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礼拝メッセージより
「約束」 2012年7月15日
聖書:サムエル記下 9章1-13節
サウルとダビデ
サウルとヨナタンがギルボア山で戦死し、ダビデを殺そうとする者がいなくなったので、ダビデは亡命していたペリシテのティクラゲから、故郷である南ユダのヘブロンに妻子ともども帰還する。すると、「ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」。ユダ族の王となったということで、いわば南ユダ王国が独立し、イスラエルは南北に別れることとなる。
一方の北イスラエルの部族は、サウル亡き後、軍の司令官アブネルによりサウルの息子イシュ・ボシェトを王とする。
南北で別々の王が立てられそこで内戦が始まる。北イスラエルの軍司令官アブネルは、南ユダ軍司令官ヨアブとギブオンの池で対戦し、イスラエル軍とアブネルは敗走し、ユダ軍の司令官ヨアブに休戦を申し入れたという戦いがあった 。内戦が長引くにつれ北のサウルの家は次第に衰えて行くことになる。
北イスラエルの軍司令官アブネルは、王イシュ・ボシェトにサウルの側女と関係を持ったことを注意されたのを恨み 、ダビテ側に内通します。北イスラエルの実権を握っていたアブネルは、和睦(実は寝返り)をダビテと話し合うためにヘブロンに出かける。ダビテは酒宴を催して敵将アブネルをもてなし、平和のうちに送り出す。
しかしユダの軍司令官ヨアブはダビテの知らぬ間に、アブネルを暗殺する。ダビテはこれを聞いて、悲しみ声をあげて泣き断食して、丁重に葬る。逆に自分の部下であるヨアブについては、卑劣な行為に神の報復があるよう激しく呪う。
一方の北イスラエル国は、実力者のアブネル軍司令官を失しない、王イシュ・ボシェトも部下に暗殺され、困った北イスラエルの全部族はのダビデの下に来て、自分たちの王にもなるように願い出て、ダビデは南北両方の王となり、南北の統一王国となる。
南北対立
古代イスラエルの主流部族は北イスラエルのヨセフ族を母体とするエフライム族とマナセ族、ベニヤミン族だそうだ。ヨシュアはエフライム出身です。その名門ベニヤミン族出身のサウルが初代の王となった。そしてサウルの息子のイシュ・ボシェトや孫のメフィボシェトが王を継ぐのが正統だと考えられるらしい。そこに反主流のユダ族のダビデが王となった。どうもダビデは主流である北イスラエルにとても気を遣っているようだ。北の司令官であるアブネルが和睦を求めてきたときに酒宴を設けて迎えたり、暗殺されたときにも丁重に葬ったりしたのは北イスラエルの主流派に対する配慮でもあったらしい。
ヨナタン
そんな風にダビデが南北の王となり地盤を固めつつあった時の話しが今日のところだ。ダビデは、サウル家で生き残っているものがいれば、ヨナタンのために忠実を尽くしたい、と言ってサウル家につかえていたツィバに聞いた。そこでヨナタンの息子で、両足の萎えたメフィボシェトがいると聞き、自分の王宮に迎え入れ、いつも一緒に食事をするようになり、ツィバにはメフィボシェトのためにサウルの土地を耕すようにと言ったという話しだ。
サムエル記上20:12-15「ヨナタンはダビデに言った『イスラエルの神、主にかけて誓って言う。・・・父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もし私がそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。・・・主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみを私の家からとこしえに断たないでほしい』。ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ」。
この契約というか約束をダビデが覚えていてメフィボシェトを王宮に招き友に食事をするように、つまりほとんど家族となるようにと言ったということらしい。
ダビデはヨナタンとの約束を忠実に守ろうとしてメフィボシェトを迎え入れた、それほどにヨナタンとの友情は篤いものだったということなんだろうか。
それとも、王朝が変わるときには、前の王朝の男子はことごとく殺される習慣があった、らしいけれど、そんな時代に前の王の孫を自分の手元に置いておくというのは、反乱を起こさせないための人質として、というような何かの策略があったのだろうか。
ダビデは北イスラエルの司令官アブネルを丁重に迎えたり、死を悲しんだりしたように、またかつて自分の命を狙っているサウル王を殺すチャンスがありながら殺さなかったように、北との対立を避けようとしている面があるような気がする。イスラエルの国の反対派を相手を力でねじ伏せる、なんてことを敢えてしていないような気がする。主流派でない自分が王として立つためには主流派からの支援を必要だという考えがきっとあったのだろうと思う。
でもメフィボシェトを招いたのがただそんな策略だけだったのかどうか。そうだとするとなんだか悲しいというか寂しい気もする。実際のところはダビデに聞かないと分からないのかもしれないけれど。
多分、そんな政治的な思惑もないわけではなかったのだろうけれど、それだけではなく、このことはダビデとヨナタンとのかつての友情の証しであるのだろうと思う。その友情がいかに堅かったかということの証明でもあるのだろう。
ダビデがただ策略としてメフィボシェトを招き入れたのであれば、それはただただ面倒なことだったろうと思う。でもダビデがヨナタンとの約束を果たしたいという思いでメフィボシェトを招いたのであれば、それはダビデにとってとても嬉しいことだったろうと思う。自分の子供のように思い、自分の子ども達を一緒にその成長を見守っていったのではないかと思う。そうであるならばそれはダビデにとって、そしてメフィボシェトにとってもとても幸せなことだったろうと思う。
殺したり殺されたりということが頻繁に起こる時代に、そんな幸せな関係がそこにあったということを伝えてくれているのかもしれない。相手を大事にしまた大事にされる、やっぱりそこにこそ幸せがあるのだろう。