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礼拝メッセージより
香
今祈り会で旧約聖書の出エジプト記を読んでいる。先週は幕屋の中の香をたく祭壇の作り方や香料の作り方などが書かれていた所だった。そしてその香料は幕屋でしか使わないようにと書かれていた。朝夕香をたいて幕屋の中はそこでしか使わない特別な良い香りで満たすようにということだった。
新約聖書の時代には神殿があってそこでも同じように香をたいていたようだ。今日登場するバプテスマのヨハネの父親となったザカリヤは、聖所に入って民を代表して香をたくという務めを負っている祭司だった。
聖所では何が起こるかわからない。未知との遭遇、神との遭遇の可能性がある。神を見ると死んでしまうと考えられていた時代で、聖所は最も神に近づく場所であり、何が起こるか分からない、そこで気絶するなどして出て来れなくなるかもしれないとも考えられていたそうだ。もし倒れても許されていない者しか入れない死んでしまうかもしれないし。そこで聖所に入るときは足にロープをつけていたという話を聞いたことがある。倒れたときにはそのロープを引っ張って引きずり出すためだった。
神というのは人間側に過失があると何をされるか分からない恐い存在だったようだ。だから罪を赦してもらうために犠牲の動物を燃やして良い香りを献げて神を宥めていたようだ。香をたくというのはその神に近づく務めということでとても緊張する大変な務めだったんじゃないかと思う。
当時は2万人以上の祭司がいたという説もあるそうだけれど、その祭司が24組に分けられていた。つまり各組には1000人近い祭司がいたことになる。そして一つの組には年に2度、1週間の務めがあたえられて、その時にはくじをひいて務めについた。その最も大切な務めは香をたき祈ることだった。
この時ザカリアがくじによって香をたき祈るつとめに当たった。祭司が大勢いたのでくじにあたることも多くはなく、聖所に入って香をたく務めにつくなんてことはとても稀だった、あるいは一生に一度あるかないかというような経験だったようだ。そんなとてつもなく緊張する務めについていた時に天使が現れたわけだ。ザカリヤは不安になり恐怖の念に襲われたと書かれている。緊張している務めの最中に予想外の出来事が起こり、しかも神を見ると死んでしまうというような考えもあっただろうし、ザカリアが恐れるのも当然だろうなと思う。そんなザカリアの様子を見て天使は、恐れることはないと行ったのだろう。そしてあなたの願いは聞き入れられた、そしてその子はイスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせるなんてことを伝えた。
ザカリヤと妻のエリサベトには子どもがなかった。当時のユダヤの地方では、子どもは神からの祝福の証しと考えられていたそうだ。だから子どもがないことは祝福されてないことでもあった。彼らは子どもがないという負い目を感じながら生きていたことだろう。だから子どもができることを心底願っていたのだろう。そしてそれが実現するということは何よりも大きな喜びだったんじゃないかと思う。
しかしザカリヤとエリサベトは年を取っていた。子どもができると言われてもにわかには信じがたいほど歳を取っていたようだ。
ザカリアは何によってわたしはそれを知ることができるでしょうか、とガブリエルに問いかける。それに対する答えは見あたらない。答はないようだが、このことを信じなかったので口が利けなくなると言われる。あるいはそれがしるしなんだろうか。
緊張する務めの最中に天使と出会うなんて、何がなんだかわからなくなるんじゃないかという気がする。口が利けなくなるというのは、このことを受け止めて理解できるまで、結局子どもが産まれるまで、この出来事を言葉にすることも出来なかったということなじゃないかという気がしている。
天使の言葉通り、エリサベトは身ごもる。エリサベトは主が自分に目を留めて、恥を取り去ってくださったと喜ぶ。それだけ子どもがないことで辛い思いをしていたということだろう。
願い
最初に天使はザカリアに対してあなたの願いは聞かれたと言った。彼にとっての願いは勿論子どもが与えられるということだったのだろう。しかし年を取る毎にその願いはだんだんとしぼんでいたのだろう。だからザカリアは天使に願いは聞かれたと言われても信じられなかったんだろう。願いがかなったと告げられた途端にそのことが信じられないと言うちょっと皮肉なことになってしまったのだ。信じられなかったけれども、やはり聞かれたのだ。
しかもただ子どもが欲しいという個人的な願いが聞かれただけではなくて、そのヨハネは、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる、彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する、というとてつもない務めを果たすために生まれて来るというのだ。
エリヤ
エリヤは旧約聖書に出てくる預言者だが、エリヤの死が聖書に書かれていないことからエリヤが救い主メシアの前に登場しその道を備えると言われていた。
そのエリヤの役目を果たす子としてヨハネが産まれると天使が告げたということだ。また年老いた夫婦に子どもの誕生が告げられるというのは旧約聖書のアブラハムとサラの夫婦にイサクの誕生が告げられたことを思い出させる。
ヨハネに旧約時代から続く神の計画の下に、つまり救い主が登場するその道を整えるという大事な神からの務めを担って産まれてきたのだということをルカは伝えているのだと思う。そしてそれは何よりもこの後に登場するイエスこそがメシア、救い主、キリストであるということを伝えようとしているというだ。
静かに
ザカリアは天使にあった後、口が利けなくなった。それは天使の言葉を信じなかった罰なのかと思っていたけれど、なかなか言葉に出来ないがために口に出せなかったのじゃないかという気がしている。それほど緊張してびっくりした、そんな衝撃的な出来事だったということなんだろうと思う。
この出来事を理解して口にするまで、ザカリアはずっと思い巡らしていたんだろうと思う。
自分に都合のいいことがあると祈りが聞かれたとか、都合の悪いことがあると祈りが聞かれないとか思う。大変なことがあるとどうして神様はこんなことを許されるのかと思う。そしてすぐに答えを求めようとする。
でも実はもっともっと静かに思い巡らすことが大事なのかもしれない。目の前の見えるものだけに縛られるのではなく、見えない大きな流れ、大きな神の計画を見るためには、じっと黙って静かに思い巡らす必要があるのかもしれないと思う。そこでこそ大事なものが見えてくるような気がする。
神の声も静かにしてる時にこそ聞こえてくるんじゃないだろうか。