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礼拝メッセージより
「神の力によって」 2012年5月13日
聖書:士師記 7章1-8節
ミディアン
僕が初めて読んだ聖書はギデオン協会から貰った聖書だった。兄貴がもらってきていた聖書が家にあった。最初見たときにはパラパラ見ただけだったけれど。しばらくして高校に入って、担任から聖書を配ってるから貰ってこいと言われて、その時にもらったのがやっぱりギデオン協会の聖書だった。
そんなことからギデオンという名前にはずいぶん馴染みがある。でもギデオン自身のことはあまり知らない。
士師記6章を見ると、例によってギデオンの時代にもイスラエルの人々は主の目に悪とされることを行った。それで、主は彼らを7年間、ミディアン人の手に渡されたと書かれている。
ミディアンとは、アラビア半島北西部にあって、カナンから見るとだいぶ南にある地域だ。聖書によると、ミディアン人はアブラハムの妻ケトラの第4子とされている。ヨセフの兄弟たちはヨセフをミディアン人の商人に売り渡した。そしてミディアン人はイシュマエル人と同様に、国際的な交易に従事していた。ファラオのもとから逃れたモーセはミディアン人の祭司レウエルのもとに身を寄せ、その娘と結婚した。その後イスラエル人がカナンの地に入ろうとしたとき、ミディアン人はモアブと一緒になってそれを拒もうとしたために、それまでの友好関係にひびが入り、激しい対立へと発展した。ミディアン人はらくだを乗りこなし、行動範囲は広く、その脅威も大きかった。
選び
そんなミディアン人の脅威にさらされている頃に、イスラエルの民は主に助けを求め、そこで召されたのがギデオンだった。
6章にギデオンのもとへ主の使いがやってきたときのことが書かれているが、そのときのギデオンの姿がふるっている。ミディアン人に小麦を奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていたのだ。敵を怖がって隠れて仕事をしていたようだ。しかも主の使いが、主はあなたとともにおられます、と言うのに対しても、なんで主が共にいるのに俺たちを見放したのか、主の驚くべき御業はどうなってしまったんですか、なんて反対に文句を言っている。
続いて主(なぜかここから突然主の使いから主にかわっている)が、その偉大な力を持っていけ、おまえがイスラエルを救うんだ、わたしがおまえを遣わすと言うのに対しても、なんで俺にそんなことができるんだ、と答える。その後も、しるしを見せてくれとか供え物をするまでここを離れないでくれとか、主の使いを見てしまった、とか。ギデオンはいろいろな神の業を見てからもしるしを求めている。
そんなギデオンに対しての主の使いの最初の言葉がなんと「勇者よ、主はあなたと共におられます」だ。隠れてこそこそ麦を打っている人間に対して、文句ばかり言っている、だだをこねているようなものに対して、「勇者よ」と呼びかけるのだ。神はギデオンを最初から勇者として見ているのだ。だんだん勇者になれ、ゆくゆくは勇者になれと言っているのではない。しょっぱなから勇者として接しているのだ。すごく面白い。
戦い
そしていよいよ7章でミディアンとの戦いが始まる。ところが主は、ギデオンの率いる民は多すぎるなんてことを言う。自分の力で相手を打ち破ったと驕り高ぶることがあってはいかんということらしい。そこで、恐れおののいている者は帰れということになり、3万2千人集まっていた民のうち2万2千人が帰って1万人になった。
その時相手の人数は、13万5千人いた、と聖書教育に書いてあった。どこからその数字が出たのかと思ったら、8章10節を見ると「ゼバとツァルムナは、約1万5千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士12万が、既に戦死していた」と書いてあった。
13万5千人に対して3万2千人が多すぎるというのはどういうことかと思うけれど、そこから1万人に減らしたのに、それでも主は、まだ多すぎる、水辺で水を手にすくって飲んだ者だけを残して、かがんで水を飲んだ者は返すようにと言った。そうすると残ったのは300人だけになったという。
結局その300人だけで戦うことになった。
その後、ギデオンは、主から敵をあなたの手に渡すから下って行け、もし下って行くのが恐ろしいなら敵陣に下り、彼らが何を話し合っているか聞け、と言われ、敵の陣営へ近づき様子を探る。そこでは一人の男が神がミディアン人たちをギデオンの手に渡すというような夢を見た、という話しを聞いた。そんな話しが敵陣に広がっていることを知り、ギデオンは勝利を確信したのだろう。そこで300人を三つの正体に分けて、角笛を吹いて、水がめを割って、松明を手にして、「主のために、ギデオンのために剣を」と叫んで敵陣を包囲した。そうすると敵はびっくりして敗走して、至る所で同士討ちを始めた。
その後は援軍を要請して、相手を追いかけて行き、相手の将軍も殺した、と書かれている。
多すぎ
そもそも300人で13万5千人と戦うなんてことになるとはギデオンは思ってもいなかった。6章33節以下のところを見ると、「ミディアン人、アマレク人、東方の諸部族が皆結束して川を渡ってきて、イズレエルの平野に人を敷いた。主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まってきた。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まってきた。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上ってきて合流した」と書かれている。
ギデオンは13万5千人に対抗するために、自分の属するマナセ族を始め、近隣の部族からも民を集めたのだ。できるだけ多くの民を集めることは当然誰もが考えることだろう。数が多いほど力があると誰もが考える。そして自分達が力を持って、その力で相手をやっつけようとする。相手の勝る力をこちらが持っていないと勝てるわけがないと思う。
しかし神は不思議な仕方でギデオンたちを助けた。敵の中に、ギデオンにやっつけられるのではないかという夢を見させ、その話しを広めさせ、疑心暗鬼にさせた。そのことから夜襲をかけられることで混乱し同士討ちとなっていったのだろう。
神の力
神はイスラエルの人たちが傲ることがないようにということで戦う民を減らされた。イスラエルの力をそいでいった。そして神の力による勝利を経験させたのだろう。
自分の能力だけで生きていかねばならないならば、どんどんどんどん力を蓄えないといけない。そうやって力をたくわえられない自分は、いったいどうやって生きていけばいいのか途方にくれるしかない。
しかし神の力を受けながら、神の助けを受けながら生きていっていいのならば、力のない者も生きていける。
この先いったいどうなるのかと心配なことがいっぱいだ。13万5千人を前にして300人しかいないような、無力感がいっぱいだ。
でもお前達は私の助けによって生きていきなさい、と言われているようだ。私がついている、私が助けている、だから私の力によって生きなさい、神は私達に対してもそう言われているのではないか。