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礼拝メッセージより
「聞こえてますか」 2009年11月15日
聖書:使徒言行録 14章8-18節
リストラ
パウロとバルナバは伝道旅行を続けていた。リストラという町にやってきた時、足の不自由な男を癒した。そうすると群衆が、バルナバをゼウス、パウロをヘルメス、呼んで献げ物を持ってきた。しかしパウロたちはそれを止めさせた、というのが今日の話し。
注解書を見ると、どうやらパウロとバルナバはリストラ地方に伝わる伝説上の神々とまちがえられたようだ。
その伝説によると、昔ゼウス神とヘルメス神が変装し、お忍びでこの地上に来られた。ところが、その姿があまりにみすぼらしかったらしくて、その神々をもてなそうとする人がいなかった。最後に町はずれでひっそりと暮らしていたピレモンとバウキスという老夫婦が神々を招き入れてもてなした。そうすると神々は、老夫婦を除く全ての住民をぬぐい去ってしまった。そして老夫婦はすばらしい王宮の門番となり、死んでからは二本の大きな木に変えられた。
少し違う内容の伝説もあるらしくて、それによると、神々を持てなすのは同じだが、神々は老夫婦に自分の正体を告げて彼らの家を黄金の御殿に変え、何でも望むものを与えると約束した。老夫婦は、二人がいつまでも寄り添って、一緒に死ぬことだけを願った。そこで神々は彼らの願いどおりに、彼らを寄り添うようにして立つ二本の樫の木に変えた。
兎に角そんな話しが伝わっていたそうだ。
足の不自由な男を癒したのを見た住民は、伝説の老夫婦のように神々をもてなそうとしたようだ。そして多分年上だったバルナバを、神々の王であるゼウスと呼んで、パウロはおもに話す方だったので、弁論の神であるヘルメスと呼んだわけだ。
そして神々が人間の姿をとってわたしたちのところにお降りになった、と言ったと書かれている。神がやってきたと大騒ぎになっている。
ところが、続きの19節を見ると、ユダヤ人たちがやってきて群衆を抱き込み、パウロに石を投げたなんてことが書かれている。
神がやってきたと熱狂したと思ったら、こんどは殺してしまえと石を投げる、一体どうしてこんなことになってしまうのか、と思う。
聞こえてる?
今日の聖書からある牧師の説教を読んだ。その牧師が面白いことを書いていた。ここに出てくる人たちの多くが話しを聞いてないということだった。そしてなんだかやたら大声をあげている。
10節ではパウロが、自分の足でまっすぐに立ちなさい、と大声で言ったとある。そうすると足の不自由だった男の人が躍り上がって立ち上がった。それに対して11節では群衆はそれを見て、声を張り上げ、神々が人間の姿をとって、わたしたちのところへお降りになった、と言った、とある。そして献げ物をしようとする群衆に対してバルナバとサウロはなぜこんなことをするのかと叫んだ、と14節に書いている。
どうやら今日の聖書は本当は大声で叫んで読んだ方が適切かもしれない。
ちゃんと聞いてるは足の不自由な男だけだったようだ。
リストラの人たちもパウロたちの話しをどうもほとんど聞いていないようだ。ただ足の不自由な人が立ち上がったことを見て大騒ぎをしている。神々がやってきた、とすぐに勝手に思い込みゼウスだ、ヘルメスだと大騒ぎして、献げ物を用意しろ、と大声を張り上げていたのだろう。バルナバとサウロが叫び声をあげて止めるまで彼らは聞くことはなかったのだろう。結局その後もパウロたちの話しをしっかりと聞くことはなかったのかもしれない。
でも聞くことって簡単そうで結構難しい。相手が言いたいことをしっかりと最後まで聞くことって本当に難しい。相手が最後までしゃべる前に分かったと思い込んでしまうことが多い。ということを聞く側が気付くこともあまりない。
でも自分の大変さやしんどさを話ししている時に、それを最後まで聞いてもらないなんてことは誰もが経験しているのではないかと思う。一所懸命に話ししているのに、そんなこと気にするな、で終わったらそれ以上何も言えなくなる。気になるから話してるのになんて思う。あるいは、途中から話しを遮られて、私も同じようなことがあった、私の時には、なんて反対に話しを聞かされたり、挙げ句の果ては説教されたり、自慢話を聞かされたり、なんてことになったりすることもある。自分の気持ちを聞いて欲しい時に聞いて貰えないのは本当に辛いことだ。でも相手の話しになるとやっぱりなかなか聞けてないことが多いような気がする。
ちゃんと聞けよ、とパウロも思ったことだろう。
イエスもそう思っているのだろうか。私たちに対して。
熱狂的になったり、反対に落ち込んだり、そんな時って誰の声もなかなか聞けない。でも本当はそんな時が一番聞かないといけないのだろうと思う。
リストラの人たちは勝手な思いこみでパウロたちを神々だと判断した。しっかりとパウロたちの話しを聞いていれば、聞けたならばそんなことは起こらなかったはずだ。
聞いているだろうか。聞こえているだろうか。神の声が。