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礼拝メッセージより
「共に喜び、共に泣く」 2007年5月20日
聖書:ローマの信徒への手紙 12章15節
ある物書きの人がファミリーレストランで仕事をしている時のことを書いているのをインターネットで見ました。
隣のテーブルに、親子が座ったんです。妙に若作りしてる茶髪のお母さんと、中学一年生ぐらいの兄、そして小学校低学年ぐらいの妹です。
母「ほら! 早く決めなさいッ! ったく、トロいんだから!」
子どもがなにをしても、怒鳴りつけるんです。
妹「それじゃ、わたしカレーにするー」
母「そ。わかった」
妹「わたし、カレー好きー」
母「うるさいな! そんなこと聞いてないでしょ?!」
お兄さんの方は、もうこのお母さんに呆れてるのか、無表情でそっぽ向いたまま、一言も喋ろうとしません。注文を決める時もメニューを指さしただけ。
料理が届いてからも、お母さんはキレっぱなし。
妹「いただきまーす」
母「黙って食べなさい」
妹「……ショボーン(´・ω・`)」
兄「…………」
ただカチャカチャと鳴り響く、食事の音。
さっさと自分だけ平らげた母親は、タバコ吸いながらケイタイをいじり始めました。
すると突然、妹が明るい顔をして口を開いたんです。
妹「あ、そだ、お母さん! 聞いて聞いてっ! あのね! えとね! 今日、学校でね、とってもいいことが……」
母「うるさい! 食べてる時は騒がないの! 周りの人に迷惑でしょ!」
怒鳴られてびっくりした妹が、カレーをテーブルにほんのちょっと落としちゃったんですが…
母「あーもー! 汚いな! なんでちゃんと、食べられないの?! 綺麗に食べなさい! 綺麗に! あーもームカツク!」
妹「うう…ごめんなさい……」
ブツブツ文句いいながら、母親はケイタイをいじくっている。
妹は涙目。兄は一言も喋らずに、黙々と食べています。
まるでお通夜みたいな雰囲気に包まれたテーブル。
すると。母親のケイタイが鳴り始めました。
母「ちょっと、お母さん、電話してくるから。サッサと食べちゃってね」
そう言い残して、ケイタイ片手に母は店から出ました。
そのコは、涙目のまま、一生懸命カレーを食べてたんです。
お母さんの言いつけを守りたいから、ゆっくり食べていたら怒られてしまうから……味わう余裕もないぐらい、急いで食べてたのです。
でも。
もともと、食べるのが遅い子なのでしょう。焦っているからか、口の周りをべそべそに汚してしまっていて……きっと、それをまた怒られてしまうのに、それすらも気付かずに必死にカレーをかき込んでいたんです。目にいっぱい涙を溜めて。一生懸命に。
そのとき。
一言も喋らなかった兄がボソッと言ったのです。
兄「……そんなに急がなくてもいいよ」
妹「え?」
兄「ゆっくり食べな」
妹「で、でも……お母さんが」
兄「いいから。好きなんだろ、それ」
妹「うんっ」
兄は、チラッと母親が出て行った出口の方を確認しつつ…
兄「で? なにがあったって?」
妹「???」
兄「学校でいいことあったんだろ」
妹「う…うんっ! あのね! えとね! 今日学校でね!」
妹は、楽しげにしゃべり始めました。他愛もないことだったんですが、とっても嬉しそうに。きっと、聞いてもらえるだけで嬉しいんでしょう。さっきまで涙目だったのに満面の笑みを浮かべています。
兄は、にこりともせずに話を聞いてあげていたのですが、
兄「そっか。良かったな」
と言って、妹のべそべそになった口元を拭いてあげたのでした。
誰かが自分のことを分かってくれている、それは本当に嬉しいことだと思います。何よりも嬉しいことじゃないかと思います。
教会を建て替えるということですっかり疲れている時、いろんな人が頑張って下さいと励ましてくれました。そう言う時は、頑張りたくないと言ってたと思いますが、ある人から「言葉にできないような苦しい大変なことがいっぱいあるでしょう」と言われたことがありました。それを聞いた時、どういうわけか涙が出そうになりました。そして少し頑張れそうな気持ちになりました。自分の心の奥の気持ちを分かってくれる人がいるっていうことはすごい力になることだと思います。
イエスさまって、私たちの心の一番奥の気持ちを分かってくれる方なんだろうと思います。誰にも話せないような気持ち、言葉に出来ないような気持ち、そんな気持ちを分かってくれているんだろうと思います。そして、苦しいんだろう、つらいんだろう、と語りかけてくれているんじゃないでそうか。何でも聞くから話してごらん、たとえ話せなくても私はあなたのそばにいるよ、イエスさまはそう言われているんだろうと思います。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい、と聖書は言います。それは何よりイエスさまがそうしてくれるからでしょう。イエスさまがそうしてくれたように、私たちも誰かに対して同じように接したいと思います。共に喜び共に泣く、そんな関係を神と持ち、人とも持つ、それは私たちにとって一番の幸せであり、一番の力になることだと思います。