前 へ
礼拝メッセージの目次
次 へ
礼拝メッセージより
「思い上がり」 2012年9月23日
聖書:列王記下 20章1-11節
死
あなたはもうすぐ死ぬから遺言をしなさい、と言われたらびっくりするよなあと思う。長生きしたいと思ってはいなくても、あと一週間の命なんて言われたらどうなるんだろうか。どうすごすだろうか。明日で世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える、とか言う人がいたらしいけど、世界が終わるならみんな一緒だろうけど、自分ひとりだけ明日死ぬとしたらちょっと気分が違うような気がする。
で、明日死ぬと思っていたらもう少し生きられるということになったらどんな気分なんだろうか。
ヒゼキヤ
列王記下18章に書かれているが、ヒゼキヤは南ユダ王国第13代の王。25歳で王となり、29年間王であった。ヒゼキヤ王は「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行」(18:3)ったとか、「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けらえた戒めを守った。主は彼と共におられ、彼が何を玖他立てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。彼はペリシテ人を、ガザとその領域まで、見張りの塔から砦の町まで攻撃した」(18:5-8)と書かれている。
しかしこのヒゼキヤ王の治世第6年に北イスラエル王国はアッシリアという国に滅ぼされてしまい、このアッシリアの脅威は南ユダ王国にも及んでくる。ヒゼキヤ王の治世第14年には、アッシリアの王センナケリブが攻めてきて、ユダの砦の町をことごとく占領されてしまう。ヒゼキヤは銀や金をアッシリアの王に贈るが、アッシリアの王はラブ・シャケという部下をエルサレムに遣わして、お前達は主に依り頼むなんて言ってるが、その主がユダを攻めて滅ぼせと言ったから攻めて来たのだ、こんな神に頼っても駄目だ、降伏しろ、と言ってユダを侮辱した。金や銀の贈り物だけでは済まされなくなったヒゼキヤは預言者であるイザヤに祈ってくれと使いを出すと、イザヤは恐れるなアッシリアは引き返し王は死ぬという神の約束の言葉を告げる。ヒゼキヤはその言葉を聞き主なる神に祈るが、主の御使いがアッシリア軍を打ち破ったためアッシリア軍は引き返しセンナケリブ王は部下に殺されてしまい、ユダは守られた。
守られはしたけれどもアッシリア軍が目の前までやってきて、その脅威にさらされるという恐怖を身をもって経験させられたということだ。
病気
そしてそのころの出来事が今日の聖書の箇所だ。
ヒゼキヤ王は死の病にかかり、イザヤはヒゼキヤに主の言葉を告げている。それは、あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい、という事だった。これを聞いたヒゼキヤは、私がこれまであなたに従ってきたことを思い起こしてください、と祈り、寿命を15年延ばしてもらったと書いている。ヒゼキヤは25歳から29年間王であったので、治世14年39歳の時だったということだろう。まだまだ若いのに死ぬといわれてびっくりして動揺したことだろうと思う。だからこそ泣いて祈ったのだろう。
そうすると主はイザヤを通して、ヒゼキヤの病を癒し、三日目には神殿に上れるようになり寿命を15年延ばすと言った。ヒゼキヤが三日目に神殿に上れるしるしはという話になり、その証拠に日時計の陰を十度戻したという。十度ということは40分ということか。平清盛が太陽が沈むのを止めたというのとよく似ている。実際は太陽が逆に動くことはないとは思うけれどもヒゼキヤの病気はほんとうに治ったようだ。
死ぬはずだったのに祈ったら寿命を15年伸ばしてくれることになったということのようだ。そんなことあるんだろうか。そんなことならそもそも遺書を書けなんて言わなくてもよかったんじゃないか、本当はすぐ死ぬ予定はなかったけれど神がちょっと脅かしてみた?、なんて変なことを思ってしまう。
神がどう思ってこういうことをしたのかは分からないけれど、ヒゼキヤにとってはどうだったのだろうか。
メロダク・バルアダン
そのころバビロンの王メロダク・バルアダンがヒゼキヤの病気のお見舞いの手紙と贈り物を送ってきた。
このメロダク・バルアダンは紀元前721年からバビロンの王であったが、紀元前710年にアッシリアの王サルゴンによってバビロンから追放された。その後、サルゴンが紀元前705年に死ぬと、王位への復帰をたくらみ、703年に帰り咲いたが、たった数ヶ月の後にセンナケリブに敗れ去った王である。
メロダク・バルアダンがヒゼキヤの病気を見舞いに使者を送ったのは、紀元前705年にエジプトと同盟を結んで反アッシリアを鮮明にしたヒゼキヤを支持し、その仲間となろうとしたためのようだ。
ヒゼキヤは一時はアッシリアに目の前まで攻め込まれたこともあり、その脅威を身に染みて感じていたのだろう。そのアッシリアに対抗する仲間が増えたことに気をよくして、宝物庫や武器庫や倉庫をはじめ、国中のものを見せた。こんなにいっぱいあるんだという自慢と、何も隠し立てはしない、一緒にアッシリアをやっつけましょうということなのかな。
イザヤ
ところがこのことを聞いたイザヤは、何もかもバビロンに持って行かれる、息子たちの中にはバビロンの宮殿に連れて行かれ、宦官になる者もある、という主の言葉を告げた。
見せたのがいけなかったのだろうか。見せると後々侵略されてしまうのだろうか。その後南ユダ王国はバビロンに滅ぼされることになり、イザヤの告げたとおりになる。
ありがたい?
イザヤの言葉を聞いたヒゼキヤは、あなたの告げる主の言葉はありがたいものです、と答えた。それは自分が生きている間は平和と安定が続くと思ったからだと書いてある。
息子たちは、子孫たちは大変な思いをすることになると言われたけれど、それは所詮子孫たちのことだから、自分は大丈夫なのだ、だからありがたいと言ったのだろうか。自分さえ安泰だったらいいんだという気持ちはもちろん誰でも持っているとは思うけれど、でも自分の子孫たちが大変な目に遭うと言われているのにありがたいなんて言うかな。
権力者って、権力をもつとなんとしても離したがらないようだ。民衆に苦しい思いをさせていても、自分がいい思いを経験してしまうとそこから離れられなくなってしまうみたいだ。
ヒゼキヤも権力者であったわけで、そんな風に自分の生きている間さえ安泰で、権力もそのまま持てればそれでいいと思って、それでありがたいと言ったのだろうか。
列王記にもそう書いてあるしそうなのかもしれないけれど、ヒゼキヤはイザヤの言葉がただうるさかったんじゃないかと言う気がする。つまりありがたいと言ったのはいわば嫌味だったんじゃないかという気がする。
ヒゼキヤはバビロンからの使者が見舞いに来たことでとても気を良くしていた。反アッシリアの仲間が増えたということでとても嬉しかった、だから国中のものを見せたのだろう。いわば舞い上がっていたんじゃないかと思う。なのにそのことを聞いたイザヤはそんなヒゼキヤの舞い上がった気持ちに冷や水をかけたようなものだった。それを聞いたヒゼキヤは、もういい、勝手に言っといてくれ、はいはいあなたの言うとおりです、あなたの言葉はありがたいお言葉です、と嫌味を言ったんじゃないかと思った。
幸せ
最初に言ったようにヒゼキヤは列王記では絶賛されているけれど、死の病が癒されてからはどうも絶賛できるようなことはしていないようだ。どうしてなんだろうか。寿命を15年延ばしてもらったということを本当に信じていたのだろうか。そのことをどれほど感謝していたのだろうか。残念ながらその後の15年間のことは列王記には書かれていない。
「幸せはすでに持っているものに感謝しない人には決してやって来ない。」という言葉があるそうだ。
今持っているもの、今生かされていることに感謝しないことから思い上がることになっていったのだろうと思う。そして思い上がることで主の言葉も聞くことができなくなっていったのだろう。
イエスはすべてのことを感謝しなさいと言っている。そんなこと出来ないとすぐ思う。でも感謝するかしないか、それも自分が決めることかもしれない。そして幸せになるかどうか、それはすでに持っているもの、与えられているものに感謝するかしないかにかかっているのかもしれない、と思う。
幸せになるために、イエスはすべてのことを感謝しなさいと言われているのだろう。