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礼拝メッセージより
「不安、喜び」 2009年12月20日
聖書:マタイによる福音書 2章1-12節
クリスマス
クリスマスはキリストの誕生日、12月25日に生まれたのだろう、どうして24日の方がお祝いするのか、なんてことを聞かれることがある。確かに25日が誕生日なら25日にお祝いすればいいという気もするが。
本当の誕生日は分からない、多分キリストが生まれたのは冬じゃなくてもっと温かい季節だっただろう、なんてことを言うとびっくりされることが多い。
王の息子として生まれていたら、何月何日何時何分、どこそこで生まれたというような記録が残っているかもしれない。そしたら国中でお祝いして、そのことを語り伝えるというようなこともあるかもしれない。
けれどもイエス・キリストはそんな風にみんなに注目されて生まれた訳ではなかった。わずかな人に知られただけだった。
不安
イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれた。ヘロデ大王はたいへんな野心家だったそうだ。ヘロデ家というのは、もともとイドマヤ人と言って、エドム、つまりヤコブの兄弟のエサウの子孫の出だった。ユダヤ人から見ると外国人だった。けれどもヘロデの父がたいへんな野心を持った人で、ユダヤ教に改宗し、ユダヤの王家に接近し、その血統の奥さんをもらうなどして、また当時その地方一帯を支配していたローマの皇帝に取り入ったりして、ユダヤの中での地位を固めていったそうだ。そして息子のヘロデが今日の聖書に出てくるヘロデ王で、彼はついにローマの皇帝により、ユダヤの王として任命された。
そのヘロデ王の所に、東の国の占星術の学者が尋ねてきたというのだ。当時は星の動きから世の中の動きを知るというような考え方が一般的にあったそうで、占星術の学者と言っても今の占い師のことではなく、時の政治判断する大切な役目を持った王の参謀、政府高官というような人たちだったそうだ。
その東から来た学者がヘロデのところへ来て、ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか、東で星を見たので拝みに来ました、と言ったというのだ。ヘロデ王はそれを聞いて不安になった。王である自分の知らないところで別の王が生まれたと言われたのだ。父の時代からいろんな策略を持ってユダヤの王という地位を手に入れたヘロデ王だった。ユダヤの王が生まれた、これまで築いてきた自分の地位を揺るがす者が生まれたことになるわけだ。だから当然不安になる。
そこでヘロデは祭司長や律法学者たちを集めてメシアは、つまりキリストはどこに生まれるのかと問いただしたという。そしたら彼らはそれはユダのベツレヘムだと言った。旧約聖書のミカ書に書いていると言ったと言うのだ。ユダヤ人たちはちゃんと知っていたのだ。ベツレヘムというダビデの町でキリストが生まれることを。
けれどもヘロデは学者に、その子のことを詳しく調べて見つかったら知らせてくれ、わたしも行って拝もう、と言うけれども16節以下の所を見ると、後に学者達に知らせて貰えなかったということを知ったヘロデはベツレヘム一帯の二歳以下の男の子を殺させたと書いている。
ヘロデ王が不安になるのはよく分かる。しかし不安になったのはヘロデ王だけではなくエルサレムの人々も皆不安を抱いたと書かれている。
ユダヤの王が生まれたと聞けば喜ぶのが普通なのではないかと思うけれどもそうではなかった。ヘロデ王は自分たちを支配しているローマ帝国に任命された王であって、自分たちが選んでわけでもない、自分たちが望んでもいない王だったと思う。それに変わる真の王が登場したならば喜ぶはずじゃないかと思うけれども、反対に不安を抱いたというのだ。どうしてなのか。
占領下ではあっても社会はそれなりに安定はしていたようだ。それなりに生活している中で新しい王が生まれることによって、いさかいが起こり戦争が起こる、そういうことに対する不安だったのだろうか。社会が変動することで自分たちの持っている利権が危うくなるということに対する不安なのか。
兎に角何かが変わることに対する不安があったのかもしれない。これから何かいいことが起こるかもしれない、何かが起こり始めているという期待よりも、何かが変わってしまうという不安の方が大きかったのだろう。
ベツレヘム Bethlehem
ベツレヘムはエルサレムの南7kmにあるそうだ。エルサレムからも充分日帰りできそうな距離だ。ベツレヘムとはパンの家という意味で、エルサレムの食料庫のような町だったのかもしれないそうだ。
学者たちは星に従ってそのベツレヘムで幼子であるイエスに会い、喜びに溢れた。そして幼子を拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
学者たちはただイエスに会い、イエスに献げ物をするためにベツレヘムに来たというのだ。彼らはキリストから何かをしてもらうために来たのではない。ただキリストを見て、献げ物をするためだけにきた。
彼らはイエスに会うだけで喜びに溢れた。
ユダヤ人
幼子であるイエス・キリストに会いにきたのは、聖書によるとこの学者たちと羊飼いたちだけである。メシアはベツレヘムに生まれるということを一番良く知っていたユダヤ人たちはそこにはやってこない。
ルカによる福音書によるとイエス・キリストは飼い葉桶の中に寝かされていたと書かれている。付き人も警備の人間もいない。その気になれば誰でも会いにいくことができる家畜小屋でイエス・キリストは寝かされていた。エルサレムからでも大した距離でもない。しかしそこへ言ったのはこの外国の学者たちと、みんなから差別されていた羊飼いたちだけだった。イエスはそんなところに生まれたのだ。その気になれば誰でも会える、けれどもみんなが見過ごしてしまう、そんなところでイエス・キリストは生まれた。
平和
イエス・キリストの誕生日がいつなのか分からないという理由もそこにある。宮殿の中でみんなに注目されて生まれたのではない。そして権力をもってみんなを支配する者として生まれたのでもなかった。そうではなく、イエス・キリストは人々と出会うため、出会う人たちに喜びを与えるため、平安を与えるために生まれた
地の果てまで
しかし、一見なんとも貧弱なキリスト、弱い救い主だ。私たちは圧倒的な力で全世界をねじ伏せるような者こそが余程救い主らしいようなイメージを持ってしまう。しかしイエスの姿はまるでそうではない。しかしその弱さを身に負う姿こそがイエスの姿であり、それこそが神の意志だった。
喜び
聖書には弱く小さいものを選ぶということが多く出てくる。神の目的を成し遂げるために最も小さき者、恐らく最も取るに足りないものを神は選ばれるのだ。世のメシアであり救い主である方が飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子であるということ、小さき者を選ぶということ、それが聖書の主題でもある。
弱く小さな乳飲み子、それも家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされている幼子、そしてまったく無力な十字架での死、しかしそこに神がおられる。そこに神の意志がある。その弱さの中に神の意志がある。そこにこそ神がおられる。
そうやって生まれた救い主、イエス・キリストは私たちに喜びを与える方だ。出会うことで喜びを与える、そんな方だ。学者達も、羊飼い達もイエス・キリストから何かをしてもらったわけではない。ただそこで会っただけである。しかしそれだけで喜びにあふれる、イエス・キリストとの出会いはそんな出会いなのだ。
それは弱さを抱えて苦しみ嘆きながら生きる私たちと出会うため、そしてそんな私たちと共にいるため、私たちのその苦しみや嘆きを共感するためであったのだろう。