痴呆(ぼけ)ても心は生きている
9月21日は何の日か知っていますか?【世界アルツハイマーデー】なのです。国際アルツハイマー病協会は、1994年国際会議で痴呆(ぼけ)について考える日と決めました。「老い」それは、誰もが迎えること。でも認めたくない事でもあります。老いることで痴呆になったり、寝たきりとなって介護を強いられる。そんな可能性は誰にだってあります。20代、30代の人達にはまだ先のように感じますが、立場を変えると「介護する」ことは今日からでも可能性はあるのです。
今回は御自分も痴呆の介護を長く経験された事から、現在は呉地区の相談員としてボランティア活動をされている宮田恵美子さんに色々とお話をお聞きしました。高齢化社会に対して私達一人一人のこれからの「介護する可能性」の参考になればと思います。
それではいろいろとお聞きしたいと思います。
Q.現在のボランティア活動の事教えて下さい!
ボランティア活動名は「呉地区老人呆けの人を支える家族の会」です。
- 事務局は呉市社会福祉協議会(すこやかセンター5階)にあります。
- 活動状況としては、家庭と公的機関との間の世話人!!寝たきりや痴呆老人を介護している方の介護に関する事、心の悩みなどを私達相談員が自身の経験を基にしてアドバイスを行っています。
- 公的機関(保健所・社会福祉協議会)へも身近に相談出来るように、また助言が受けられるように私達が直接関わりお聞きしています。
- 私たち自身も定例会で、講演学習・施設見学などを行い日々進んでいく高齢化社会の現実に対して学んでいます。
Q.介護をするようになったいきさつ(状況)を教えて下さい。
私の場合、姑の徘徊(歩き回る)から始まり、信頼関係にあったにもかかわらず被害妄想が次第に激しくなり仕舞い込んで忘れたお金の事で責められたりしたことなどから呆けの介護が始まりました。
Q.ボランティア活動のきっかけは?
どんな介護をしたらいいのか?と悩んでいる時、雑誌「明日の友」に電話相談が載っていました。それから広島市の「老人呆けの人を支える家族会」へつながったのです。呉保健所の呼びかけに、1990年介護の経験を生かし呉地区に会が発足しました。まだ5〜6人だった相談員も今や12人となりました。
Q.介護をしている中で一番辛かったこと、うれしかったことを教えて下さい。
一番辛かった事は、信頼し合っていた姑から被害妄想とは言え「物を取った」といわれた事。一番うれしかった事は、亡くなる前に姑から「すまなかった、ありがとう。」と感謝された事。両親の面倒は長男の嫁が看るのが当たり前の時代、兄弟姉妹の協力も得られない中で姑の感謝の言葉は、大変な介護生活の中で何よりも嬉しく思いました。それに介護を通して多くの人との出会いがあり、心の優しさを学ばさせて頂いたことです。
Q.現在介護に携わっている方へ、社会的情報とアドバイスを!
以前とは違い今は色々と相談できる機関が揃っています。一人で悩まないで即相談して下さい。介護されている方がまず健康でゆとりのある心を持つ事が一番だと思います。
事業紹介(詳しい説明は省略します)
特養ホーム
デイサービスE型(毎日通所可能な昼間の介護)
ナイトケアー(夕刻から翌朝までのケアー)
ショートステイ(短期入所)
ホームケアー
日常生活用具の給付(徘徊感知器等)
グループホーム(痴呆対応型老人共同生活援助事業97年認可)
在宅生活を支える事業が増えてきています。
Q.最後にこれからの後輩達に一言!
一人で悩まないで!健康が一番!困った事があれば直ぐに相談して下さい!
ありがとうございました。
抽象的でわかり難くかったかもしれません。個人的にもっと知りたい方は、教会まで連絡下されば宮田さんの連絡先をお知らせします。
ちまたでは、初めてお母さんになる方のための「妊娠・お産の本」が所せましと並んでいます。いつから在るのでしょうか?これも時代の流れなのでしょうか?
よく「一家に一台」という言葉を耳にしました。テレビ・ビデオ・車 そして今パソコンでさえ一家に一台・・ならばこれからの高齢化社会に対して、一家に一冊お年寄りに対しての専門誌があってもいいのではないかと思いました。呆けがごく自然の姿で、自然の流れの中で社会に共存でき安心して呆け、安心して介護できるような社会になるために・・・・・!
痴呆以外でも悩みのある方、教会にもまだまだ色んな面で経験を持った人が沢山います。良かったら教会宛てまでどうぞ!!
例えば不登校・つわり・早産で入院した経験裏話その他・・・
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