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礼拝メッセージより
「揺れる主」 2009年5月24日
聖書:ヨハネによる福音書 11章38-44節
病人
ルカによる福音書の10章にマリアとマルタの話しが出てくる。マルタは接待に忙しくしていたがマリアはイエスの話を聞いてばかりだったので、マルタはイエスに何とか言ってくれと頼んだ、という話しだ。その姉妹たちに弟がいてラザロといった。今日はそのラザロが病気になり死んでしまったという話しだ。
ラザロが重い病気になったということで、姉妹たちはイエスのもとへ使いを送る。命に関わるような重い病気だとなれば取るものも取りあえず急いでそこへ行きそうな気がするが、イエスは「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」とかなんとか言ってなかなか出発しない。そして知らせを聞いてから二日間そこにいて、それからやっと出発したというのだ。
イエスがその時どこにいたかというと、すぐ前の10章を見ると、ヨルダンの向こう側、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた所であり、1章を見るとそこの地名もベタニアとなっている。
マルタとマリアの住んでいるベタニアから、イエスがいた川向こうのベタニアまで、急いで行っても丸一日はかかるそうだが、どうしてイエスは急いで出発しなかったのだろうか。病気の知らせを聞いたイエスは、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(11:4)と言っている。この病気が死で終わるものでもなく、神の栄光のためだから、生き返らせればいいから、奇跡を起こせばいいから、遅くても良かったのか、だから急ぐ必要もなく悠然と構えていたのだろうか。
そもそもイエスはどうして川向こうのベタニアにいたのか。10章を見るとイエスはユダヤ人たちとエルサレムで口論して、ユダヤ人はイエスを石で打ち殺そうとしたり、捕まえようとしたことが書かれている。イエスはそのユダヤ人から逃れて川向こうのベタニアに来ていたのだ。ユダヤ人から逃げて隠れていることをマルタとマリアがどうして知っていたのかは分からないが、ユダヤ人を恐れて、捕まって処刑されるという不安と恐怖があったようだ。しかしそんな時に、こともあろうにユダヤの、それもエルサレムの目と鼻の先にあるベタニヤから使いが来たのだ。
イエスはラザロたち兄弟を愛していたとある。しかしそこへ行くということはラザロを助けることにはなっても、反対に自分の命を危険にさらすことになってしまうことだったようだ。二日間そこに滞在したというのは、イエスが二日間悩んでいたということだったのではないかと思う。しかしイエスは自分の命を賭けてベタニアへと向かう。悲しみに打つひしがれているであろうマルタとマリアに寄り添うという決意を固めて出発する。そして「もう一度ユダヤへ行こう」(11:7)とイエスは言った。それはイエスが悩んだ末に出した決意だったのだろう。それを聞いた弟子たちは「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」(11:8)と言った。ユダヤへ行くということは、自分の命を狙う者たちのところへ戻っていくという大変なことだったようだ。
涙
しかしイエスが到着したときにはすでにラザロは死んでいた。すでに四日も経っていた。イエスを迎えたマルタは、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(11:21)と言う。遅い、遅すぎる、どうしてもっと早く来てくれなかったのかという気持ちが充満している。後でマリアも11:32で同じことをイエスに言った。しかしマルタはそれだけではなく、しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえて下さると承知してます、と言う。どうしてもっと早く来てくれなかったのか、という思いと、しかしイエスは何とかしてくれるはずだ、という思い、失望と希望とが入り交じっていたのではないかと思う。
イエスはラザロが復活するという話しをすることになるが、マルタは終わりの日の復活のことは知ってはいるが、イエスが言っている、私を信じる者は死んでも生きる、ということまではあまり理解できなかったようだ。
後にイエスはマリアが悲しみにうちひしがれている様子を見て心に憤りを覚えた、そして涙を流されたと書かれている。イエスは何に対して、誰に対して憤ったのだろうか。ユダヤ人たちはこういう時、ほとんどヒステリックなほどに、金切り声をあげて泣き叫んだそうだ。彼らの考えによると、泣きわめくほど故人に対して敬意を払うことになるのだそうだ。そうやって泣きわめく群衆に憤ったのだろうか。でも案外イエスは自分自身に憤っていたのかもしれないと思う。ラザロが病気なのだと聞いたけれども、自分の命を狙う者たちが大勢いるエルサレムにほど近いベタニアに行くことを恐れてなかなか出発できなかった。道中の足取りもずっと重いままだった。それでも何とかやってきた。ところがすでに四日も経っていて、姉たちは悲しみに打つひしがれている。そんな状況を見て、イエスは自分自身を責め、自分自身に憤ったのではないかと思う。イエスの涙はそんな涙でもあったのではないか。
ある牧師がこんなことを言っている。
『自分はだだをこねる娘に対して、「自分が悪いくせに泣くな」と言うことがある。しかしそう言うべきではない。むしろ人は自分の弱さ、不甲斐なさ、自分の罪のゆえにこそ泣くべきだ。神はそんな涙を決して見過ごさない。そんな涙を必ず顧みられる。ラザロの復活は、イエスのそんな涙に応えようとする神の御業であったに違いない。
ヘンリ・ノーウェンは「傷ついた癒し人」の中で、牧会者はいかにして癒し人として働くことができるのかと問う。牧会者が傷つき苦悩する社会や人間に対して、本当に癒し人としての働きを担うためには、牧会者自身が自分の弱さ、自分の悩み、自分の不甲斐なさに気づき、また自ら社会のただ中で、難しい人間関係において傷つき、苦悩する者でなければならない、と。その意味でまさにイエスは「傷ついた癒し人」であった。イエスは、自らは傷も弱さも悩みもない者として、神の絶大な力を振りかざして人を癒し、教えを垂れたのではない。自ら弱さを担い、傷つき、悩む存在として、誠実におのれの傷を担いながら、そのゆえにこそ、人の痛みや弱さに真実寄り添い、癒す者であり得たのだった。そんなイエスにこそならい、自ら傷ついた者として、自分の弱さや不甲斐なさに涙する者として、傷ついた人により添い、共に歩もうとする者でありたい。そして神はそんな私たちの涙を顧みて、思いがけない御業をもって応えてくださるのだと心から信じたい。』
揺れて
イエスは神なのだから、キリストなのだから、何ものにも動じることもなく、悩むことも恐れることもないのかと思っていた。自分が命を失うことに対しても、それがみんなを救うためだから、それが自分の務めなのだと平気なのかと思っていた。あまり感情もなくて、いつも冷静にというか、結構冷たい目で周りの者たちを見ていたのかと思っていた。
でもどうやらそうではないようだ。イエスは憤ったり涙を流したりする人だった。結構熱い奴だったようだ。そして自分の身の危険を感じる時には怯えたり不安になったりするような人だったみたいだ。しかしまた愛する者のためには自分の命をかけて行動するような方でもあったのだろう。
私たちの人生にはいろんな風が吹きあれる。思わぬ大変な事態が何度も何度も起こる。そして私たちはそんな風に揺さぶられて生きている。悩み苦しみ涙流しながら生きている。
イエスは何があっても揺れない方ではないようだ。何も感じない方ではないようだ。そうではなく、私たちが揺さぶられる時、同じように揺れてくれる、同じように揺れることで私たちと共にいてくれる方なのだろう。
生きる
一緒に揺れてくれるという仕方で、生きることも死ぬことも、全てを支配しておられる神が私たちに寄り添って下さっている。失敗して挫折して落ち込んで、苦しみ嘆いている私たちのすぐ隣りに、同じように苦しみ涙した復活のイエスがいてくれている。そしてラザロを墓から呼び出したように、穴蔵にはまり込んで身動きできなくなった私たちを、ほとんど死にかけているような私たちを、命へと呼び出して下さっている。私たちはそのイエスの声に導かれて、神の力によって毎日毎日命へと移されている。
本当にここに書かれているように死で四日目から復活したなんてことがあったのかどうか、にわかには信じがたいものがある。きっと何かがあったのだろうけれども実際にどのようなことがあったのかは分からないというのが正直なところだ。
しかしイエスが死にかけていた者を生き返らせる力を持っているのも事実なんだろうと思う。私たちの弱さも無力も間違いもだらしなさも全部受け止めてくれる、私たちが揺さぶられる時に一緒に揺れてくれる、悩んでいる時に一緒に悩んでくれる、苦しんでいる時に一緒に苦しんでくれる、うめいている時に一緒にうめいてくれる、そんな仕方でイエスは私たちに寄り添ってくれているのだろう。そこで始めて私たちは癒され、力づけられる、生きる力が与えられるのだろう。それはまさに死からよみがえらされるに等しい出来事だ。
だから私たちも傷つき悩む者として、苦しんでいるもの、悩むものに寄り添っていこう。私たちは苦しみ悩む人たちに向かって、そんなことするからそうなったんだ、と分析したり、ああしなさい、こうしなさいと指示することが多い。けれどもそうではなくイエスのように、一緒に苦しみ、一緒に悩み、一緒にうろたえ、一緒に泣く、そうやって寄り添って生きたいと思う。
それがイエスが歩まれた道、私たちを招いておられる道なんだと思う。