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礼拝メッセージより
「永遠の命」 2013年12月29日
聖書:ヨハネによる福音書3章1-17節
神
神さまってよくわからない。掴みどころがないというかつかめない。見ることもできないし。これが神です、と目の前に持ってきてくれたらわかりやすいけれど、そんな持ってこれるような物体が神であるわけでもないし。
そんな神を信じるということはどういうことなのか。よくよく考えてもなかなかわかりづらい。
ニコデモ
ニコデモはファリサイ派、ユダヤ人の議員、最高法院の議員。ということはそれなりの年齢でそれなりの力も持っていたのだろうと思う。ファリサイ派の多くの人達は、イエスを神を冒涜するものと思っていたようだ。しかしニコデモはイエスに何かを感じていたようで、そこで人目を避けて夜にイエスに会いに来たのだろう。ニコデモにも神に対する疑問とか、神を信じることに対するもやもやしたものがあったんではないかと思う。
新しく生まれる
しかしこのニコデモとイエスの話しはなんだかよくわからない。うまく咬み合ってないように見える。イエスの返事がわけがわからないことが多い。禅問答みたいだ。新たに生まれなければとか、水と霊によって生まれなければとか、いきなりこんなこと言われても誰だって分からないだろう。イエスに聞きたいことがあっても、こんな答え方をするんだったらやっぱりやめとこうかなと思ってしまう。
イエスは、新たに生まれねばならないと言ったことに驚くな、と言った。
ここで言う新たに生まれるということばは、上からつまり神からというような意味があるそうだ。なのでもう一度胎内に戻って生まれるということではないらしい。でも新たに生まれるなんて言われたら誰でもそう思うだろう。
新しく生まれることをイエスは違う言い方もしている。霊から生まれる、永遠の命を得る、という言い方をしている。つまりイエスが新しく生まれるといったのは、神によって生まれる、というような、神につながって生きて行くといった意味あいだったのだろう。
永遠の命
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)
サッカーやアメリカンフットボールなど、欧米のスポーツを見ていると、スタジアムの中に時々「JOHN 3:16」という大きなフラッグを出しているのをみることがある。このヨハネによる福音書3章16節を表しているようだ。聖書を知らない人にはなんのことかわからないと思うけれど。
神は独り子を与えるほどに世を愛されたという。それは独り子を信じて永遠の命を得るためだと。
永遠の命というのは一体どんな命なのか、ずっと死なない命なんだろうか。死なないことは幸せなんだろうか、なんて思ってちょっと調べた。そうすると永遠の命というのは、時間的な終わりがないというよりも、神との密接な関係が終わりがない、そんな深い関係にあること、なんだろうと思った。
そういう神との関係に入る、しかもそれは愛という深い関係に入ることなんだろうと思う。それが永遠の命を得る、ということなんだろうと思う。ただ死なない命を手に入れるというようなことではないのだと思う。
下手に死なない命を手に入れても大変だと思う。私たちはいろんな大変さを抱えて生きている。そのままの状態が永遠に続くとしたら大変苦しいことだ。何より苦しいのは自分で自分を否定することじゃないかと思う。
私たちはだれでもいろいろな重荷や傷を負って生きている。決して誰にも触れられたくないような傷跡を誰もが持っているのではないか。いやでいやで仕方ないような面を持っているのではないか。また捨ててしまいたい自分の過去をみんな持っているだろう。できるならば全部捨てたいと思うようなこともある。でも決して過去を変えることも捨てることもできない。そしてそんな苦しい過去から押しつぶされそうになる。昔から抱え続けている荷物が溜まりに溜まってとても負いきれずに倒れそうになる。でも結局はそれは自分が何をしてきたか、自分が何ができたか、そして自分に何ができなかったか、自分はだめだ、やっぱり自分は駄目なんだという思い、そんな自分で自分を否定する思い、それこそが私たちを抑えつける重荷となっているのではないか。
しかし神はそんな私たちを愛しているという。そんな私たちを神と愛し愛されるという密接な深い関係に招き入れるという。自分を否定し疲れ果て一歩を踏み出す元気もなくしている、そんな私たちを神は愛しているというのだ、決して見捨てない、決してひとりぼっちにしない、ずっと一緒にいる、ずっと味方であるというのだ。
そんな神の思い、神の言葉を聞くこと、神の愛を受け取ること、そして心の中でしっかり受け止め、抱きしめること、そこはまさに私たちを新しく生まれさせる力となるだろうと思う。そしてそんな神の愛の中に生きること、それこそが永遠の命を得ることなんだろうと思う。