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礼拝メッセージより
「大丈夫」 2012年4月29日
聖書:使徒言行録 27章13-44節
いきさつ
パウロは第3回の伝道旅行を終えてエルサレムにやってきていた。ところが、アジアから来たユダヤ人たちが神殿でパウロを見つけた。暴徒が彼を外に引きずり出し、殺そうとした。
ローマの部隊が彼を逮捕(救出)した。パウロは、暴徒に語ることを許された。彼の話は人々を更に激怒させた。
彼は、ローマ軍の兵営に連れて行かれた。
翌日パウロはユダヤ議会に立って、自らの弁明をした。再び論争は激しくなり、パウロは兵営に戻された。
40人の者がパウロを殺す陰謀を企てた。
ローマの隊長が、陰謀を聞きつける。その夜、彼は武装した護衛をつけて、パウロをカイサリアの総督フェリクスに送り届けた。
難船
とらわれの身となったパウロは、カイサリアという所でその後2年間監禁される。それは総督がユダヤ人の気をひこうとして、あるいはパウロから金をもらおうとして、ずっと監禁していたというのだ。イエス・キリストを伝える宣教者が、人間の悪巧みによってもてあそばれてしまっているかのようだ。そして27章ではやっとローマに向かって出発することになる。それもパウロが皇帝に上訴したために船に乗り地中海を通って護送されていくということだった。
今回改めてここを読んでいると、なんだかまるで映画にでもなりそうだなと思った。先日平清盛のロケに使ったという船を見たけれど、あれよりももっと大きな船で形も違うのだろうけれど、そんな船をイメージしながら読んでいると面白いなと思う。
パウロは他の囚人たちと一緒に、皇帝直属の百人隊長に預けられた。しかし隊長はローマの市民権を持つパウロを安全にローマまで届けないといけない。そのためか隊長はパウロに対して随分好意的である。船でカイサリアを出発した一行は翌日シドンに到着する。そこでパウロは、その地に住んでいる友人たちを訪ねることを許されている。
シドンを出た船は向かい風にあい、本来そのまま西に行くことができないのでキプロス島を風よけにするように北側を回り込むようにして航行する。そして陸地に近い所をどうにか西に進んでミラという所へ辿り着く。そこは西からの風を避けられる船の避難所になっていたようだ。
そのミラで百人隊長はイタリア行きのアレクサンドリアの船を見つけて囚人たちをその船に乗り込ませる。アレクサンドリアはエジプトの町で、エジプトはローマ帝国の穀物供給地帯だったそうだ。
ところがこの船もやはり強い北西の風を受けてなかなか思うように進めなかった。どうにかクニドス港に近づくが、強い風に行く手を阻まれて、南にまわり、クレタ島のサルモネ岬を回って、クレタ島の南側を通って、ラサヤの町に近い良い港と呼ばれるところにつく。
風のために予定が遅れてしまったのだろうか、パウロは既に断食日も過ぎていたので、この後の航海は中断しようと行った。断食日とは、レビ記には第7の月の10日と書かれているそうで、今の暦だと9月から10月になるそうだ。当時は航海は日中だけで夜は休み、冬には海が荒れるので沖に出ないというのが常識だったそうだ。ところが船長たちは良い港ではなく、フェニクス港で冬を過ごした方がいいということで意見が対立したが、結局船長たちの意見が多数であったのでフェニクス港へ向かうこととなった。
丁度南風が吹いて来たので、錨を上げクレタ島の岸に沿って進んだ。ところが、まもなくエウラキオンと呼ばれる暴風に襲われてしまう。クレタ島は2500メートル級の山があるそうで、その山から吹き下ろす風に吹かれたのだろう、船はそのまま流されるしかなくなった。
やがてカウダという島の陰に来たところで、どうにか小舟を引き上げ、船体には綱を巻き付け、シルティス(アフリカの北岸)の浅瀬に乗り上げることがないように、海錨を降ろして流れるに任せた。
どれほど揺れただろうかと思うが、どうにもならず、次の日には船を守るために積み荷を捨てるしかなくなった。三日目には船具までも捨てることになり、自分たちの命も危険になってきた。
「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」という程だった。当時の航海術では、太陽と星から自分の位置を確認していた。ところがその肝心の太陽も星も見えなくなってしまうということは自分たちがどこにいるのか確認するすべがなくなってしまうということだ。全く望みが消えようとしている、もう死ぬしかないと誰もが思うような状況である。
そんな時にパウロがみんなに語りかける。私のいったとおりにしておけば、ということを言うがそれだけではなく、自分の正しさを言いたいがために語りだしたのではなく、船は失うが誰ひとりとして命を失う者はない、という神の天使の言葉を告げた。私に告げられたことは本当にその通りになる、必ずどこかの島に打ち上げられる、そういってみんなを励ました。ローマに言ってキリストを伝えることは神の変わらない計画なのだ、ということをパウロは語る。そしてそれは最初からパウロに告げられていた神の約束でもあった。
食事
パウロは大丈夫だと言ったけれど、その後10日ほど、ずっと漂流を続けた。そして14日目の夜、やっと船は陸地に近づく。その時、船員たちが逃げ出そうとするが、どうにか止める。そしてパウロはみんなで食事をしようと言い出した。決して命を落とすことはないと言って、パウロは一同の前でパンをとり感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。イエス・キリストみたい。
この時は少しは風もおさまっていたいのだろうか。心配と不安で食事を取る気にもならなかったのではないかと思うけれど、食事を取ろうというパウロの姿を見て元気になったので食事ができたようだ。
結局難破するが、神の約束通りに全員の命は助かった。食事をして元気を取り戻したことで、難破した船から陸に上がる力も出て助かったということかもしれない。
その時兵士が囚人たちを殺そうとしたが百人隊長が思いとどまらせたなんてこともあった。囚人たちを逃がすと、その囚人の受ける罰を受けないといけないという決まりがあったそうなので、なんとしても逃がすわけにはいかない、ならば殺す、ということだったのだろう。
風に吹かれ、波にもてあそばれつつ、パウロはローマへと近づいていく。総督やローマ兵にいいようにあしらわれ、船員に見捨てられようとしたり、兵士に殺されようとしたりしながら、それでも着実にローマへ近づいていく。
大丈夫
パウロは嵐に遭いながらも、みんな助かる大丈夫だ、それが神からのメッセージだ、さあ食事をしよう、と言った。それを聞いた人たちは、ああ良かった、これで安心だ、なんて思ったのだろうか。普通に生活しているときにそんなこと言われても、本当だろうかとしか思わない。けれど、何日も揺られている時にそう聞くと、結構うれしくなり、元気が出てくるような気もする。
しかし現実には、大丈夫だからというようなことを告げてくれるわけではない。神の計画もよくは分からない。嵐の中に生きるときには、このまま駄目になってしまうのではないか、良くなるなんて事はないのではないか、と心配になり、絶望的な気持ちになる時がある。
でも、神さまは大丈夫だと言ってくれているはず、きっと助けてくれるはず、見捨てることはないはず、と希望を持つ時もある。
そんな絶望と希望との間をいったりきたりしている。
祈ればなんでも叶うとは限らない。願いどおりにいかないことも多い。それでも祈ることができる、絶望的な時にも、かすかにでも、一時でも希望を持つことができる、それはすごいことじゃないかと思う。