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礼拝メッセージより
「疑い」 2011年9月25日
聖書:出エジプト記 32章1-14節
契約
イスラエルの人々がエジプトを脱出してシナイ山まで来た時、神は十戒やさまざまな律法を告げた。そしてイスラエルの人々と契約を結んだ。イスラエルの人々は「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と約束した。その後モーセは神の教えと戒めを記した石の板を受け取るために山へ登って行った。モーセは40日間山にいて、主から幕屋の作り方や、献げ物をどういう風にするかなどといった指示を受ける。そして掟を書いた2枚の石の板を授かった。
金の子牛
ここに来るまで、モーセが人々を導いてきた。何か問題があればモーセに訴え、それをモーセが神に取り次いでいた。しかしモーセがいない間は、何か訴えがあればアロンとフルに申し出るようにと言われていた。
モーセが山にいったままなかなか下りてこなかったために、民はアロンのところへ集まって、「我々に先立って進む神々を造ってください。モーセはどうなってしまったか分からないから」と言ったというのだ。
そこでアロンはみんなの要求に応じて、みんなが身に着けている金の耳輪を集めて溶かして、和解雄牛の鋳像を造った。すると民は、「これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。そして祭壇を造って献げ物をささげて飲み食いして戯れた。
神はこれを見て怒ってしまって、イスラエルの民を滅ぼし尽くすと言う。これを聞いたモーセが神をなだめたので、神は民に下すと言っていた災いを思い直した。
その後宿営に戻ってきたモーセは、若い雄牛の像と踊りを見て怒り、神からもらった掟を書いた石の板をわり、雄牛の像を火で焼いて粉々に砕いて水の上にまき散らして、イスラエルの人々に飲ませた。
待つこと
イスラエルの人たちはどうして子牛の像を造ったのだろうか。やはりモーセの帰りを待てなかったということなんだろうか。モーセが山に登って行く前に神と契約したばかりだったはずだ。神の像を造ってはいけないと言われていたはずだった。24章を見ると、モーセは40日間山にいたと書かれている。民にとってはモーセがいつ帰ってくるのかということは分かってはいなかったのだろう。確かにいつ帰ってくるともしれない者を待つというのは苦しいことだ。いつまで待てばいいのか分かっていれば、後何日すればと思えればそうでもないのかもしれないけれど、いつまで待てばいいのか分からないことを待つということは確かに大変なことだ。
結局イスラエルの人たちはそれが待てなかったということなんだろうか。何か問題が起こった時には、俺たちを殺すためにこんなところに連れて来たのか、と言ってモーセに文句を言っていた。しかしいざそのモーセがいなくなると、今度はモーセの帰りが待てなかったということなんだろうか。そんな大事なモーセがいなくなると途端に不安になったのだろうか。
疑い
と思っていたけれどそうでもないかもしれないと思うようになってきた。イスラエルの人たちはそもそもモーセに対してさほど期待もしていなかったのかもしれない。エジプトから出られると言う時にはその話しにのり、都合が悪くなると文句を言う。そして神からの言葉を授かるようなことがあると、その言葉に従い神との契約も結ぶ。けれども山に行ってしまったモーセがなかなか帰らないと、すぐにモーセのことを諦めているような気がする。
実はモーセを待てなかったからというよりも、本来モーセをそれほどあてにしてなく、信頼もしてなかったから、すぐに子牛の像を造ったのかもしれないというような気がしてきた。そうだとするとアロンも同じようにそれほどモーセをあてにはしていないのかもしれないなんて勘ぐりたくなる。そしてそれは何より、ヤーウェの神こそが神なのだ、この神が自分たちを救ってくれたのだ、という思いがなかったのではないかと思う。
民には神は見えないし、神の声も聞こえない。いつもモーセを通して神の言葉を聞いているだけだった。モーセにとっては神は直接声を聞くという近い位置にいる。しかし民にとってはモーセを通して聞くという間接的な関係であって、比較的遠い関係であった。だからこれこそが本物の神、何がなんでもこの神を信じる、何が何でもモーセの帰りを待つ、という思いにはなりにくかったのだろうと思う。モーセは先祖の神、ヤーウェの神が救ってくれたと言うけれど本当にそうなのだろうか、という気持ちがずっとあったのかもしれないと思う。
だからこれからは見えないヤーウェの神ではなく、金の子牛という見える神が欲しかったのだろうと思う。ヤーウェがエジプトから救い出してくれたかもしれないけれど、モーセも帰ってきそうにないので、これからは子牛の神に守ってもらおうというような気持ちだったのではないかと思う。
神はこんな民に怒りを発して民に災いを下そうとする。しかしモーセがそれをなだめて災いを思い直したという。そこでどうにかイスラエル人が滅ぼされることはなくなった。しかし神が怒って、それを思い返したのも山の上の話しである。民はそんなことがあったことも知らずに子牛の像の前で踊っていたわけだ。
民が自分たちの間違いを知ったのは、モーセが帰ってきて子牛の像を砕いて水の上にまき散らして自分たちに飲ませられたことによってだ。そのあとモーセがレビの子らによって三千人が殺されることになったなんてことも書かれている。そこで初めて自分たちがとんでもない間違いを犯したことをやっていたことを知ったのだろう。
信じる
民にとってはやはり神は遠い存在である。だから神を信じるということは大変なことなんだろうと思う。モーセの言葉を信じるしかない。モーセの言葉を神の言葉だと信じるしかない。
私たちも神の声を直接聞けるわけではない。私たちにとっても神の言葉は聖書を通して間接的に知るだけだ。これが神の言葉であるという証拠があるわけでもない。ただ信じるしかない。信じることで初めて神の言葉になると言った方がいいのかもしれない。
イスラエルの人たちが見えない神に従うことが難しかったように、私たちも見えない神に従うことはやはり難しい。神の言葉を神の言葉として信じることも難しい。またイスラエルの人たちのように、信じられない時もあるだろうし、目に見える他の物に頼りたいと思うこともあるだろう。
見える物があればそれで全て安心かというとやっぱりそうではないだろう。金の子牛があっても、何か不都合が起こればまた疑うだろうと思う。
モーセが帰ってこないという現実の中で、モーセを待っていてもいいのか、モーセに頼っていていいのか、モーセの言うことは本当なのか、本当にモーセの言う神が救い出してくれたのか、いろんな疑いが大きくなってきたのだろうと思う。エジプトは出て来たけれど、この先どうなるのか、大丈夫なのか、そんな不安も、いつもかかえていたことだろう。
そんな疑いや不安を解消するために、金の子牛を作ったのではないかと思う。目に見えない得体のしれないモーセの語る神ではなく、目に見えて形のあるものの方が安心できると思ったのだろう。
「不幸せな時、人はすべてを疑っている。
幸せな時、人は何も疑わない。」
(ジョセフ・ルー/フランスのカトリック司祭)
なかなか思うようにいかなくて、期待通りにならなくて、本当に大丈夫なんだろうか、思うことが多い。本当に神さまは守ってくれているんだろうかと疑い、この先が不安になって仕方なくなることも多い。
信じなさい、見えないけれども信じるのだ、と神は言われているような気がする。何も見えない中でも、真っ暗闇の中でも、私の言葉を信じなさい、私はお前が大事なのだ、お前が大切なのだ、その言葉を信じなさい、神は私たちにそうささやいておられるのではないか。
そして信じられるということは幸せな時なんだろう。というか、信じることで幸せになれるというか、信じることは幸せなことなのだろうと思う。