前 へ
礼拝メッセージの目次
次 へ
礼拝メッセージより
「違いを超えて」 2009年11月22日
聖書:使徒言行録 15章1-21節
習慣
こんな話しを読んだことがある。何回も話しているけど。
ある教会の牧師が犬を飼っていた。礼拝の時にいつも騒ぐので礼拝の時にはいつもその犬を柱に縛っていた。礼拝の前には犬を柱に縛るのが習慣になった。やがてその牧師は死んだが、やはり礼拝の前にはその犬を柱に縛り付けていた。やがてその犬も死んだ。そうするとそれからは変わりの犬を見つけてきて柱に縛り付けてから礼拝をするようになった。
生れてきてからずっと大事にしてきたことを譲るというのは大変なことだろう。俺が大事にしてきたんだからお前たちもそうしろ、と言いたくなる。昔からそうしてきているんだからとか、こういう風にするものです、なんていうふうに言ってしまうことが多い。どうしてそうしないといけないのか、なんの意味があるのか、ということはさておき、どういうふうにすべきなのかということにばかり話しが集中することが多い。
本屋には冠婚葬祭に関する常識なんて本がよく並んでいる。ほとんどみんながそれを見ないと分からないような常識がいっぱい書いてあったりする。テレビなんかでもこういう時はどうすべきか、なんていうクイズをやっていることがある。そしてそんな時みんなその答えを間違い、その筋の人がこういう時はこうするんです、なんていかにもそれをしないものは常識はずれの人間だ、というような話しをする。みんな知らないってことはそれは常識ではない、ということのような気がするけど。
もちろんそれに意味があるならばそれを続けていかないといけないが、すでに意味もなくなっているのに依然としてそれを続けているなんてことも多いのではないか。
対立
かつてペトロが幻を見せられて、カイサリアという所にいたローマ兵コルネリウスたちにバプテスマを施したことがあった。その時に異邦人と一緒に食事をしたことをエルサレム教会、ユダヤ人キリスト者から非難されたようなことがあった。それに対してペトロを弁明をした、なんてことが使徒言行録10章11章辺りに書かれている。その時には異邦人にも聖霊が降ったということを聞いて神を讃美したと書かれている。
しかしやがてエルサレムのあるパレスチナ地方に飢饉が起こり、そのことから反ローマ的な民族主義が台頭してきた。ユダヤ人キリスト者の教会であったエルサレム教会はユダヤ教の社会の中に生きている人たちの集まりでもあったので、ユダヤ教の習慣を守り続けている人も多かったのだろう。ペトロたち使徒や、イエスの弟であるヤコブが中心となっていた教会だった。もともとユダヤ教の中の一派という気持ちでいたようであるし、そこに起こってきた民族主義の影響もあったのだと思うけれども、やがて異邦人キリスト者も旧約聖書の律法を完全に守るように、という話しになっていったようだ。
イスラエルの北にある教会であるアンティオキア教会は、ステファノたちの考えに同調する人たちが作った教会で、バルナバやパウロが中心となっていた。自分たちはユダヤ教の一派ではなく、ユダヤ教を超えるものであると考えていたようだ。ここにはユダヤ人も異邦人もいて、律法からは比較的自由な考えを持っていたらしい。
そこで15章にあるように、エルサレム教会からアンティオキア教会へ使者がやってきて、割礼を受けないと救われない、というようなことを教え始めた。そこで激しい意見の対立と論争が生じた、と2節に書かれている。
かつてペトロが異邦人にバプテスマを授けた、異邦人にも聖霊が降ったので神を讃美した、なんてことは何だったのかと思うような話しがまた起こってきた。律法を守ることではなく信仰によって救われる、と主張していたパウロとの真っ向からぶつかることになった。
使徒会議
アンティオキア教会はエルサレム教会へ人を送ってこの問題を協議することになった。
それはパウロにとっては譲ることの出来ない大変な問題であった。割礼を受けて一度ユダヤ人となってからでないとクリスチャンにはなれない、と言っているのだ。
ヤコブ
そこにヤコブが登場する。ヤコブはイエスの兄弟である。エルサレム教会では大きな影響力を持っていたようだ。そして最初はヤコブもユダヤ人キリスト者が主張するような意見を持っていたのだろう。ペテロが異邦人と食事をした時にもそれに反対する立場に立っていたのだろう。それがユダヤ人としてごく当り前というふうに思っていたのだろう。
しかし彼はこの会議においてアンティオキア教会の働きを聞き、またペテロの話しを聞き、異邦人にも割礼を受けなくても、神が働いていることを認める。
ユダヤ人たちは自分たちが大事にしてきた律法を大事にしない者がいることに我慢ならなかったのだろう。確かに子どもの時から教えられて耳がたこになるほど言われ続けてきたことを途中で変えるというのは難しい。逆に回りを自分の方に合わせようとすることの方が多いのかもしれない。
きっとヤコブは自分自身では律法をとても大事にして一生懸命守っていたのだろうと思う。しかしその自分の生き方と違う生き方が教会の中にあることを彼はここで認めているのだと思う。
しかしヤコブにとってもゆずることの出来ないことがあった。そこで「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」という調停案を出したと言うことだろう。あるいはこれはかなり心情的に感情的に譲れないということだったのかもしれない。
弱い人
パウロは偶像に対する供え物についてはヤコブと違う意見を持っている。彼の福音に対する姿勢はエルサレムのユダヤ人キリスト者たちとは違い徹底的である。彼からみればエルサレムの連中は古いものにこだわっている頭の固い連中と見えたのではないかと勝手に想像する。
偶像に対する供え物についてもコリントの信徒への手紙1 8章には、
8:4 そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。
8:7 しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。
8:8 わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。
8:9 ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。
とある。
パウロは偶像なんてのは実際にはないのだからそこに供えたからといってもその肉が汚れるなんてことはない、だからそれを食べたからといってもどうってことはない、と考えている。しかしみんなが同じように考えているわけではない、弱い人々はそうは考えられない、だからといってそういう人たちを非難したり卑下したりするのではなく、そういう人たちのことを配慮するようにと勧めている。
強さ
自分を主張し、相手を押さえ込もうとすることで対立が起きる。自分の力を誇示することで争いが起きる。そこでお互いの距離が開いてきて分け隔てられてしまう。
自分の強さを主張することでは相手から遠ざかり相手のことが余計見えなくなってしまうのかもしれない。
相手の弱さをも含めて違いを認めること、それが本当の強さなのかもしれない。この時の教会は違いを認めてお互いに近づいていこうとしているようだ。
教会が一致するということは、違いをなるべく無くすという小さい小さい枠へ固まることではなく、どんな人をも包み込むように枠自体を大きくすることなのではないか。私たちは枠を作りたがりこっちの枠の中へ入っておいで、なんていうけれど、教会はもしかすると私たちが今考えるているよりももっともっと大きな枠なのかもしれない。エルサレム教会もアンティオキア教会もこのことを通して枠を広げることができたのではないか。
大事なものを見極めつつ、違いを認め尊重しあう、そんな姿勢が教会の基盤となっていったのではないか。