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礼拝メッセージより



「救い主の誕生」 2008年12月21日 


 クリスマスって何なのでしょう。きれいにクリスマスツリーを飾ったり、サンタクロースが来てプレゼントをくれたり、みんなでケーキを食べたりして、なかなか楽しい行事です。おまけに雪が降ってきて一面の銀世界になったりするといっそう雰囲気が出てきます。そんな風にみんなそろったクリスマスもなかなか良いですねえ。
 でもみんな知っているように、クリスマスはそもそもイエス・キリストの誕生をお祝いすることです。ではなんでイエス・キリストの誕生を祝うのか、イエス・キリストがどんなふうに生まれたか、またどのような方だったのか、それは知るには聖書を見ないといけません。クリスマスってなんなのかということも聖書を見れば分かります。ところが、私の記憶が確かならば、残念なことに聖書にはサンタクロース、大きなケーキ、ツリーを飾ることも、それにイエス・キリストの誕生の時に雪が降っていたなんてことも、書かれていません。

 聖書によるとイエス・キリストは明るい楽しい雰囲気の所に生まれてきたのではありませんでした。
 イエス・キリストは、産まれるとすぐに布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされたのです。おそらく小さな家畜小屋の中でイエスは生まれました。当時、ユダヤ地方では家畜小屋は洞窟を利用したものが多くて、イエスもそのような洞窟の中で産まれたのかもしれません。
 イエスの生まれた家畜小屋にどんな家畜がいたのか、牛やろばがいたのではないかと言われていますが定かなことは分かりません。しかし、家畜小屋ですから、もちろんきれいな所ではなかったでしょう。今の日本の産婦人科で着せてもらえるような真っ白い、清潔な産着も着せてもらえなかったであろうと思います。そして飼い葉桶、それは家畜のえさの入れ物の中に寝かされていたのです。今から考えるとかなり不潔な、汚いところでイエスは生まれたわけです。
 そして家畜が中に一緒にいたとすれば、そこは彼らの糞などでかなり臭かったであろうと思われます。そうすると、この家畜の糞の匂いこそがクリスマスには一番ふさわしいのかもしれません。何とも汚い、臭い所にイエスは生まれたのです。

 この時、イエスの両親となったヨセフとマリアは人口調査をするためにベツレヘムという村に来ていました。そこには大勢の人が集まっていたようです。そうとうに賑わっていたことでしょう。表通りではきっと人がいっぱい行き来していたことでしょう。でもヨセフとマリアは泊まる部屋を与えられず、家畜小屋に泊まる羽目になってしまいました。もうすぐ赤ん坊が生まれようとしているのに、なんとも悲しい話しです。そもそもベツレヘムに来たことだって、たまたまその時期に人口調査があり、自分の部族の町まで移動しないといけなくなったためでした。そんな状況でイエス・キリストは生まれました。なんとも間の悪い生まれ方、といった感じです。
 しかしそのイエス・キリストが救い主だ、と聖書は告げています。クリスマスの中心はイエス・キリストです。そしてこのイエスは私たちの救い主である、と聖書は証言しています。またイエスは神の子であり、神である、とも語っています。神の子が産まれたのです。神が、私たちの救い主が産まれたのです。しかしなんともかっこわるい、情けないと言ったような生まれ方です。


 聖書の神は全世界をつくられた、そして人間をもつくられた神です。神は人間がいつも神の声を聞き、神に従うようにと人間をつくられました。しかし人間は神に従うことをせず、神の命令を守ることができませんでした。そんな罪をもつ人間を神は滅ぼしてしまうこともできたでしょう。しかし神は人間を滅ぼすことをしないで、人間を救うことにしました。人間を罰する代わりにキリストを罰することにしました。そのためにキリストは十字架にかかり、そのことで人間は赦されました。聖書にはその傷によって癒された、と言う言葉もあります。キリストの傷はわたしたちの罪のための傷だったのです。イエスはそのために産まれたのです。それがクリスマスです。ですからイエスなくしてはクリスマスはありません。イエスなくして、クリスマスの喜びはありません。

 しかしイエス・キリストは颯爽とかっこよくこの世の中に現れたのではありませんでした。歴史の波の中で翻弄される、この世の片隅に生まれ出てきました。人口調査という国の都合によってヨセフとマリアはベツレヘムという先祖の町にいく羽目になってしまいました。また宿屋の都合もあって、彼らは家畜小屋の中で出産せねばならなくなりました。イエス・キリストは、全世界を支配する神の子として生まれました。しかしその生まれる様は、全人類を力でねじ伏せ、支配するようなものではなく、まるで人間の勝手な都合にもてあそばれるようなものでした。

 それはまるで私たちの生き様そのもののようです。親の都合で、あるいは社会の都合で、私たちを取り巻くもののいろいろな都合で私たちは翻弄されています。自分だけの都合で勝手に生きていくことはできません。独裁者にでもなれば自分の勝手ができるのかもしれません。けれども、力を持たない者はそんな自分に勝手なことばかりはできません。周りの都合で、否応なく動かされていきながら生きていかねばならない面が多分にある、というのが私たちの現状でもあります。そこでは私たちは自分の無力をあるいは無能を嘆き、なんでこんなことになってしまうのかと自分の運命を嘆くのではないでしょうか。

 イエス・キリストはそんな私たちの所に生まれてきました。歴史の波にもまれながら、周りの都合に弄ばれながら生きていかねばならない私たちの所に生まれてきました。それはきっと、イエス・キリストが私たちと共にいるためです。
 新共同訳 マタイの福音書1:21-23
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 この救い主の誕生の知らせを最初に聞き、最初にこの赤ん坊を尋ねていったのは羊飼いたちでした。当時羊飼いはみんなから見下げられていた人たちでした。まっとうな社会人と認められていない者たちでした。みんながのけ者にしている人達、のけ者にされて自分たちなんてのは大した人間ではない、いてもいなくてもどうでもいいと思っている、そんなものに一番最初にクリスマスがやってきました。

 「内気な青年」という物語があります。

羊飼いが帰ったあと、馬小屋の周りはすっかり静かになった。そのとき、幼子イエスは頭を上げて、入口の方に目を向けた。そこに、内気で悲しげな若者の姿が見えた。

− イエスは「近くにおいで...なぜ恐がっているのか」と言われた。
− 若者は「おみやげを持ってこなかったからです」と答えた。
− イエスは「そうか...あなたから三つの贈り物がほしい。」と言われた。
− 若者は心配して「けれどもあなたにあげるために、何も持っていません。」と言った。
− イエスは「けさ、あなたがかいた絵をもらえないか。」と聞かれた。
− 悲しげな若者は「あの絵はだれもすきじゃありませんでした。」と答えた。
− かいばおけの中の乳飲み子は「だから、あの絵をもらいたい。他の人から喜ばれないもの、自分が自分でいやなこと、そのためにあなたを悲しく、いらいらさせ、欲求不満にさせることを、私のところに持ってきてほしい。」と言われた。
− 若者は「イエス、本当にそれをほしいのですか。」と驚いた。
− 「二番目のおみやげはあなたのお皿だ。」
− 「それは、けさ壊しました。」
− 「そう、だからほしい。あの皿を直したい。いつも、あなたの人生の中で壊れてしまったことを私のところに持ってきてほしい。」
− 「最後のおみやげとして欲しいのは『お皿を壊したのか』と両親が聞いときのあなたの答えだ。」
− そのときに若者は悲しみに沈んで言った。「あの時私はうそを言いました」
− イエスは「知っている、けれどあなたのうそ、悪、悲しみ、コンプレックス、不信、など正しくないことをすべて、私のところに持ってきてほしい。そんな心の重みを運ばなくてもいい、私はあなたを解放したい。きょうから、毎日私のところに来て、あなたの持つ重みについて私に話してほしい。
  きょうは私の誕生日だ。この特別な日に約束をしよう。
     あなたの悲しみに私の喜びを
     あなたの無意味な人生に私の満ちた命を
     あなたの不安に私の平和を
     あなたのたくさんのうそに私の真理を
     そして新年の日々のために私の愛を」と結んだ。
− 若者は「イエス、ありがとう!おっしゃったように私は新しい年だけでなく、生涯、幸せに生きるでしょう。」 と答えました。
  (アフリカージンバブエの物語より)


 あなたたちはどうでもいい存在ではない、大事な大事な存在だということを知らせるために、真っ先に羊飼いのところに知らせが届いたのかもしれません。
 神さまが羊飼いを大事に思っているように、ここにいる私たちみんなのことも大事に思っているのです。
 自分のことを、いつも周りに流されているばかりの無力な人間でしかない、自分の力で人生を切り開いていける力もないダメな人間としか思えない、あるいは何の役にも立たない価値のない人間である、と思っているそんな人に向かって、神さまはいつもあなたと一緒にいる、と約束してくれています。
 そしてそれは、
私の悲しみに喜びを
私の無意味な人生に満ちた命を
  私の不安に平和を
私のたくさんのうそに心理を
与えるために、いつも一緒にいてくれているのです。

「あなたが大事なのだ、私にとってはあなたはとても大事なかけがえのない存在なのだ」と神は語りかけています。あなたが希望を持って安心して生きるようになってほしい、と言われています。
 私たちの失敗も不安もいらいらもうそも全部持ってきてほしいと言われているのでしょう。そのためにイエスは生まれてきてくれました。そんな私たちの救い主が生まれてきました。だからクリスマスはとてもうれしい時です。サンタよりもケーキよりももっと大きな喜びがそこにあると思います。イエス・キリストの誕生を喜びながらケーキを食べたらなおいっそうおいしいでしょう。

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