聖書:コリントの信徒への手紙二 1章23節-2章4節
権威
人から認められたい、権威を持ちたい、そんな欲求が人にはあるみたいだ。でもそんなことからいろんな争いや分裂も起こる。
以前牧師会で按手式の話しがあった。バプテスト教会の按手はどんな意味があるのか、なんて話しをした。その中で、バプテスト教会が按手式をしているのは一人前と認めてもらいたかったからではないか、社会からもキリスト教社会からも一人前の牧師と認められたいという思いがあるから按手式をしているのではないかというような話しがあった、と思う。結構当たっている気がする。
権威を持つことで安心し、権威を持つことで自慢する、そんな面が教会にもある。
コリント教会
コリントはギリシャの主要な都市の一つだったそうだ。そしてコリント教会はパウロの第二伝道旅行中に、紀元49年頃、諸教会の要として形成され、大半は異邦人キリスト者だったが、ユダヤ人も含まれ、社会的に下層の人たちもいたし、裕福な人たちもいたそうだ。
ところがコリント教会ではパウロが去った後にパウロの教えとは違う教えが入り込んできた。そのためにパウロは三度目の訪問をためらっている。
12:14 わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。
二度目の訪問の時にパウロは随分と攻撃されたようだ。何よりパウロが生前のイエスと一緒にいなかったことで攻撃されたらしい。他にも、モーセの律法を守らなくてもよいと人々に教えているとか、悪賢くてエルサレム教会への献金をだまし取っているというようなことも言われていたようだ。
そんなことがあったからだろうが、あることないこといろいろと難癖をつけている。「信仰を支配する」(1:24)とか、 10:1「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」とか、 10:10 「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」などと言われていたようだ。
パウロはそんな風に言われることをどう思っていたのだろうか。もちろんいい気はしなかっただろうし、かなり腹も立てているのかもしれない。
確かにパウロはイエス・キリストが選んだ12弟子、12使徒ではない。そういう意味では使徒ではない。そこを突かれるとパウロは苦しかったのだろう。12使徒ではない、しかし12弟子に引けを取るような者ではないということを必死にこの手紙にしたためているようだ。12使徒ということに権威があると思っている人たちにとってはパウロはただの伝道者の1人だとしか思っていなかったのだろう。それどころか自分のことを使徒だなんて言っている生意気な奴だと思っていたのかもしれない。ユダヤ人から見ると、自分達がなによりも大切だと言ってきている律法を軽んじる不届き者だったようにも思う。
愚か者
そこでパウロが作った教会にも人を送って、まず大事なのは律法を守ることなのだ、と言って回ったのではないかと思う。キリストは大事であるが律法も同じように大事なのだと言い回ったのではないか。
コリントの教会にも自分のことを自慢する大使徒と言われる人たちが来ていたらしい。12使徒の流れをくむ正当なキリスト教なのだと言っていたのかもしれないと想像する。説教もうまかったらしい。何がうまい説教なのかというのは難しい問題だが、とにかく聞こえのいい説教をしていたのだろう。そして見栄えも良かったのかもしれない。きれいなかっこいいそれなりの格好をしていたのかもしれない。そして彼らは自分のことをどうも自慢していたらしい。私はこんなことも知っています、こんなこともしてきました、こんなに努力しています、こんなに一所懸命にやっていますというような自分のことを自慢していたのではないかと想像する。
パウロは彼らに対抗するかのように11:21節から自分のことを自慢する言葉を書いている。
11:21 言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。
11:22 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。
11:23 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
11:25 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。
11:26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
11:27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
11:28 このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。
そんなことを誇ることはとても愚かなことであると言いつつ、それは分かっていると言いつつ、ここでは自分も愚か者のようにあえて誇ろう、と言うのだ。
きっと大使徒たちもこんなことを誇っていたのだろう。自分たちはヘブライ人である、アブラハムの子孫である、キリストに仕える者である、と。自分たちはあんたたちとは違うのだ。特別なのだ。特別に神に遣わされている者なのだ、だからあなたたちはわたしの言うことを聞きなさい、と言うような思いを持っていたのだろう。
パウロも、強さを誇ろうとすればいくらでもできる、大使徒と言われることを喜んでいるような者たちと比べても負けないくらいの自信もある。どれだけやってきたか、どれだけ苦労したか、それを競争するなら誰にも負けないという自負もある。けれどもそんなことを私は誇らない、そんなことしても仕方ない、自分の苦労を誇ったところで何の意味もないのだ、と言うのだ。
12章の所でパウロは、14年前に楽園に行ったかのような経験をしたことを語る。しかしすぐ後に、思い上がることのないようにわたしの身にひとつのとげが与えられたと語る。それはサタンの使いだと言っているが、その使いを離れ去れせてくださるように三度主に祈ったがさらせてもらっていないという。そのとげとは何であるのか、てんかんではないかとかうつ病だったのではないかとかいろいろ説があるみたいではっきりとはしないが、とにかくパウロにとってはいやでいやで仕方ない持病か何かがあったのだろう。けれどもその持病をなくしてくれるように祈ったけれどもなくなりはしなかった。逆に
『 12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』
という答えが返ってきたというのだ。だからパウロは自分の経験したこととか、自分の権威を、自分の信仰を誇るのではなく、自分の弱さを誇るというのだ。
弱さの中に
パウロは、神の力が弱さの中に現れる、私たちの弱さの中に神の力が現れるという。弱さこそ誇りだという。自分の弱さの中にこそ神の力が発揮されるからだ、と言うのだ。だから弱さというのは、克服したりなくしたりしなければいけないことではなく、却って大事にしないといけないことということになる。
弱さを持っているということは苦しいことだ。けれどもその苦しみがあるから、人の苦しみも分かる。苦しみを持っているから、苦しんでいる人をいたわることができるのだろう。苦しみを克服してなくなった人は、あなたも克服しなさいと言う。けれども今苦しんでいる人は相手の苦しみが分かるだろう。強い人間は、あなたも強くなりなさいという。けれども弱い人間は相手の痛みが分かるだろう。
そんな自分の力を誇示して自慢することよりも、誰かの弱さを苦しさを共感することの方がよほど喜びは大きい。そしてそれをパウロも大事にしているのではないかと思う。愛するっていうことはそういうことなんだろうと思う。力を誇示したり、権威を見せつけたりすることは自分を安心させることにはなっても、相手との繋がりを断ってしまうようなことだ。人との繋がりこそ大事にするようにとパウロは言っているようだ。力を競い合って争うことの空しさをパウロも良く知っているのだろう。だからこそ自分の弱さを大事にしそれを誇るというのだろう。
そしてその弱さの中に神の力が発揮されるというのだ。一体その神の力とはなんなのだろうか。それは愛することではないかと思う。そして教会が目指すところは愛する者となることだろう。
自分の力を自慢する時、自分の権威を誇る時、そこには愛がない。自分の弱さをしっかりと持っている者にこそ愛がある。愛があること、愛する者となること、それこそが教会のただ一つの誇りなのだと思う。