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礼拝メッセージより
「神の計画」 2009年11月29日
聖書:使徒言行録 16章6-15節
御心ならば
昔うちの教会に、元海外青年協力隊でモロッコに行っていたという青年が来ていたことがある。モロッコはイスラム教の国だそうだ。そしてモロッコの人はよく、アッラーの思し召しならば、ということを言うそうだ。誰かと会う約束をするような時にも、明日の何時にどこそこでというような待ち合わせをする時にも、アッラーの思し召しならばと言うのだそうだ。そうとう頻繁に言うらしくて、日本から協力隊で行った青年達もそれを真似て言っていたそうだ。
約束を守れなくてもアッラーの思し召しではなかった、ということになってしまうので、教会に来ていた彼女は、アッラーの思し召しならばというのがただ単に無責任な言葉のように思えていたそうで、いっしょにモロッコに行っていた他の協力隊の若者達もちょっと馬鹿にしたような気持ちで真似ていたそうだ。
でも彼女は、アッラーの思し召しならば約束の時間にそこに行く、というのは案外本当かもしれないと思うようになったと言っていた。
宣教旅行
使徒会議を終えたパウロはアンティオキアに帰ってからしばらくして、かつて主の言葉を宣べ伝えた町を訪問しようと再び出かけた。第2回宣教旅行というふうに言うそうだが、その時6節以下にあるように、アジア週で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地上を通って行き、ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかったので、ミシア地方を通ってトロアスに下ったというのだ。
この聖霊から禁じられたとか、イエスの霊がそれを許さなかった、というのはどういうことなんだろうか。もちろん目の前に現れて通せんぼしたなんてわけではないと思うけれど。どんなことがあったのかもっと詳しく書いて欲しかったと思う。
さらに、その夜パウロは、一人のマケドニア人がマケドニア州に渡ってきて助けて下さいと願ったという幻を見たという。それって夢じゃないのと思ったりもするけど違うのかな。パウロは神が召されているのだと確信したそうで、すぐにマケドニアに出発したそうだ。
そしてサモトラケ島を経由しネアポリスに着き、そこからフィリポという町に向かった。
フィリピはローマの植民都市で外国に建設された小さなローマといったような町だったそうだ。そしてそこは戦略上の重要拠点で、ローマの兵士の一団が駐屯していた。
フィリピにはユダヤ人の会堂がなかったらしい。会堂がないところでは、ユダヤ人は祈りの場所を持っていて、それはたいてい川の畔だったそうだ。そこでパウロたちは安息日に川岸に行き、祈りの場所を見つけ、そこに集まっている婦人たちと話しをした。
そこにリディアという婦人がいた。紫布を商う人で、神をあがめている人であったと書かれている。紫の染料は、ある種の貝殻から一滴一滴集めなければならないような貴重な高価なものだったそうだ。その紫に染めた布を扱うリディアは上流階級の金持ちの人だったのだろう。その人がパウロの話しを注意深く聞き、そしてすぐにバプテスマを受けた。彼女だけではなく家族も一緒に受けた。
リディアはかなり裕福で大きな家も持っていたのだろう。彼女はパウロたちをかなり強引に家に招いたなんて話しも書かれている。
パウロは聖霊に禁じられたり、イエスの霊に許されなかったり、幻を見せられたりしながら進む道を決められてきたと使徒言行録は語っている。最初から日程を決めて、何月何日にここに行ってというような旅ではなかったようだ。そうではなくて、その時々に神に導かれるままという感じで進んでいるかのようだ。
神に導かれてというととてもかっこいいけれども、実際はどんなだったのだろうかと思う。聖霊に禁じられた、イエスの霊に許されなかったというのはどういうことなんだろうか。あそこに行ってはいけません、と携帯電話がかかってくるわけではなかっただろう。
コリントの信徒への手紙二11章24節以下のところにはパウロがいろんな苦難に遭ったことが書かれている。
「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」
結局は聖霊から禁じられたというのは、そこへ行こうと計画思っていたのにトラブルに遭って行けなくなってしまったということなんだろうと思う。それは見方によってはたまたまそうなってしまったと言うこともできるようなことなんだろうと思う。
計画
昔教会の若者が、献身して牧師になろうかどうか悩んでいる、神の導きがどこにあるのか自信がない、というような話しをしていたことがあった。その時誰だったか忘れたけれど、進むべき道は残されていく、他の道を行こうとしても閉ざされて行けなくなっていって、神から示されれる道だけが残っていくからあんまり心配するな、というようなことを言っていた。
そうなのかなと思う気持ちと、そうなんだろうなと思う気持ちがある。あなたの進む道はこれです、と分かりやすく言ってくれたらいいのにと思う。他の道が閉ざされるということは、そこへ行こうとしてみてもダメで、こっちへいこうとしてもだめで、って結局あっちこっちで失敗するというようなことなんじゃないのかと思う。あるいはパウロがそうだったように、いろんなトラブルに遭遇して、初めて見つけられる道なのかもしれないと思う。しかしそれは結構しんどい。
先の見通しがついていれば、道筋が見えていれば結構耐えられると思うけれど、見通しがつかないままにそれでも進んで行かないといけないとなると大変だ。でも結構人生は見通しがつかないことが多い。
この前の祈り会の時に、結婚して10年程だったかな、子どもができなくて結局自殺した奥さんがいたという話しが出た。結婚してしばらくすると子どもは?と特に女性はよく聞かれるみたいで、何年か経っても生まれないと、どうして産まないのか、どうして産めないのかという話しになるみたいだ。そんなことがあると、ただ子どもは、と聞かれただけで責められているような気になるんだろうなと想像する。10年後に初めて生まれたなんて話しも時々聞くけれど、でもそんな微かな望みを頼りに生きていけというのもすごい酷だなと思う。
子どもを産むことだけを願って生きてきたのかなと思う。いつしかそれしか生きる道はないと思ってしまったのではないかと思う。
進路変更
道を閉ざされるということをパウロは聖霊によって禁じられたと理解しているようだ。アッラーの思し召しならば、と同じように何でも聖霊の所為にしやがってという気もしないでもない。
でも思い通りに行かない時、何をやってもうまくいかない時、神の計画はどこなのかということを聞く時なのではないかと思う。それを聞けるというのはとても幸せなことじゃないかと思う。挫折したり失敗したりトラブルに遭ったりした時、どうしてこんなことになるんだと落ち込むけれど、そこで自分の進むべき道は、神の計画はどこにあるのかと問いかけることができるというのはとても幸せなことなんじゃないかと思えてきた。
きっと次の一歩を踏み出せるだろう。一歩を踏み出せたらそれだけ景色も変わってくる。そうするとまた違うものが見えてくる。
私たちにはそれぞれに神の計画があり、神の導かれる道がある。私たちにはそれがなかなか見えにくい。その道を神が一緒に導いてくれるならば、一緒に歩いてくれるならば私たちに見えていなくても大丈夫なのだ。
だから私たちは神を見ていこう。私たちと一緒に歩んでくれる神を見ていこう。