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礼拝メッセージより
「失意の中で」 2012年7月29日
聖書:サムエル記下 16章5-14節
バト・シェバ
ダビデは自分の部下ウリヤの妻バト・シェバを妊娠させ、そのことから部下の命を奪い、自分の妻とした。しかしその時に産まれたこどもは七日目に死んでしまう。
その後バトシェバはソロモンを産む。聖書を見るとソロモンはダビデの10番目の息子であるが、やがてそのソロモンがダビデの後を継いで王となる。
アブサロム
しかしそれ以前に、上の息子たちが骨肉の争いをする。アブサロムの愛する実妹タマルが、異母兄アムノンに強姦される事件がおこる。怒ったアブサロムは時を見て、復讐して兄アムノンを殺し、アラムの東ヨルダン、ゲシュル(母の実家の国)に逃亡する。
この第一王位継承者アムノンを失ったダビテは「アムノンを悼み続けた」が、やがて「13:39 アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた。」と、亡命して国外にいる王子アブサロムに期待し始める。
これを知った、ダビデの甥で軍司令官でもあるヨアブは、ダビデの歓心を得るために一計を案じ、ダビテとアブサロム間を取りなし、ダビデはアブサロムを許し、エルサレムに呼び戻す。ところがダビデは何故かアブサロムと会おうとはせず、謹慎させて2年間も王宮に入るのを許さない。怒ったアブサロムは、強引にヨアブに仲介させる。
そこでダビデは「アブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。」(14:33)
二人は表向きは和解した形になった。けれども心底赦し合ったわけではなかったようだ。これ以降アブサロムは王の座を狙って着々と計画を進める。
アブサロムは母の国ゲシュルに逃亡していたが、ゲシュルは北にあって、北イスラエルに近かったそうだ。そこで逃亡中に北イスラエルの諸部族との交流があったようで、北イスラエルの人たちがダビデ王に裁定を求めに来た時には、自分が裁き人ならば正義の裁きを行えるのにと良い、その人たちに親切に接して、やがてイスラエルの人たちの支持を得ていった。
また、「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさを讃えられる男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった。」(14:25)と書かれているように、民衆の憧れであり、ダビデ王朝の王位継承者はアブサロムと当然視され、やがて南ユダ部族もアブサロムを支持したようです。
そしてアブサロムはこの時40歳だったが、ユダ族の本拠地であるヘブロンで挙兵し、イスラエルの全部族に密使を送り、アブサロムがヘブロンで王となった、と言わせた。要するにクーデターを起こしたということのようだ。アブサロムは北イスラエル部族の支持を得て北イスラエルの王ということになる。
シムイ
このことを知ったダビデはエルサレムから逃げ出す。そしてヨルダン川に下る途中のバフリムというところにさしかかった時に今日の聖書にある出来事が起こった。サウル家の一族の出であるシムイという男が「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ。」とダビデを呪いながら、石を投げつけ塵を浴びせかけた。
ダビデの家臣アビシャイは、このシムイを殺させてくれというが、ダビデは放っておいてくれと言ってそのままにさせる。そして「わたしの身から出た子がわたしの命を狙っている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主のご命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみをご覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」と言ったという話しだ。
呪い
ダビデは何故シムイをそのままにさせたのだろうか。自分を呪うものをやっつけることを許さなかったのだろうか。
神が呪いに代えて幸いを返して下さる、という信仰があったからだろうか。なんだかそんなかっこいいことではないような気がする。
ダビデはそうとう打ちのめされているようだ。自分の息子にクーデターを起こされている。アブサロムはダビデの三男であるけれど、長男を殺害し、次男もすでに亡くなっていたらしくて、そうすると第一の王位継承権を持っていることになる。何もしなくても次の王になるという地位にある。なのに敢えてクーデターを起こすというほど親子の間に深い溝があったということだろう。
そんなことになってしまったということ、自分の家族をうまく治めることもできなかったということ、そんなことで招いてしまった自分の無力さを自分自身で嘆いて、そんな自分を責めているんじゃないかと思う。
自分の長男アムノンが母親の違う妹を力ずくで強姦してしまう。それはダビデが自分の権力を使ってバテ・シェバを奪ったということが影響しているのかもしれない。そしてそのことをうまく解決できないままに、妹を強姦されたアブサロムがアムノンを殺してしまう。自分のこども同士で強姦事件、殺人事件が起きてしまったわけだ。そして母親の国に逃げたアブサロムをエルサレムに呼び戻したけれども、自分が積極的に赦して呼び戻したわけではなく、アブサロムがエルサレムに帰ってからも結局2年間会わず、それも自分から会おうとしたわけではなかった。
戦いには長けていたかもしれないけれど、家族の中のごたごたで、うまく治める知恵も術もないかのようだ。そしてそんな自分自身のことをダビデ自身が駄目だと思っていたんじゃないかと思う。そしてほとんど何をする気力もなく、自分を呪うシムイに報復する気にもならなかったんじゃないかと思う。
駄目な自分を自分で責める、そんな全くの失意の中にいる、ダビデのその時の有り様はそんな状況だったんじゃないかと思う。
自分で自分を責めるということほど辛いことはないと思う。誰から責められても、そんなことはないと自分で思える時はまだいい。周りの責めを跳ね返す力もある。けれど自分自身が自分を責めるとなると誰も自分を守れない。
ダビデはもう神に頼るしかなかったんじゃないかと思う。ダビデは逃げる途中「オリーブ山を泣きながら登って行った」(15:30)と書かれている。神が呪いに代えて幸いを返してくれる、とダビデは語っているけれど、そういう堅い信仰があったからそう言ったんじゃないように思う。もうなにもない、自分には力もなにもない、ただ神に頼るしかない、一縷の望みは神のみだ、そんな思いでいたのではないかと思う。
将来どうなることやらわからない、自分自身の中にはまったく希望も見えない、そんな真っ暗闇の中にあっても、でも神がそこにいてくれているということだ。一縷の望みを神に託すことが出来る。助けてくれ、と祈ることができる。でもそこから少しずつ希望が生まれてくるんじゃないかと思う。