【喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。】ローマの信徒への手紙
みなさん、お元気ですか?今、『インフルエンザ』が蔓延していますので、どうぞお一人お一人お気をつけ下さい。ちなみに私は、今のところ大丈夫です。
ひとえに『かぜ』と言っても、ひとりひとり症状は違います。「貴方も風邪?、私もなの、たいへんよねえ〜」と言う会話を聞きますが、実際どれほど相手の大変さを解かっているのでしょうか?
最初の妊娠の時、つわりも、切迫早産も初めて(当たり前!!)の経験でした。昨日まで元気だった、普段通りだった自分の身体が、一夜にして、ぜんぜん経験した事のない状態になってしまったのには戸惑いました。戸惑うと言うより、『パニック』そのものでした。その状態を認識するのには、とても時間がかかりました。
そんな時です。ある牧師夫妻が、教会行事のために来られたのです。(私への見舞いも兼ねて・・・)お見舞いは、とても有り難いと思いました。が、四六時中床に臥せてゲ−ゲ−吐いている状態で、トイレに行くのがやっとと言う私に、牧師夫妻は延々と4時間枕元で話し続けたあげく「食べられたらいいかなっと思って買ってきたのよ!」とケーキを10個見せてくれました。気分が悪いのにケーキは一層気分不良を増しました。ところが次の日(日曜日)礼拝が始まる1時間も前から、私の枕元で牧師の奥さんは聖書を開き「今日の牧師のメッセージはね」と言っては話し出し始め、だめおしは「私は5人の子供を産んだけど、つわりなんて一度もなかったわよ。私と一緒に礼拝に出てみない?きっと気分も変わるわよ。だって、神様がいらっしゃるんですもの」と誘う言葉。開いた口がふさがりませんでした。
聖書にこんな言葉があります。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時 があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があ り、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり・・・・
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」
相手を思いやる事は、とても難しいと思います。それが悲しみや苦しみなら、なお更相手の大変さを理解するのは、同じ経験を持ってしても難しいでしょう。また、苦しんでいる人を前にして、『時がある』なんてことを言うのも無責任です。私もよく分かりませんが、ただ黙ってそばにいてくれたり、静かに共に泣いてくれたり、「苦しんやね!」とただ認めてくれるだけでも、違うんじゃないのかなと思います。あまり無頓着には振る舞いたくないですネ。
これからも、色々な人と出会い、色々な事に遭遇するでしょうが、「相手の身になって」を私の経験から忘れずに、『モットー』にして行けたらと思います。
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