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礼拝メッセージより
「み心のままに」 2009年12月27日
聖書:使徒言行録 28章17-31節
拘束
パウロは第三伝道旅行の最後で、死ぬことを覚悟して、エルサレムに向かった。
エルサレムでは、教会の信者たちはパウロを歓迎してくれたが(21:17)、ユダヤ人たちが彼が神殿にいるところを見付けて騒ぎだした。いよいよ、第三伝道旅行の時にパウロ自身や友人たちが恐れていたことが起こった。アジヤから来たユダヤ人たちの扇動によってパウロは捕らえられ、あわや殺されそうになるが(21:30-31)、そこへ騒ぎを聞きつけてローマの千人隊長がやって来て、パウロを保護したので、パウロは殺されずに済んだ。この時代エルサレムは、ローマの支配下にあったが、総督はカイサリヤ、そこは地中海岸、に住んでいたので、エルサレムの管理は千人隊長に任されていた。
さて、パウロは獄に連れて行かれる途中で、千人隊長の許しを得て、ユダヤ人の前で自分のことを弁明した。この弁明は22章1-21節に記されている。ここでパウロは、自分の過去を振り返って、自分は熱心なユダヤ教徒であり、最初はその熱心からキリスト教徒を迫害したこと、その後ダマスコの近くで復活の主に出会って回心したこと、そして異邦人のための伝道者として立てられたことを述べる。
ところが、これを聞いたユダヤ人たちが再び騒ぎ出したのです。
22:22 パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」
ユダヤ人たちは、パウロを殺そうと思ったが、彼がローマの兵士に保護されて手出しが出来ないので、そのいらだちから「22:23 彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだった」。しかし、千人隊長もパウロを保護したが、それはパウロのことを理解し彼を助けようと思ってのことではなく、彼もパウロを鞭で打とうとした、とあるように、何らかの犯罪を犯した者だと思っていたようだ。千人隊長リシア(24:7)が、取り調べもしないでパウロを縛り付け鞭で打とうとしたのは、明らかに間違った処置だったが、ピラトがイエスにしたように、ユダヤ人の声に負けて処刑にすることだけはしなかった。そして、パウロがローマの市民権を持っていることを知ると、彼を丁重に扱い、多くの護衛をつけて、カイサリヤの総督フェリクスの所に送った(23:23-35)。
さて、舞台は総督の居住地カイサリアに移る。しかし、当時のローマ総督フェリクスは、パウロのローマ市民権もおろそかに出来ないし、またユダヤ人たちに反感を買われることも恐れて、パウロを二年間何もせずにただ獄に閉じ込めていただけだった。
24:27 さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。
ローマへ
そして二年後にフェリクスの任期が終わって、次の総督フェストゥスに代わった。パウロは、この新しい総督に対しても、皇帝の前で裁判を受ける権利を主張した。そして総督はそれを認めた(25:10-12)。
27:1 わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。
ここでまた、「わたしたち」が出てくる。27-28章においてこの「わたしたち」が何度か出てくるので、使徒言行録の著者ルカもこの旅に同行していたようだ。そこでこのローマへの旅の記事は、非常に詳しく記されている。
この舟は、囚人を護送するための舟ではなく、一般の旅行者や荷物をも運ぶものだったらしい。それらの人や荷物に交じって、パウロや他の囚人たち、それにルカや他にもパウロを良く知っていた人(二節にあるアリスタルコ)も同舟した。もちろん、パウロたち囚人には、厳重な監視の人がついていた。
さて、パウロたちの最初に乗った舟は、アジヤのアドラミテオィオン行きの舟で(2節)、カイサリアを出発した後、まずシドンに寄り、ここでパウロは友人たちに会うことが許された(3節)。それから、キプロス島の北を通って、ミラという町に入港した(5節)。このミラでイタリア行きの舟に乗り換え、クニドスの沖合を通って、クレタ島に向かい、サルモネ岬を通って、「良い港」と呼ばれる所に着いた(8節)。季節は、ちょうど冬になる所で、この地方は、冬は激しい季節風が吹くので、航海は危険だった。そこでパウロは、ここで航海を続けることに反対したが、「しかし百人隊長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。
パウロの反対にも拘わらず、舟は「良い港」を出発した。するとエラウキロンと呼ばれる暴風によって、舟が流されてしまった。
しかし、神の示しがパウロにあり、その通りに舟はマルタ島に漂着し、全員無事に助かった(28:1)。
そして三ヶ月後、別の舟でシシリヤ島のシラクサに寄港し(12節)、イタリヤ本島のレギオンに渡り、プテオリに上陸し、陸路ついにローマに到着した(14節)。そして使徒言行録の記事は、次の言葉で終わっている。
28:30-31 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
行き詰まり
パウロにとっては行き詰まりは敗北ではなかった。行き詰まりつつ、そこから新たな道が開けていったようだ。
コリントの信徒への手紙二でパウロはこんなことを書いている。
4:8 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
6:4 かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、
12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
自分の目には行き詰まりに見えるところでも、パウロにとっては自分の目から見える見方と別のもう一つの見方があったようだ。つまり神の目から見る見方があった。
一昔前に流行った大きな迷路の中をうろうろしている人間のようなものかもしれない。迷路の中にいる人間にとっては壁しか見えない。その中をいったりきたりしていると永久に出れないような気持ちにさえなってしまう。
しかし、その状況を高い所から見ることが出来るならばその迷路もどうってことはない。
人間の目には壁しか見えないとしても、神の目から見れば必ず出口のある迷路なのではないか。そしてその神の声を聞くことが出来るならば、たとえ自分に出口が分かっていなくても大丈夫なのだ。神の声に聞くことで確実に出口にいける。
私たちの人生は真っ暗闇のようなものかもしれない。私たちの目指すべきところもなかなか見えてこない。どっちにいけばいいのかわからない。しかし神はそれを知っている。私たちの進むべき道を、私たちが生きるべき人生がどのようなものなのかを。だからこの神に聞いていこう。
宣教
神はパウロに神の言葉を託された、同じように私たちにも神は神の言葉を伝えるように託されている。この神の言葉は私たちにも、そして私たちの隣人にも希望となるものなのだ。だから伝えるように、と言われているのだ。ただ神が命令しているからお前たちも守るようにというようなものとは違うだろう。
自分のように
パウロはイエスを伝え、そしてそれを聞いた人たちが自分のようになるようにと望んでいる。
26:28 アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
26:29 パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」
相手を説き伏せようとする時に、自分のようにならないように、ということが多い。親は子どもに対して、自分の遭った苦しみに遭わないように、自分の経験した辛いことを経験しないように、ということを考えることが多いように思う。結局自分のようにならないように、ということを子どもに願う。
しかしパウロの言い方はそうではない、自分がとてもいい、だから自分のようになってほしい、というのだ。何なのだろうか。教会の宣教は結局はそういうことなのかもしれない。あなたも私のようになってほしい、あなたにも私たちのこの喜びを経験してほしい、ということなのだろう。
礼拝に来ることが楽しいから、あなたも来てみなさい、と言えるのだと思う。祈ることが喜びだから、あなたも祈ってみたら、と言えるのだと思う。
このすばらしい宝をあなたももらいなさい、というのが伝道なのだろう。