週日のいろんな悩みや苦しみや重荷、そんな自分が抱えているものを、一度神の前に降ろす、そこでしばし休息する、それが礼拝なんじゃないかと思っている。そしてまた改めて背負っていく。神の前に降ろしたからと言っても仕事も重荷も減るわけではないだろう。けれど一度降ろすことでまたそれを背負っていく力が出てくるのだと思う。
小さい子どもが公園で遊んでいるような状況に似ているような気がしている。転んだりぶつかったり、何かあると子どもはお母さんのところへ戻ってくる。しばらくお母さんにだっこされているとまた元気になり走り回る。礼拝もそんな感じじゃないのかな。
新生讃美歌520番に、
いと静けき港に着き
われはいま安ろう
救い主イェスの手にある
身はいとも安し
という歌詞がある。
人生には嵐があるけれど、私たちには帰るべき港がある、そこで休息しまた出て行く。
そんな港に帰るのが本来の安息日であり、今の礼拝なんじゃないかと思う。それは大騒ぎして喜ぶということではないだろうけれど、しばし休みゆっくり喜ぶことなんじゃないかと思う。