前 へ
礼拝メッセージの目次
次 へ
礼拝メッセージより
「大胆不敵」 2006年2月12日
聖書:使徒言行録 4章23-31節
正直
最近はだんだんと戦前に戻ってきているようだと聞く。だんだんと全体主義が広がってきているみたいで、お上に逆らうとは何事かなんていうような風潮が広まってきているみたいだ。
戦前は教会の礼拝にも特別警察がやってきて、説教に対して文句を言ったとか、天皇が主か、キリストがどっちが偉いか言わされて天皇だと言わないとひどい目にあったなんてことも聞いた。そして多くの教会はお上の言うことになるべく逆らわないようにして、礼拝の時に皇居に向かって礼をしてから礼拝を始めたとか、礼拝の中で君が代を歌ったとかいうことがあったそうだ。そして気が付いた時には戦争に協力しないといけない状況になっていたそうだ。
イエスのように
イエスを信じることでなにもかも自分の思うように事が運ぶわけではない。みんなから認められ賞賛されるとは限らなかった。ペトロたちも、思わぬ反対にあったり、期待することとはまるで反対の待遇を受けるようなこともあったようだ。
3章の始めのところを見ると、ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上って行くと、神殿の門のそばに生まれながらに足が不自由で、施しを乞うために毎日そこに置いて貰っていた男がいて、彼らに施しを乞うた。その時彼らは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言ってこの男を立ち上がらせた。
それを見た民衆は非常に驚いて彼らの所へ集まってきた。そこでペトロは、あなたがたが殺したイエスを神は復活させ、そのイエスによる信仰がこの人をいやした、悔い改めて神の祝福を受けなさい、と説教した。この言葉を聞いて信じた人は男だけでも5千人だった。
ところがそのことに対して、周りの者みんなが彼らを賞賛したわけでもなかった。それどころか、逆に彼らはユダヤ人の権力者たちから問いつめられ、脅かされるということになったというのだ。
いいことをしているのにどうして認めてくれないのか、誉めてくれないのかと思うようなことが起こることもある。いいことをしたらその分自分がいい思いをし、悪いことをしたらその分罰があるとは限らないのがこの世の中だ。自分たちは正しいことを行っている、正しいものを信じている、でもだからと言って何もかもうまくいくとは限らないのだ。
正しいことをしたのに、悪いことはしてないのに十字架で処刑された男がいた。全くの不条理を生き通した男がいた。そして私たちはその男の弟子なのだ。この男に従う道を生きることを優先するのか、それともこの世の中、この社会に認められ、賞賛されることを優先するのか、私たちはいつも問われ続けている。
大胆
ペトロとヨハネは足の不自由な人をいやしたということで議会で取り調べを受けることになった。4章最初の所にサドカイ派という人たちが出てくるが、サドカイ派の人たちは復活はないと主張していた人たちだそうだ。彼らはイエスが死者の中から復活させられたことを宣べ伝えていること、そしてそのイエスの名によって人をいやしたことに危機感を覚えていたようだ。そしてユダヤ教の議会の権威に従うようにと脅迫する。
ユダヤ教の社会の中で穏便に生きるには、その議会に従って生きることが波風を立てない、いい方法である。ペトロとヨハネとはそれを良しとはしなかった。イエスに従って生きることを彼らは貫いていった。彼らにとってはそれが一番いい生き方、それが自分の信念に沿う生き方だったのだと思う。誰かにそうするようにと言われていたからそうしたという訳でもなく、そうしないと誰かに叱られるから、誰かに嫌われるからそうしたのでもなく、彼らの信仰に忠実に従うこと、信念に従うことだったからそうしたのだと思う。自分の信念に正直に生きた結果がこういうことだったのだと思う。足の不自由な人はイエスの名によって立ち上がるようになった。同じようにペトロとヨハネはイエスの名によって生きていたのだろう。教会の面子のために、教会の人たちから文句を言われないために議会で証言したとしたらそれはとても苦しい大変ことだろう。
もちろん彼らにとってそれは勇気のいることでもあっただろう。どきどきするようなことでもあったのかもしれない。でも彼らは自分の面子とか評判とか
そんなことのためではなく、自分の信じるところに正直に生きていた結果が「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」という大胆な証言となったのだろうと思う。
祈り
解放された彼らは仲間たちの所へ、つまり教会へと帰っていった。そして一連の出来事をみんなに話した。これを聞いた人たちは神に向かった声をあげたという。彼らは神に祈ったのだ。議会やユダヤ教に対して、また社会に対して文句を言うのではなく祈ったというのだ。
戦時中は日本でもキリストに従うか天皇に従うかというようなことで教会も迫害されたと聞く。キリストこそ私たちの主である、と告白することで捕らえられた者がいたということを聞く。
イエスを信じるということで、教会に行くことで捕らわれたり脅かされたりしたら私たちはどうするだろうか。もう教会へ行くのやめようか、イエスを信じていても信じないと言っておこうか、なんて悩んでしまいそうだ。そしてなるべく周りとの摩擦をうまないように、権力者ににらまれないように、なんてことを考えそうな気がする。
最初の教会の人たちは文句をいうのではなく祈ったようだ。それも、守られて感謝します、今度はこんなことがおこらないように守ってください、危険な目に遭うことがないようにこれからも守ってください、という風に祈ったのではなかった。あなたの僕たちが、つまり自分たちが、思いきって大胆に御言葉を語ることができるようにしてください、と祈ったというのだ。今度は辛い目に酷い目に捕らわれの目に遭わないようにしてくださいではなくて、大胆に御言葉を語ることができるようにと祈ったというのだ。そしてその後、皆聖霊に満たされて大胆に神の言葉を語り出した、というのだ。
足の不自由な男は神の力によって立ち上がり、そして弟子たちも神の力によって大胆に神の言葉を語り出したのだ。弟子たちは自分の力で足の不自由な男を立ち上がらせたのでもなく、自分の力によって大胆に神の言葉を語ったのでもなかった。神の力によって癒し、神の力によって語ったのだ。そして祈りとはこの神の力に身を委ねるということなんだろうと思う。
私たちも弟子たちのように神の力によって生かされている。弟子たちと同じように生きることもできるのだろう。でもそれは一所懸命に無理するということではないし、何事にも怖がらないということでもないだろう。不安を抱えたままでも、弱いままでもいいのだと思う。不安や弱さを一杯持っているそんな私たちを神は丸ごと包むようにして支えてくれているのだ。だからその神をしっかりと見上げて生きていくこと、その神の力に身を委ねて生きていくことが大事なのだろう。自分自身がしっかりするというよりも、神が自分をしっかりと支えてくれているということ、そのことを信じて従っていくことで私たちも大胆に宣べ伝え、大胆に生きていくことができるのだと思う。そうなれるように私たちも祈っていきたいと思う。