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礼拝メッセージより
「逆境の中で」 2011年10月23日
聖書:申命記 7章6-11節
挫折
かつてエジプトから導き出されたイスラエルの人たちは、約束地を手に入れ、やがて自分たちの国を作った。ダビデはソロモンが王となった時代には結構強い国であったようだが、基本的にはエジプトやアッシリアやバビロニアなど、常に周りの列強の脅威にさらされていた。そこで力とか強さとかを求めるようになっていったようだ。
神に助けられてエジプトから導き出された経験もあり、神に従っていこう、という思いもだんだんと小さくなっていき、自分たち自身が強くなることや、強い国の味方となることで生き延びていこうとすることを目指すようになってきたのだろう。神に頼ることよりも、そんな力に頼るようになってきたようだ。
ヨシヤという王の時代に、この申命記の元となるような文書が神殿で発見されて、偶像礼拝をやめたような改革があったけれども長続きせず、やがてイスラエルの国は滅亡して国の主だった人たちはバビロンへと補囚されてしまう。
神の言葉
今の申命記はそんな時代に今のような申命記に編集されたそうだ。国をなくして初めてイスラエルの人たちは自分たちのことを改めて見つめ直したようだ。
神に従ってこなかった自分たちの過去を見つめ直したのだろう。偶像崇拝をするなと言われてきたのに、外国の神の像を作って拝んでいたこと、神に頼るようにと言われていたのに、外国の力に頼ってきたこと、そしてその結果として国を無くし補囚されるという屈辱を味わっているということを感じたのだろうと思う。
これまで見落としてきたこと、聞き漏らしてきたこと、それが今日の箇所なんじゃないかと思う。これまで自分たちは神に選ばれた民である、聖なる民であると自負してきた。自分たちは他の民よりも優れているからこそ神に選ばれたのだ、だから自分たちはどこにも負けない大きな強い国になるんだ、そうなるべきだと思っていたんだろうと思う。
ところが、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、救い出された」と言われている。
主がイスラエルを選ばれたのは、イスラエルが数が多かったからでも、優れていたからでもなくて、ただイスラエルを愛したからだというわけだ。実際貧弱であったと言われていて、特に優れているわけでも信仰深くもないようだ。しょっちゅう神に文句を言い、逆らい、外国の神を礼拝するような民だった。でもそんなイスラエルの民を主は愛した、だから先祖に誓ったようにエジプトから救い出したというのだ。
まさに神はイスラエルの民を宝の民とされたわけだ。宝物だから大事に大事にする、だからエジプトから救い出したのだということだろう。
だから、宝物だから、宝物としてくれている神に従うように、神の戒めと掟と法を守るように、と言われているのだろう。
再発見
バビロン補囚という逆境にある人たちにとってこの言葉はすごく心に響いただろうと思う。逆境にあったからこそ、この言葉の意味を理解できたんじゃないかという気がする。
貧弱であるけれども、神に愛されている、宝の民にされている、それはなんとも嬉しいことだっただろう。そしてかつて先祖が奴隷であったエジプトから救い出されたということは、おなじく補囚されている民にとっては大きな希望になったことだろうと思う。
希望
「外が十分暗くなると、あなたは数々の星を見ることが出来る。」
(チャールズ・ビアード/アメリカの歴史家)
イスラエルの民はバビロン補囚を経験した。それは屈辱を味わい、自分たちの無力さ、惨めさを嘆くそんな暗い時だった。でも彼らはそこで星を、神の言葉を見つけたのだろう。
私たちも暗いところにいる時ほど、星がよく見えてくる。苦しみを味わう時、屈辱感や挫折感や劣等感や不安感や、そんないろんな思いが私たちを苦しめる。でもそんな時が一番大事なものが見えてくるのかもしれないと思う。大切な神の言葉が聞こえてくるのはそんな時かもしれないと思う。
そして神は私たちに対しても、あなたは宝だ、愛している、と言ってくれているのだろう。
それにしても宝というのはすごいなと思う。宝物は無くさないように大事にしまっておいたり、一番いいところに飾ったりする。神はそんな風に私たちを見ているのだろうと思う。
そう言えばイエスも、周りから見捨てられたり、見下げられたりするような人の所へよく行っていた。こんな自分では駄目だ、こんな自分は誰からも相手にされない、認められない、そんな風に思っている人のところへ行っては、友だちになり、神はあなたを愛しているんだと言っていた。
新約聖書には、神は無に等しい人、身分の卑しい者、見下げられている者を選んだ、なんて言葉もある。
私たちの神は、貧弱なイスラエルを宝とする神、無に等しい見下げられている者を選ぶ、そんな神だ。そんな風に私たちも選ばれているのだろう。
失敗したり挫折したり、思うようにいかなくて自分の駄目さ無力さを嘆くことが多い。そしてどんどん暗闇の中に落ち込んでいくような思いになる。でもそんな時こそ星がよく見えるのだろう。そんな時こそ神の言葉が心に響いてくるような気がする。
そんなお前が私の宝だ、そのお前が大事なんだ、そんな神の声をしっかりと聞いていきたいと思い。こんな私を?本当に?と思う気持ちもないわけではないけれども、そう思いつつも、そうなのか、そんなに大切に思ってくれているのかとじっくり神の声を聞き、じんわりと喜び、感謝したいと思う。
心配もあるだろうけれども、大丈夫だ、私がいつもついている、神はそう言われているのではないか。