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礼拝メッセージより
「yes we can」 2012年10月14日
聖書:ネヘミヤ記 2章11-20節
補囚
バビロニアによってユダ王国が滅亡され、多くの人々がバビロンに連れていかれた。そしてそのバビロニアが今度はペルシャに屈服し、補囚されていた民はまた自分の国へ帰ることができるようになった。
その後エルサレムの神殿は破壊されてから70年後に再建された。しかし補囚されていた民の中にはユダに帰ることなくペルシャに住み続けていた者もいた。そんなペルシャに住むユダヤ人の中にはペルシャの社会の中で出世し一つの地位を築いていた者もいた。その一人がネヘミヤだった。
知らせ
1:2によると、そのネヘミヤのもとへ彼の兄弟ハナニがエルサレムの状況を知らせに来た。兄弟と訳されているが親類とも訳せる言葉らしい。そのハナニの話しは、エルサレムの城壁と門が破壊されたままになっているという知らせだった。
それを聞いたネヘミヤは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。自分たちが神の命令に従わず罪を犯したことを神に告白した。そんな民だけれどもどうか助けてください、とネヘミヤは祈った。
応答
当時ネヘミヤは献酌官として王に仕えていた。酒のお酌をする人ということで、2章の最初のところでは王にぶどう酒を差し出している様子が書かれている。毒味をして安全な物を差し出す責任者というような仕事らしくて、王に信頼されている、かなり重要なポストに就いていたらしい。
ネヘミヤは自らがエルサレムへ行って城壁を再建しようという気持ちになっていく。エルサレムの惨状を聞いて一所懸命に祈ったことが書かれているが、ネヘミヤは祈っただけではなく自らが動いた。
ネヘミヤは先祖の墓のある町が荒廃し、城門が火で焼かれたままである惨状を告げ、その町を再建しに行きたいということを王に願い出る。王はネヘミヤのすべての願いを聞き入れてくれる。
妨害
王は願いを聞き入れて全面的に協力してくれたようだが、その城壁再建を嬉しく思わない者がいた。2章10節には「ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた。」とある。そして3章33節以下の所でもサンバラトやトビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドドの市民が城壁の再建を知って憤慨し、ユダヤ人を中傷し、何とかして邪魔をしてやろうと相談したようなことが書かれている。今日のところでも、嘲笑いさげすんだと書かれている。
そんな中でネヘミヤは自分と側近の部下数人だけを連れて、夜中に城壁を調べた。聞いていた惨状を目の当たりにした上で、彼は人々に城壁を建て直そうと声をかけていった。
再建
再建は大変なことだ。再建するには昔の残骸を取り除けてから新しいものを建てていかねばならない。新しく作るよりも大変だ。却って新しく作るよりも手間がかかったりする。
そんな大事業をよくやる気になったなと思う。
前向き
ある人が昔、何かをしたいと思った時はなるべくそれをしようとしたほうがいい、と言っていた。自分もいろいろとしたいと思うことがあったけれどもいつもしないできた。今は忙しいから、今は受験生だから、だからもっと暇になったら、と言って先に延ばしてきた。でも結局それはできないできた。そうやっていろんな口実をつけていろんなことをやらないできてしまたった。だからあなたはやりたいと思ったことを、口実をつけてやらないのではなくてどんどんやっていった方がいいと思う。ということだった。
教会でも、これをしたいなと思っても、でも人数が少ないから、やっぱり難しそうだから、とやらないことが多いのかもしれないと思う。
失敗をものすごく恐れる所があるように思う。間違うことを恐れるようなところがある。そのために余計に萎縮してしまうようなところがある。でもやっぱり失敗は成功の母なのだと思う。失敗のないところには本当の成功はない。だから失敗を心配するよりもできることやりたいことをやっていこう。
yes we can
「イエスマン」という映画がネットで紹介されていた。
主人公であるカールは、すごく消極的で、内気な男性。人の誘いにも、「ノー」ばかり言っており、いつも退屈でつまらない日々を送っていた。
そんなとき、ある自己啓発セミナーに、強引に誘われて参加する。するとそこで、「教祖」のような人物に、
「とにかくすべてにイエスと言え!」と言われる。
さらに、「ノーと言うと、神罰が下るだろう!」とオドされたため、しかたなくそれに従うことになる。
その結果…。
ホームレスにお金をせびられても「イエス」。
休みの日に出勤をするように言われても「イエス」。
仕事で無理なお願いをされても「イエス」。
隣に住んでいるおばあさんに迫られても「イエス」…。
というように、色々な場面で、イエスと言わざるを得ない状況になってしまうというコメディ映画。
彼は、イエスと言うことにより、大変なことも増えますが、それでも行動の幅は広がり、チャンスや出会いも広がり、最終的には幸せになっていくというような映画だそうだ。
城壁の再建はネヘミヤの祈りから始まった。神からお前がやれ、イエスと言え、と言われてそれにイエスと応えたようなものだと思う。
祈ったから敵がいなくなったわけではない、妨害が無くなった訳でもない。しかしユダヤ人たちはそんな中で城壁を再建していった。敵がいるから出来ない、妨害があるから出来ない、と言ってやめてしまった訳ではなかった。彼らは神を見つめ神に祈って作業を進めた。
教会でも、それぞれの人生でも、お前がやるんだと言われていることが案外いっぱいあるのかもしれないと思う。だめです、できません、と応えることが多いような気がする。いきなり全部イエスと応えることは難しいけれど、一つずつでも、イエスと応えていけたらと思う。
お前には出来る、と神は言われているんじゃないかな。少しずつでもyes we can と応えて行きたいと思う。