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礼拝メッセージより
「赦された者」 2009年3月15日
聖書:出エジプト記 34章1-10節
優しさ
大学に入るといろんな人がいた。入試に失敗して浪人して入ってくる者も結構いた。しばらくすると不思議なことに気付いた。ストレートで入学する者よりも、浪人した者の方がどことなく優しいような気がしてきた。失敗したり苦労すると人は優しさを手に入れるのじゃないかという気がしてきた。
モーセ
モーセは神の命令に従い、神の言葉を取り次いで民に伝えていた。民にとって、神との窓口は専らモーセだった。モーセはただ単に神の声を聞いてそれと民に伝えるだけではなかった。ただ神の声を伝えただけで済んでいれば、つまり神の声を民がしっかりと聞いてその声に従順に従っていたならば、モーセはただ伝えるだけでも良かったのかもしれない。しかし物事はそうそううまくは運ばなかった。民は決して従順ではなかった。何か都合が悪くなれば文句を言ったり愚痴を言ったりした。民にとっては神は直接は見えないし聞くこともできないから、文句も愚痴も結局はモーセに向かって発することになる。モーセが神の言葉だと言って語った言葉に従ってきたのに、そのせいでこんなことになってしまったではないか、というような愚痴、それはモーセに対しての愚痴なのか、神に対しての愚痴なのか、どちらにしても結局はモーセに向かって語りかけられることになる。モーセはそんな愚痴も文句も一身に背負わないといけないところに立たされている。
そして今回は民がモーセの留守の間に金の子牛を作って神として礼拝していた。そのために神の怒りを買ってしまう。そしてその怒りもやはりモーセに語られるわけだ。
モーセにとってはたまったものではないという気がする。やってられないよ、と思わなかったのだろうかなんて思う。
けれどもモーセは民を赦して貰うように神を説得した。その説得によって神は民に下すと言っていた災いを思い直す。神は赦すと言ってけれどもモーセは掟の板を砕き、金の子牛を焼いて粉々に砕いて水の上にまいて、それを人々に飲ませた。さらに、だれでも主につく者は、わたしのもとに集まれ、と言うとレビの子らが集まったが、彼らには、自分の兄弟、友、隣人を殺せ、と命令した。すでに神は災いを思い返されているはずだ。けれどもモーセは神よりも激しく怒っているかのようだ。
なぜなのだろうか。民のこの行動はモーセにとってもショックだったということかもしれない。
同行
主はモーセに、民を約束の土地へ上りなさい、しかし私自身は民と共に上ることはしないという。かたくなな民なので途中で滅ぼしてしまうかもしれないので一緒にはいかない、ということだった。しかし身に着けている飾りを取ればどうするか考えよう、と言われたので民はみんな飾りを取ってしまったようだ。金の子牛を作った材料を身に着けさせないようにしたということのようだ。
モーセは主が共に約束の地へ共に上らないと言われたことに対して、その思いを翻して貰おうとなんとか説得する。あなたが一緒に行ってくれないなら、ここから上らせないでください、かつて、主がわたしに好意を示すと言われたではないですか、あなたが共に行ってくれることであなたが好意を示してくれていることが分かるんです、あなたが共にいるから私達は特別な民となるんですと言う。昔言われた約束を持ち出して神に迫っていく。なんだかすごい迫力を感じる。
主はこのモーセの願いを聞き入れて、民と同行すると約束する。
やり直し
そして主はもう一度掟の板を与える。明日、石の板を持ってシナイ山の頂上に上ってくるように、モーセの他には誰も来てはいけない、羊や牛を山のふもとで放牧してもいけない、と言われてモーセはその通りにした。
すると主は御名を宣言されたと書かれている。私の名前はこうなんだと神が言われたということのようだ。それは「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾先代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者」というものだった。
どうしてそこで改めて名前を言ったのだろうか。名前と言うよりも自己紹介みたい。しかし、慈しみを数千代にわたって守って罪と背きと過ちを赦すけれども、罰すべき者は罰せずにはおかないで、父祖の罪を三代、四代までも問うという。赦しは数千代、罰は三、四代ということは、赦しは罰するよりも千倍多いというか、これを比べたら殆ど赦すということになりそう。主とはそういう神なのだという宣言でもあるのだろう。
モーセは主にもう一度、私たちと一緒に行ってください、かたくなな民ですが私たちの罪と過ちを赦してあなたの民としてください、と訴える。すると主はその名前のように、民を赦しもう一度契約を結ぶという。
もう一度そこから出直しといった感じ。
しかし民はただ単に神に従う民ではなくなった。神の命令に背いた、しかしそのことを赦された民としての神に従う民とされた。
それまでは、エジプト人から奪った金や銀の装飾品を身に着けて、いろんな奇跡的なことも経験して、時には文句を言いつつも、よく分からなくても、それでもやがて神の約束された乳と蜜の流れる土地へ行くのだという希望をもって、自分たちは神の民なのだというそれなりの自負を持ってどこか意気揚々とやってきていたのではないかと思う。
けれども金の子牛を作ってそれを神として礼拝したという決定的な過ちを経験してからは、装飾品も身に着けず、自分たちが過ちを犯したのだという傷を背負う者となった。神に逆らった者なのだという烙印を押された者となった。しかしその罪、過ちを赦された者として生きていくこととなった。
つまり、この民は神にずっと従ってきた優れていて、従順で、信仰深かったことによって神の民とされているのではなく、不従順で神に逆らったけれども、ただ神の憐れみによって、ただ神の赦しがあったことによって神の民とされている、そういう民となったということだ。
まるで私たちのようだ。私たちもと言っていいかどうか分からないけれど、私は神の命令もまじめに聞かず、適当に自分の都合の良いところだけ聞くような人間だ。誰かの間違いを責めたり、自分が威張りたい時には、そんな時だけ神の言葉を持ち出すような人間だ。そして都合が悪くなると神のことなど忘れて、自分が責められている様な気になる時には、神の言葉も聞かないようにする、そんな人間だ。目に見える金の子牛は作らないけれども、神に逆らう、神の声に従わない気持ち、言わば見えない金の子牛を、心の中に作っているのかもしれないと思う。
そんな間違いや失敗を私たちも繰り返して生きていっているのだろうと思う。きっと誰もがそうだろうと思う。それでもその過ちを赦されて私たちはここにいるのだろう。教会はそんな風に度重なる過ちを赦されている者の集まりだろうと思う。脛に傷を持っている者の集まりなのだと思う。
そして教会は赦されたことを感謝する集まりであるべきなんだと思う。赦されたことを威張る者の集まりではないと思う。赦されたことは威張ることじゃない。どれほど赦されたかはどれほど間違っていたかなのだから、それは決して威張ることじゃない。
赦されたことは、威張るのではなく感謝することだろう。そして赦す者となることだろう。優しくなることではないかと思う。失敗した者の優しさ、暖かさを持つ者のあつまり、教会はそんなところじゃないかと思う。